カイとレイ
□月夜の来訪者
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月夜の来訪者
雇いのシェフが作った夕食を、無駄に広い部屋の、無駄に長い純白のテーブルクロスのかかったテーブルで、顔も合わせたくない祖父と2人で終えると、カイはナイフとフォークを置いて、静かに部屋を出た。
そして無駄に長くて薄暗い廊下を抜けて、自室のドアを開けた。
部屋は真っ暗だった。
ドアの横のスイッチを入れると、部屋に明かりが灯る。
カイの部屋は1人部屋にしては広い。
15畳くらいはあるのではないかと思われる部屋には、赤い絨毯が敷かれた床に大きめなシングルベッド。図鑑などが詰まった本棚が3つ。窓際に勉強机と部屋の真ん中にはテーブルとソファーが2つ。壁際には液晶テレビとオーディオプレーヤーがある。
家具類は一式ダークブラウンの木製家具で統一されていた。
窓からコンと小石がぶつかるような音がした。
ここは三階なので間違っても小石が跳ねてぶつかるということはない。虫か何かだろうと思いつつも、念のため確認をしようと窓際に近寄った。
カーテンを広げる。
出窓を開けると、外の生温い風が舞い込んできた。
夕立があったため、空気は湿気をはらんでいた。
今宵は満月だった。
満月の周りだけがぼうっと青白くなっていて、涼しげに見える。
それ以外はやはり何もない。
窓を閉めようとカイは手を伸ばした。
「カイ」
囁くような声がどこからか聞こえた気がした。
ここは三階だ。
窓の外から人の声が近くに感じられるはずがないのだが、カイは窓の向こうを探した。
「カイ」
もう一度声がした。
カイの部屋の前にある木が揺れた。
そこに人影が見えた。
カイは咄嗟に警戒をしたが、背格好から子供だと分かった。
目を凝らすと、相手の方が木の影から姿を出した。
「……」
カイはそのまま窓を閉めようとした。
「おいちょっと待てよ」
相手が慌てていった。
このまま戸締まりをして、カーテンを閉めきってしまいたかったが、カイは仕方がなく窓を元の位置に戻して、木の上の相手を見た。
「……そんなところで何をしてる、レイ」
突っ込みを入れるのも嫌だったが、カイは仕方がなく声をかけた。
レイは枝の上でぶらりと足を投げ出すように座ると、にっと笑った。
「近くに来たらカイの匂いがしたんで来てみた。しかし大きな家だなー」
レイは偶然街角で出会したかのように世間話を始めた。ゆっくりとカイの家……というより屋敷を見渡す。
カイは無言のまま再び窓を閉めようとしたので、レイは慌てて窓枠に手を伸ばして、それを阻止した。
「ちょっと待てよ。そりゃないぜ」
「あいにく変質者の知り合いはいないんでな」
「それは誰のことを言ってるんだ?」
疑わしげな視線を送るレイにカイは顔をしかめた。
「お前以外に誰がいると思うんだ?」
匂いで人の家を嗅ぎ付けるなど、変質者でなければ犬くらいなものだろう。
それに加えて、不法侵入者だ。
この家は屋敷の周りに広い庭があり、庭の周りは高い塀で囲われている。屋敷から門までは半径50メートルくらい。塀の高さは3メートル。門も同じ高さであり、客人は大概アポイント無しでは来ないし、庭は雇いの警備員が巡回している。正門から正規にやって来たならば、召し使いがカイに連絡を寄越す手はずになっている。
どこからどう見ても不法侵入としか思えなかった。
屋敷の警備をもっと厳重にするよう言った方がいいだろう、と心の隅で思った。
カイが思案している間に、レイは心外だとばかりにため息を溢した。
「言ってくれるな」
しかし、それは怒っているという風ではなく、どちらかというと楽しんでいるようにカイには見えた。
「まあ、いいや。また今度タカオ達と遊びに来るとしよう」
一人で納得するレイに対して、それはやめてくれと咄嗟に思った。
ただでさえ、家に人なんか呼びたくないのに、あの騒がしい連中を連れてくるなど言語道断だった。
絶対にタカオ達に家の場所を教えるなよ、というつもりでレイを睨み付けた。
だが当のレイには通じていないのか、それとも分かった上で動じていないのか、笑みを浮かべている。
「じゃあな、カイ。お休み」
レイはそう言うと木の枝から背中を後ろに倒した。
そんなことをすれば頭から真っ逆さまに地面に落ちるわけで、そしてここは三階なわけで。
その瞬間、カイは心臓を鷲掴みされるような酷い衝撃に襲われた。
「――おいっ!」
カイはレイの姿を探そうと、窓枠に身を乗り出した。満月の明かりだけに照らされた、薄暗闇の中にレイを捉えた。
レイは加速し落下する中で、くるりと一回転をして見事両足で着地をして見せた。
カイは一時忘れていた呼吸を思い出したが、それでも心臓は煩かった。
冷や汗が背中を流れた。
レイは垣根の中で、ぱちりと金目をカイに向かって瞬きさせると、そのままさっと背を翻して闇夜の中に消えた。
生温い風がカイの顔の横を通り過ぎた。
窓枠に置かれた指先にぎゅっと力が入った。
「お前は猫か……」
その一言に、もうそこにはいない相手への持てる限りの悪態を込めてた。
何もかもが突然すぎる。
現れるのも、去るのも。
結局何をしに来たのかも分からなかった。
心臓に悪いなんてものじゃない。
とんだ月夜の来訪者だ。
出来れば、今後ここに訪れるようなことがあれば、玄関から出入りをしてほしいと思った。
近い未来にあるであろう、台風のような来客たちを思うと、カイは1人ため息を溢さずにはいられなかった。
けれども、その表情はどこか嬉しそうだったというのは誰も知らない。
end