長編

□朱の神子崖を落ちる
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朱の神子崖を落ちる





カイが虎の子の話をしたあとジンは直ぐにでも虎の子の所へ行こうと言った。

その言葉は当然カイが同行することを前提とした響きを持っていたため、カイは眉をしかめた。

この場で虎の子の名を口にしたのはカイであるし、また虎の子と会ったことがあるのもカイなのだからそれは当然の成り行きではある。

しかし、行こうにもカイとて半ば迷い込む形で偶然出会したに過ぎない。
再びあの森を目指して虎の子に会える保証などないのだ。
一歩間違えれば遭難し、挙げ句の果てにそのままお陀仏だろう。
賭けにしても頭の良い判断ではないと思った。

ジンとてそれを考えないほど無能ではないだろう。否、寧ろカイよりもずっとそういった駆け引きには場慣れしているはずだ。
それでもジンは行くべきだと言った。

有無を言わせないその眼差しに、カイは辟易をした。

ジンはカイの是非を聞く前に司書官の老人に声をかけた。この国の詳しい地図の載った書を探してもらよう頼んだ。
暫くして司書官は最も詳しい地図が載っているいう本を用意してくれた。その本には昔の地図から、最近作られた地図の変遷やこの国に複数存在する少数民族の集落等も細かく記載されていたが、白老峰周辺の山岳地はほとんど何も記載されていなかった。
役に立つとは思えなかったがジンはその本の他に何冊か本を借りて文書館を出た。

ジンとはその晩に荷造りを済ませると夜明けと共に都を出ることとなった。
我ながら無謀且つ、ジンという男に流されていると思った。
人に指図されることは従来嫌いなカイであったが、この飄々とした男は人を乗せるのが上手いと思った。正確に言えば的確に相手の気質を洞察し、そうしなければならない方向に誘導するのが上手いのだ。

せっせと慣れた手付きで身支度をするジンの背でカイは腕を組み顔を伏せた。

「君っていつも不機嫌だね」

ジンが言った。

誰のせいだと思ったが、口には出さずにいた。否、そんな気にもなれなかった。

「いいか?こういうときは考えるよりも直感で動いた方のがいいんだ。そういう理屈では説明できない感覚を第六感と言うけど、案外馬鹿にならない」

「意味が分からん」

もうどうでもいいとカイは思った。
何がなんでもこの男は自分を引きずり回すつもりなのだろう。
いつものカイであれば取り合う気はないのだが、この男はカイの素性を知っている。その上どこに顔が通じているかも得体が知れない。
今カイにとって自分の所在が祖国に知れることは好ましくなかった。
カイの居場所が分かれば、国は直ぐ様にカイを連れ戻しに来ることは予想がつく。
今とて公にしていないだけで密にカイのことを探しているはずだ。自分で言うのは非常に癪であるが、朱の国にとっては大事な皇子であり大切な神子だからだ。
ジンが朱の国が密かに手配した回し者という線も全くゼロではないと思う。
一緒にいても腹の立つ男であるが、逆に放置しておくこともカイにはいささか座りが悪い。目の届く範囲で適度な距離を置き、ジンの素性をもう少し知る必要があった。

そして何よりも白の神子の行方がカイの胸につっかえているのも事実だった。

「俺はもう寝る」

カイはそう言ってジンの借りている部屋を出て、自分が借りている部屋の寝床に向かった。
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