「お前が毛利元就か」 先に口を開いたのは、元親だった。 「厳島のお宝、頂きに来たぜ」 それは満更、偽りでもなかった。 中国十ヶ国、豊前と伊予沖をも支配する大大名。その身柄は充分に「宝」と言っていい。 「略奪しか能のない賊めが…」 元親の思考を見透かしたかのように、毛利は冷たい眼差しで呟く。 世人が“氷の面”と評する理由が、元親にはよく解った。 白々と冴えた端正な顔立ち、その鋭い造形も一端にあるのだろうが、何より、目深に被られた兜の目庇から覗く冷たい眼差しが、元親の目を射すくめた。 「なんて冷たい目だ…寒気がする…」 怖気をふるった部下たちの呟きは、元親の呟きでもある。 人の心を凍てつかせる眼差しだった。 「愚劣な海賊めが…貴様らは既に、我が手の内ぞ…」 「大した自信だ。あんた、鬼との戦い方、知ってるのかい」 この場の兵数で言えば、どちらも大差はない。 たとえ大将同士の戦になったとしても、目の前の華奢な体躯を見る限り、負ける気はしない。 毛利元就は、じろりと元親の目を見据えた。 「後少し…我が策の完成よ」 大扉が音を立てて閉じた。 退路を立たれた形になったが、毛利の背後には船が用意されている。 元親は平然と笑い飛ばした。 「は、なるほど。ここで俺を討ち取れば、お前の思惑通り、ってか」 元親は、蹴り上げるようにして碇槍を担いだ。 「だが、判断を誤ったな。鬼が人の手に収まると思ったら、大間違いよ!」 言うや否や、鎖の先を社殿の庇へ引っ掛け、猛烈な勢いで毛利の頭上から打ちかかった。 触れる者を弾き飛ばす光の壁を飛び越えて攻めれば、地表が閃光を放って爆発する。 巻き込まれて地面へ叩き付けられた毛利側の兵卒の姿に、これまで聞いてきた毛利元就の評判は真実であったのだと、元親は唇を噛んだ。 「沈むがいい」 はっと我に返り、間一髪、薙ぎ払われた刃を避ける。 幅の広い刃を取り付けた武器にもかかわらず、毛利の動きは素早く、軽い。 うかつに碇槍を叩き込めば、跳躍してかわされ、輪刀が天空から重力とともに打ち下ろされた。 紙一重でかわしながら、元親は着地の隙を見逃さなかった。 いかな厚手の兜でも、巨大な鋼鉄の碇をまともに食らえば確殺。 槍の穂先がうねりを上げて叩き込まれたと思った、その時、輪刀が伸びた。否、伸張したように見えた。 円形の刃が空を裂いて槍をはじき返し、元親は反動で柱に激突した。 瞬時に体勢を立て直したのはさすがというべきか。衝撃でくらみかける視界へ、二つに分かれた刀が、かちりと一つの輪に戻る様子が見えた。 間合いの狭さを突いたつもりだったが、これでは五分だ。 特異な方術と、自在の間合いを持つ得物―毛利の一筋縄ではいかぬ人柄を反映したような攻撃を、どう攻めるか。 素早く考えをめぐらせる元親は、しかし、別の何かを感じ取った。 奥まった拝殿、停泊する船、そして、この手薄な軍。 本能的に毛利へ撃ちかかった。 なんとしてでも、この瞬間に、討ち取らなければと。 だが、遅かった。 切っ先を軽やかにかわし、欄干を蹴って、毛利は軍船へと飛び乗った。 「皆の者、出航せよ!」 朗朗と響き渡る声を合図に、社殿の屋根や柱の影から、大弓を構えた射手が次々と現れた。 「背後から奴らを叩け!」 振り返った長宗我部軍の背後には、広大な社殿や回廊へ続々と毛利軍が上陸する。 「くそっ…!」 舌打ちする元親を見下ろし、毛利は憎らしいほど静かに告げた。 「最早、貴様らに逃げ道はない」 大袖が高々と掲げられた。 鮮やかな若草色のそれが振り下ろされたとき、一斉に矢の雨が打ち込まれるのだ。 「長宗我部元親。降伏せねば、貴様の部下は全て死ぬ」 降伏を勧告してくるとは思っても見なかった。 無駄な戦はしない、ということだろうか。 確かに、奇襲と包囲によって味方が混乱している今、勝ち目があるとは思えない。精鋭名高い毛利軍の弓兵を相手に、刀槍の長宗我部軍は不利だ。 それでも、元親は降伏する気になれなかった。 自分たちを追い込むため置き去りにされた衛兵や、毛利の術に巻き込まれた兵卒の姿が、脳裏に焼き付いていた。 「自分の部下も平気で捨てるような奴に、俺の野郎共を託せるかよ!」 言い捨てるや、元親は部下を振り向いた。 「野郎共、生きて帰るって誓いを忘れんなよ!必ずだ!俺を信じろ、付いて来い!」 雄雄しい咆哮に、長宗我部軍は瞬く間に士気を取り戻した。 「アニキ!」 湧き上がる鬨の声と歓呼を目の当たりにした元就は、目の前で不敵に睨み据えている男の真価を、垣間見たと思った。 ――長宗我部元親、討つべし。 ためらいなく、合図の手を振り下ろした。 唸りを上げて飛来する矢の雨、元親の碇槍が炎を吹き上げた。 ごうと振り払われた矢は、弾き飛ぶか燃え尽きるかして、飛散した。 射手や兵卒が怯えた隙を逃さず、元親は分厚い扉をぶち開けた。 「野郎共、北の大鳥居まで、走れッ!」 「地獄までお供しますぜ、アニキ!」 「アニキィ!」 喚声を上げて突っ込んでくる長宗我部軍の勢いに、毛利軍の兵士たちは虚を突かれた。 「何をしている」 呆気にとられていた兵士たちが、主の冷厳な声で我に返った。 「追え、恐れなど抱くでない」 慌しく行動へ移る兵士たちに見向きもせず、元就は北の鳥居へ船を付けるよう命じ、伝令を呼んだ。 「元春に伝えよ。城砦の奪還が済み次第、社へ向かえと。伊予沖へは来島の水軍を牽制に向かわせよ」 元就の脳裏には、すでに十指に余る戦の運びが展開されていた。 |