□恋い焦がれ春よ来い
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ぴと。

「っひィィ!!」

女の子の悲鳴のような声が聞こえた。ああ、この声は、いつも拍子抜けするほどに明るい、あのお調子者の声だ。

「ンなにすんのよ、野蛮人!」

「ケカカカ、驚いたかしゃぼん娘ェ」

ぴくり。ああ、耳障りなこの声は、あの頭の悪い馬鹿山賊。

「…おうおうおう、冷たかったわよおったまげたわよ、モーすけのくせにあたしをからかうなんていー度胸じゃない」

「うぉァ?!お、落ち着くんじゃ、なっ何も武器構えるこた……」

「問答無用、ブリザード!」

「〜〜〜ッ!!!」

聞き覚えのある二人の声は、それ以上言葉を交わすことはなかった。






















春はいつになれば
訪れますか?





















冬だというのに半裸という同年代の異性が、氷のように冷え切った手を首筋に当ててきた時、大袈裟かもしれないがこの世の終わりだと少女は考えた。
確かに、ノーマはショートヘアで首筋はすぐに見え隠れしてしまう。ちらちらと見えるうなじが、悪戯心をくすぐったのかもしれない。かと言って子供の悪ふざけ程度とは到底見なせない、彼女にとって先程の惨事、もはや痴漢に遭ったも同然であった。
そんな中、まるで一家の母が、カサカサと動く例の虫を撃退するような力強さでブレスをぶつけてやっただけに、達成感に満ち溢れた表情のノーマは、灯台の街ウェルテスの入口付近を訪れていた。立ち止まり、久々に足を運ぶ街を、見渡せる限りを眺め満足気に微笑む。
―そして、
ふと、視界に入った人影にはっとして目を大きく見開く。

そこには小柄な少年の、白い毛糸のあたたかそうなマフラーを身につけた後ろ姿。丈の長いマフラーが、冷たい風にあおられひるがえる。

ああ、風変わりな容姿や物腰、歩くたびに微かに耳に届く鈴の音も、彼しかいない!と少女は目を輝かせた。少し離れた場所から、ひるがえるマフラーを見定めてにんまりと笑った。(ついさっき、自分がその悪戯をされて激怒したことも忘れて)

陽が陰り、しんしんと冷え込み始めた街道に、軽くステップを刻みながらその足を踏み入れる。

お久しぶり、灯台の街。

雪化粧はまだなの?




ぐいっ、


あなたの白い毛糸のマフラー、

久々の再開に甘酸っぱい想いを指先に込めて。


ゆったりとした歩調を更にゆるめ、少年は彼女と向かい合う。

「やほっジェージェー、久しぶり!」

にたぁ、と笑ってみせれば、少年は不機嫌な顔つきで振り返る。しかし、そんなことで怯むノーマではなかった。(だってそれでこそあなた、むしろ相変わらずで何より!)

「………ノーマさんじゃないですか、近ごろついに還らぬ人となったという噂を耳にしていたのですが」

「ッ誰よ?!んなつまらんホラ吹いたのは!」

変わりないジェイの辛口にも、めげるどころかいっそ楽しそうにツッコミを入れるほどである。
一方の彼は、そんな彼女のいつにも増した空元気さに些かの困惑を覚え、ちらっと目線をその明るい少女の丸顔に向けた。

「何か僕に御用ですか」

ちりり。
影に潜んでいた苛立ちが蘇った。無意識に彼女を遠ざけたくなって、突き放すような口調が強まる。

「いんや、べっつに〜」

「じゃあ話しかけないでください」

ノーマにとって、ジェイと会うのは本当に久しぶりだった。ぴしゃり、とふざけた態度を切り捨てる彼の話し方も変わりなく、少女はくすりと小さく笑う。

「えーっ、だってさっきまであっち、暇そーにうろついてたじゃん!」

呑気にもにこやかなノーマに、もやもやとした気持ちに心を満たされたジェイは腹立たしささえ感じていた。しかし同時に、その怒りの理由があまりにも馬鹿げていると感じられてやり切れないような気分にもなる。

「…うろついていません。それに僕は、ミュゼットさんに頼まれた仕事をしにこの街へ来て、今到着したばかりです」

何だ、この苛立ちは。

「あっそ、へぇ〜仕事、んじゃさっ手伝ってあげ…」

「結構です」

何故だか苛立ちの理由と向き合う気になれない、ジェイは欝陶し気に彼女を一瞥し、つかつかと足早に人並み絶えた夕暮れ時の街路を歩む。
軽く微笑みを浮かべていたノーマだが、あまりの徹底防御に片方の眉がぴくりと引き攣った。続いて歩調を速めはするが、おしゃべりの口をつぐみ、丸い琥珀色の瞳の中に彼を捉える。瞳の中の彼は舞い落ちる雪の中で、しかし霞む事なくそこに在った。
ぶ厚い雲が頭上に広がる、しかし遠くの空から夕陽が滲み出して、幻想的な色合いが空のすべてを染め上げてしまった。
陽の光がノーマの心を焼いて、琥珀の中に浮かび上がる少年をも温かい熱が包む。
口はへの字に曲がっているのに、頬を緩ませ目を細めた彼女の姿は、以前とは違う、少女らしい大人びた姿に見えるかもしれない。

「………あれ、雪だ、雪降ってんね!ねぇ、ジェージェー」

「そうですね…この街ではきっと初雪みたいです」

家の庭先や路地裏から子供達が顔を出して騒ぎ始めるのが耳に届く。ちらちらとやわらかく降り始めた雪は、無邪気な子供の笑顔を咲かせて、思わずそれに引きつられたノーマもにへらと笑みを零している。そしてジェイもまた、珍しく微かなはにかみをみせる。
そのレアな少年の表情に気付いたノーマが、らしくもなく赤くなっておどけた風に、しかし素直な感想を空に打ち明けた。

「こんな雪っていいね、なんかさ、優しくなれんの」

ふわ、ふわ、ぽつりっ。

見上げた雪が鼻の頭に乗っかって、それが冷たくって目をぎゅっとつむる。鼻をすすりながらへへっと笑うノーマ。
もやついた心に一筋の光が差し込んで、先程までの煩わしさが消え、ふいの間に気が軽くなってしまったようだ。
こういった何気ない、不思議と情緒に富んだ彼女の感性に、ジェイはしばしば驚かされたものだ。

「優しく、ですか」

「あ!」

何が残念かと言えば、彼女の元気のよさが、タイミングを誤りがちなあたりだろうか、せっかくの雰囲気を台無しにしてしまう事もしばしばだ、とジェイは目を伏せた。(それはそれであなたらしいのだけど)

「何ですか、落ち着きのない声を出して」

「ね、ジェージェーはさっ」

ノーマは目を輝かせて彼の隣まで歩いていく。

「はい」

「雪は、溶けたら何になると思う?」

一拍置くほんの数秒間、ジェイは瞬きもせず、何故そんな質問をされなければならないのかと考え込んだ。そして彼女の嬉々とした表情を目にし、しぶしぶ口を開いた。

「………水、以外に何があるって言うんですか?」

他に答えがあるというのか、試すような彼女の問い掛けがひっかかって気に入らなかった。不機嫌な少年とは対照的に、鼻歌混じりにご機嫌なノーマはにやりと口の端をつり上げる。
そんな彼女を目に、更に心底腹立たし気な面構えになるジェイなどお構いなしに、ご機嫌娘は感情に素直なままにっこり笑う。

「ちっがう、春になんだよっ!」

冗談めいた口調とは裏腹に、ちらりと少年を覗き込んだノーマの瞳には、わずかに彼女の本心が映し出されていた。

「ああ、…そういう」

しかし呆れ果てたように歩みを進めた彼は、既にノーマを背後に回してしまっていた。どこかで聞いたことのあるような「雪が溶けると春になる」という表現だと思い当たれば、その次にはもう興味など失われていた。
ノーマは輝かせた目を細め、我ながらくすぐったい台詞にかたかたと笑い声を漏らした。

「キレーな雪もいいけど、春が待ち遠しくてたまんないよ、まったく」

振り返りもせずに雪の舞い散る街をずんずんと進む彼をとことこ追いかける。ジェイの冷ややかな態度に軽く微笑みながらため息を着いた。

「春になるといーね」

「…まだまだ先の話でしょう」

「んー、かもね?」

しんと冷えた街路の土を踏みほぐすような歩調だったノーマは、急にその足を軽やかなステップに乗せてジェイの行く先まで踊り出る。

「でも、あたしは早春ってな方が嬉しーんだ」

弾んだ声音が何を意味しているのか、怪訝に思ったジェイはふと前方の彼女の表情を伺おうとした、だがノーマは照れ臭さに高潮した頬を隠すように雪空を仰ぎ両手を広げる。

「ね、ジェージェっ」




舞い落ちる粉雪を、このあたたかな胸に抱き留めたら、きっと春が訪れるんじゃないかな?


この、恋に焦がれた

あたたかな胸に。







-fin

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