逃げる
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“どこまでも西に進み続けて、ずっと
夜を生きてるの。素敵じゃない?“

――君がいない今になって、君の言葉
を思い出す。



 彼女とのお別れはずいぶんあっけな
いものだったと、そろそろ酸素が足り
なくなってきた頭で考えた。残り5ヵ
月と言われてきっかり5ヵ月。まった
くあの子らしい、と笑いながら涙を流
すご両親に挨拶をして病院を出たのは
どれくらい前のことだっただろうか。
明け方でもないのに妙に白んだ空を見
て思い出したのが先の言葉だった。
 どこまでも夜について行こう、そう
思った。

 なけなしの金を叩いて買ったロード
用の自転車を漕いで、遠々と西を目指
す。新品のころは乗り姿が素人そのも
のと彼女に笑われたのも、今ではずい
ぶん様になった。このまま自転車から
降りる気はない。小休止を取ることす
ら、今の自分にはむしろ苦痛であると
思った。
 とはいえ体力には限界がある。路肩
に寄って自動販売機で水を買った。振
り向いた東に表れる朝の気配に大きく
舌打つ。初めのころは全く人気のなか
った道路にもそろそろ営みの影がちら
ついてきた。それに気づかないふりを
して、大きく息を吸う、自転車を漕ぐ。
肺に流れる空気に混じる朝の匂いにも
もちろん僕は気づかない。



朝が来れば今日が終わる。
遠々と西を目指す行為は、遠々と夜に
しがみつくことだ。

君の生きる今日が終わって、君のいな
い今日が始まる。
止まることは、認めることだ。
この夜が終わらなければ君のいる今日
は終わらない、君のいない今日は来な
い。


 だから僕はゆっくりサヨナラを連れ
てくる、あの夜の東側から逃げる。


【2012.08.30.】


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