長編

□朱の神子白虎族を知る
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朱の神子白虎族を知る


今自分は崖の底に真っ逆さまに落ちている。
冷静に、客観的にそう認識した。そしてなぜか恐怖心はなかった。

このまま全て身を委ねるのもいいかもしれない。心の中でそう思っている自分がいた。

肩の力を抜く。

目を閉じる。

そうすればきっともう何も考える必要はなくなるのだろう。


それでいいじゃないか。


※※



あなた様は特別な方なのです。

あなた様のお祖父様よりもお父様よりもずっと特別な方なのです。
それはとても名誉なことなのですよ。

さあよく耳を澄ませて下さい。

あなた様には聞こえるはずです。

神の声が。

朱雀の声が。



鳴り響く鳥の声。
それは歓喜しているようだった。


耳に聞こえてくるというよりも頭の中に直接聞こえてくる、そんな感じだった。

聞こえましたか?


ああ、聴こえた


嗚呼!何と喜ばしいことでしょう!あなた様は神に選ばれたのです!
朱雀は何と申していましたか?


唄を歌っている


唄?それはどんな唄なのですか?


喜んでいる


何を喜んでいるんでしょうか?


僕と話ができて嬉しいと、そう言っている


左様でございますか。
何と喜ばしいことでしょう!
ああ……爺は感激をしております。
これは嬉しさの涙なのです。私めが神子様のお側にお仕えすることが嬉しいのです。何て光栄なのでしょうか。


そう言って世話役の爺は頬に涙を流していた。
そのときまだ幼かった自分には何故爺が嬉しいのか、何故嬉しくて涙が出るのか分からなかった。

ただ聴こえてくる朱雀の唄声を聞いているととても心が落ち着いた。

それから毎日のように朱雀の声を聞いた。
夜明けになると薄日の差す空にきらきらと輝く鮮やかな羽を持つ鳥が夜明けを告げる。
夕暮れになると燃えるような赤い空に溶け込むように朱雀が羽を広げて羽ばたいていく姿が見える気がした。


それから1年くらい経ってからだったろうか。
毎夜夢に魘されるようになった。
赤く炎上するする森が、焼け落ちていく木々の煤の色が、泣き叫ぶ人の声が頭の中で響いていた。

それは年を重ねる毎に鮮明になっていった。

燃える火の色や、叫ぶ声や、血の匂い。それらが過去に本当にあったことのように夢の中で再生される。

それから燃える紅い火の色を見るとその夢を思い出すようになった。
松明の火、キセルに光る火の粉、暖炉の火、燃えるような赤い夕日、鏡に映る自分の双眸。

火の色はいつしか争いの火の色になっていた。

紅い色を象徴にするこの国では全てが敵に見えた。
この国の人間の全てが見栄や野心にまみれて見えるようになった。

あのとき流した爺の涙がとても穢らわしいものに思えた。

そうしていつの日にか朱雀の声が聞こえなくなっていた。

そうだ。

最初から朱雀などいなかったのだ。朱雀の声など聞こえてなかった。

それは爺の暗示だったのかもしれない。あるいは爺を喜ばせるため、自分を褒めてもらうために作り出した嘘の存在だったのかもしれない。




そうしていつの日か朱雀という鳥を思い出すことさえもなくなていった。





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