□君に触れるのは
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春らしい陽気

いつの間にか
夢の中へ迷い込んだの














そよぐ風を背に歩く、ファブレ公爵家の花咲く庭園。
子息であるルーク・フォン・ファブレ《様》を訪ねてやって来たらしいナタリア。
花の手入れをしていたペールに機嫌よく声をかける。

「ごきげんよう、いつも花達の手入れをありがとう」

まだ幼さの残る顔をほころばせて、軽い会釈を交わす。
ナタリアを見つめている少年には、彼女が光のように見えた。
昼下がりの白い太陽は、彼女の細身をさんさんと照らして、輝かせて。

彼女がバチカルに居るたいていの日にはルークを訪ねにやって来る。
と言ってもしばしば父親に連れられ国内を回っていたり、奉仕活動を自ら買って出たりで、連日という訳にはいかなかった。
珍しいことに、今回の訪問は前回の時から約ひと月は間があった。

だからだろうか、少年の心の底では、何かがチリチリと音を起てて燃え盛っていた。
まだ若干の厳しさがあった寒い時期から、やっと緑が芽吹き始めるこの時期になるひと月。
決して長すぎたわけではないその時間(何故なら毎日赤子のようなルークに引っ張り回された)。
でも確かに空白だったものがあった。
一日のほんの少しの時間顔を見せる少女。
いつしか三人で遊ぶのも当たり前になって。
(君という存在が、僕を彩る)

「まぁ!お久しぶり、ガイ」

ナタリアは立ち尽くしていた少年に声をかけた。
友との久方の再会を喜ぶ顔は、春に似た笑みが咲き誇って。

「ルークはお元気?」


(君は、ルーク・フォン・ファブレの婚約者)

「元気ですよ、貴方もお元気そうで良かった」

少年が微笑むと、ナタリアは目を丸くさせ、腰に手を当てて怒ったような素振
りを見せた。

「あら?前にも言ったではありませんか、敬語など使わなくともよいと」

「…ですが、私は使用人なのですよ?」

「あなたはそういううものを気になさる性格ではないわ」

少年の瞳が微かに揺れ、視線が逸れる。
そう、別に身分差に固執するつもりはなかった。

ガイの心の底で、今度は熱さを増した何かが激しく震えあがった。
(気にしてしまうのは)

「あなたとはもう友人なのだから、…この間まで普通でしたのに突然、どうかなさいまして?」

「君を好きになってしまったからだよ、ナタリア」

「――…?」

先程までけろりとして問いかけていた少女の動きが止まる。
目を大きく見開いて、唇をほんの少し開けて、下ろした手を一瞬ぴくりと震わせて。

「俺が君を好きだと、どうしても身分差が邪魔になるだろう?」

ガイが改まって彼女に向き直ると、ナタリアは少しだけ身を震わせ後ずさった。
けれど視界を少年から外すことはできずに、そのまま固まってしまう。
成長期で背がどんどん伸びたガイを、知らない人を見るような丸い瞳がとらえる。

少年の手が、頬に触れたのにも圧倒されて何も出来なかった。
ナタリアは何も出来なかった、応えることも、拒絶することも。

頬に添えられた手が、するりと首筋を撫でる。
その時初めて、かっと顔に血がのぼる。
耳の裏側に彼の片手が添えられて初めて胸が高鳴っていることに気付く。
初めて、この少年という存在を感じてしまった。


「キス」

ナタリアの赤く染まった頬を、いつもよりずっと冷めた目で見たのは、本当に彼だったろうか。
違う、冷たいと言うより震える瞳、闇に埋もれてしまいそうな瞳で。

「…ぇ」

「してもいいか」

何かを押し殺すように低い声でガイは囁く。
その言葉を聴いた瞬間、ナタリアは小さく息を漏らした。
緊張しているはずが、逆に力が抜けていく。
(だって少年の瞳は誰かを愛おしむものではなく罪悪感に満ちていて)
ナタリアは何かを考えるより、少年の瞳をじっと覗き込むばかりだった(どうしたの)。
その真摯な少女の瞳に、ガイの表情が更に曇る。

心の底の熱いものが、勢いをそがれたように不安定に揺らめく。
(それは愛しくて愛しくてたまらないから)
固く目を閉ざして、深く深く息を吐く。
(愛しいから、もう)



「知ってるかい、今日はエイプリルフールなんだ」

さらっと紡がれた単語、ナタリアの体が弾かれたようにびくりと、小さく動いた。
緊張の糸があったとしたなら、少女が一生懸命引っ張っていたところを向こう側の少年がぱっと離してしまった様に。

「今のは冗談さ」

いつものガイらしく爽やかに笑って、お互いの距離を『友人』に戻す。

ナタリアの顔が見れない。


(これ以上何もできない)

「ルークを呼んでこようか、あいつまだ部屋でゴロゴロしてたから」

そう言って、笑って、足早に彼女から立ち去る。






ナタリアに触れた手が熱い、心が、顔が、全身が熱い。
いつか歯止めが利かなくなってしまう。
大切な少女に、自分がどんな酷いことをしてしまうかわからない。
熱を振り払うように首を振って、ガイは自分に言い聞かせるように呟く。
誰にも聞こえないように、昼間は人気の無い使用人達の部屋に連なる廊下で。

「もうできない、…できない!」

(けれど燃え上がった指先は、じんじんと熱を帯びたまま)









「そんなの、嘘」

ガイが笑って、明らかにルークの部屋ではない方向へ向かって行くのを、止めることもできなかった。
独り取り残されたナタリアは囁いた。
花壇にある花達は風に揺られて気持ちよさそうに踊る。

「うそつき」

頬がほぅっと桃色に染まったまま、彼が自分に残した温もりのやり場を捜すように視線を泳がせて。


























-fin
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