毛利元就の手というのは、実に鮮やかであった。 じっと盤面を見詰め続けたまま、無言で石を打つ。 会談を求めたのは毛利自身であるというのに、今や彼の関心はひとつの盤面にしか無いようであった。 男にしては随分と白く細い手が、白い貝玉を差し挟むや、ひらりとひらめき、鋭い音とともに一手を打つ。 ぴしりと鮮やかな音は、手に迷いが無い証でもある。 彼が幾重にも手を考え、先を読んでいることがよく解る。 信玄は、己の狙いが当たったことを確信した。 毛利は、この一局に本物の戦場を映しているのだ。 ゆえに、ただひたすら盤面を見つめ、敵を囲み、攻める。 ――しかし 元就が打つ手は、実戦であれば確実に勝利への階を積み上げるであろうが、同時に、確実に自軍の犠牲を伴うに違いない。 無論、戦であるからには犠牲は避けられないのが当たり前で、信玄自身、時に多大な兵の犠牲を出しながら甲斐を纏め上げてきた。 犠牲を厭うあまり勝てる戦を逃して、結局は敗北や滅亡を招くなど、愚の骨頂。 敢えて多少の犠牲を厭わず勝利を勝ち取る。 それが将というもの、軍略というものだ。 現に、目の前の青年はそのようにして、九カ国を統べる大大名へとのし上がった。 ――しかし 信玄はもう一度、胸中に呟く。 (かようにためらいのない采配の、あるものかは…) 盤面では、すでに武田の黒石が包囲され、いくつかに分断されていた。 包囲網の外にも、白石が分厚い陣を敷いている。 窮地を脱すべく包囲の薄い場所へ一手、黒石を動かそうとするが、そこへ容赦ない白の後詰が進軍する。 「涼しい顔で、実に食えぬ男よ、毛利…」 この包囲網を破ろうとすれば長考が必要だ。 癪ではあるが投了とすべきか、と、信玄が盤面を見つめて唸ったとき、 「勝負は預ける」 さして感慨もなく、毛利が中断を伝えた。 「その包囲を破れねば、我を下すこともできぬ」 いかにも実戦の試しと言わんばかりの口調に、信玄は眉をひそめた。 「おぬし、これを実戦で用いようと言うのか」 「無論」 「消耗戦がいつまでも持つと思うな。やがては兵が尽き、負ける時がくる」 「拡充すればよいだけのこと。それが我が戦よ」 「……おぬしはまだ若い。兵を動かす快楽に溺れているにすぎん」 張り詰めた沈黙が流れた。 領土の大小があるとはいえ、複数の国を統治する立場、難しさは同じはず。 それなのに、毛利と武田では戦の概念が根本的に異なるのだ。 信玄にとって、兵は人であり、人は国の基である。 毛利にとって、人が国の礎であることに変わりはないが、それが戦における兵となった瞬間から、彼らは戦勝の礎―盤上の駒として、石や木のごとくなるのだ。 「おぬしとは、解り合う日は来るまいな…」 憮然と呟かれた信玄の言葉に、毛利は僅か、笑った。 「理解などと…」 白く冴えた顔の中で、唇だけをつり上げるような微笑。 「人は、所詮、何者をも理解できぬ…」 生命に欠けた、その微笑みは薄ら寒く、どうしようもない寂寥を見る者に抱かせるのだった。 了 |