長編

□朱の神子白虎族を知る
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暖かい。
例えるなら真冬に当たる暖炉の火のようなそんな暖かさだ。
真っ暗な世界の中に火が灯った。その小さな火は揺れながらも確かにそこに存在していた。

そしてあの美しい声が自分を呼んだ気がした。


その一声に暗闇から現実に引き戻された。

明転し、光が広がった。
眩しさに目を細め、徐々に目が明るさに馴染むと目の前にぼんやりと人の顔が浮かんできた。

鮮やかな紅梅色の髪。
大きなつりがちな目。
見知らぬ少女がそこにいた。

少女はカイの目と視線がかち合うと、大きく後ろに退いた。

カイはそのまま深呼吸をした。
胸の上下運動に身体中に酸素が広がるのを体感した。
それに自分がまだ生きているということを実感する。
酸素が頭まで巡ると、思考も漸く追い付いてきた。

水の流れる音。
直ぐ近くに川があるのだろう。
そして視界の先、ずっと遠くに小さく空が見えた。
高い石の壁がそう見せているのだ。


カイはゆっくりと現状を振り返った。

ジンと共に森を進んでいるとき、白い虎に遭遇した。そしてその虎と共に崖に落ちたはずだった。
カイは加速する重力の中で確かに死を覚悟した。
なのに、何故今ここで息をしているのか。

そう、自分は今目の前にあるあの崖から落ちたはずなのだ。
普通ならば即死は免れない高さだ。

何か非科学的な力が働いたとでもいうのか。

夢でも見ていたのかと疑った。
夢だとしてどこからが夢だ?

崖下に落ちたところか?
それともあの白い虎に遭遇したところからか?

白い虎ーー
それを思い出し体を起こした。

自分と一緒に落ちたはずの虎はどこへ行った?

見えるのは石の壁。その脇を流れる川と生い茂った木々だけだった。
あの大きな虎の姿は見る影もなかった。

「あんた人間なの?」

岩の陰から突っ慳貪に響いた。
岩が喋ったわけではなく、その陰に隠れているあの紅梅の髪の少女が言ったのだ。
少女の目には恐怖や怯えといったものはない。

初対面の人間にお前は人間かなどと質問をされたのは初めてだった。

「他に何に見える?」

「鳥…」

少女は呟いた。
その言葉に胸がざわつく。

「さっき赤い綺麗な鳥を見たんだ。そしたらあんたがそこに寝てた」

「なら、俺がその鳥だとしたらどうする?」

「何でこんなところで寝てたの?」

「……さあな。俺にも分からん」

カイは遠い空を眺めた。

「変なの」

茶化されたと思ったのか、少女は口をへの字に曲げた。

「あんたどこから来たの?あそこから落ちたの?」

物応じをしない子供だと思った。
警戒心は持ちつつも、決して自分が弱者だとは思っていない、そんな気の強さをこの幼い少女から感じた。

「上にはどうやって行く?」

そう聞きながらも上に上がる以外の手段を頭で考えていた。
この幼い少女の行動範囲はそう広くはないだろう。崖の上に戻ることを考えるよりも、その村で体制を整える方が得策だろう。
崖を上がったところで恐らくジンはそこにはいない。まずこの崖を落ちて助かるとは考えないであろうし、借りに助かるという可能性を考えていたとしたら自分を探しにここに来るはずだ。そうなれば、この少女の村を経由する可能性が高い。

「知らない。あんた鳥なら自分で飛べばいいじゃない」

少女は首を横に振った。

「俺は鳥じゃない」

「ふうん。じゃあ、あんた迷子?長老様が言ってた。この森は外の人間が村に来ないように呪いがしてあるって」

馴れてきたのか、少女は岩影から一歩前に出てきた。

「外の人間?お前の村にか?お前は――」

カイは目を細めた。
少女の琥珀色の瞳が視界に入った。

それはまるでジンと書物で見た白虎族の特長とよく似ていた。

「――マオ!」

カイの言葉を別の声が遮った。

少女がびくりと肩を揺らして身を縮みこませた。

薄暗い森の中から二つの人影が近付いてきた。
無造作に伸びた長い深緑の髪を一つに結わえた少年とその少年より二回りは大きい体躯のいい少年が少女の直ぐ側まで来た。

「今日は森に入るなと言われていたはずだぞ」

「ライ兄ごめんなさい」

結い髪の少年の方が高圧的に少女を見下ろした。

「また虎の子に会いに行こうとしていたのか。それは禁じられていたはずだぞ」

「だって……」

マオと呼ばれた少女はぐっと手を握った。

「マオ。村の皆が心配していたんだぞ」

大きい少年の方は至って穏やかな声を掛けた。そしてやや間を置いてからカイを見た。

「でも驚いたな。本当に来るなんて」


「紅い目。お前が朱の国の神子か」

ライと呼ばれた結い髪の少年の方は面白くなさそうにカイを見る。
その目から敵意というのを感じた。
それこそ、森で出会う獣と同じ金色の目で。
何より、この少年たちが初対面であるはずの自分のことを知っていることに驚きを隠せなかった。

「まるで俺がここに来ることを分かっていたような口振りだな」

「当然だ。俺達はお前が来るのをずっと待っていたんだからな」

「どういうことだ」

「知りたければ付いて来い」

ライは小さなマオの手を強く握ると、元来た森の中に入っていった。
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