逃げる男を追いかけて、
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「あっ!亜梨紗見て!
あの人便所スリッパでスーツだよ!!」

シャッターに書かれた落書きの塗料ばかりが目立つ夜の商店街を歩いていますと、唐突に隣の美羽が言いました。
彼女が指差すほうを見れば、確かに便所スリッパによれよれのスーツを着た男がふらふら歩いています。


2人の住む町には、彼女たちのお母さん、いやお祖母さんのころから不思議な噂がありました。

『この町には便所スリッパを履いてだらしなくスーツを着た男がいて、その男を捕まえて話をすると必ず幸せになれる』

…なんてザックリしすぎなもので、亜梨紗は若い男女が異性に声をかける・かけられるきっかけのために作りだしたのではないかと思っていましたが、どうやら隣の美羽は違うようです。



「行くよ!」

亜梨紗が応とも否とも答えぬうちに美羽は走り出していました。

「あっ、待って」

こうして2人は夜の人気の少ない商店街を、さらに人気のない北のほうへ、ふらふら歩く男を追いかけていったのです。





男は右に揺れ、左に揺れを繰り返しながらただ歩いているだけなのに、2人が必死に走ってもなかなか追いつくことが出来ません。

「待てー!」

と、とうとう途中で痺れを切らした美羽が叫びますと、男がぴたと止まりましてゆっくり後ろを振り返りました。
そこで初めて自分が追いかけられていることに気付いたのでしょう。
げっまずい!という表情を浮かべますと、今度は脱兎のごとく、まるで韋駄天のようなスピードで走り始めてしまいました。

歩いていたときさえ追い付かなかったのですから、走り出されては捕まえられるはずもありません。
しかしまぁ努力性と言いますか、諦めが悪いと言いますか──美羽が走るのを止めないものですから、亜梨紗も止まるわけにはいきません。
目の前を走る彼には迷惑をかけているなぁ…とぼんやりしながら2人を必死に追いかけます。

そうぼんやりしていたのがいけなかったのかもしれません。

「亜梨紗危ない!」

美羽がそういうのとほぼ同時でした。
亜梨紗の額の辺りでパチコーンと小気味の良い音がして、彼女は走る勢いのままお尻を地面に打ちつけました。



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