長編「落月賦」

□厳島の戦い
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「お前が毛利元就か」

先に口を開いたのは、元親だった。

「厳島のお宝、頂きに来たぜ」

それは満更、偽りでもなかった。
中国十ヶ国、豊前と伊予沖をも支配する大大名。その身柄は充分に「宝」と言っていい。

「略奪しか能のない賊めが…」
元親の思考を見透かしたかのように、毛利は冷たい眼差しで呟く。

世人が“氷の面”と評する理由が、元親にはよく解った。
白々と冴えた端正な顔立ち、その鋭い造形も一端にあるのだろうが、何より、目深に被られた兜の目庇から覗く冷たい眼差しが、元親の目を射すくめた。
「なんて冷たい目だ…寒気がする…」
怖気をふるった部下たちの呟きは、元親の呟きでもある。
人の心を凍てつかせる眼差しだった。


「愚劣な海賊めが…貴様らは既に、我が手の内ぞ…」
「大した自信だ。あんた、鬼との戦い方、知ってるのかい」
この場の兵数で言えば、どちらも大差はない。
たとえ大将同士の戦になったとしても、目の前の華奢な体躯を見る限り、負ける気はしない。
毛利元就は、じろりと元親の目を見据えた。
「後少し…我が策の完成よ」
大扉が音を立てて閉じた。
退路を立たれた形になったが、毛利の背後には船が用意されている。
元親は平然と笑い飛ばした。
「は、なるほど。ここで俺を討ち取れば、お前の思惑通り、ってか」
元親は、蹴り上げるようにして碇槍を担いだ。
「だが、判断を誤ったな。鬼が人の手に収まると思ったら、大間違いよ!」
言うや否や、鎖の先を社殿の庇へ引っ掛け、猛烈な勢いで毛利の頭上から打ちかかった。

触れる者を弾き飛ばす光の壁を飛び越えて攻めれば、地表が閃光を放って爆発する。
巻き込まれて地面へ叩き付けられた毛利側の兵卒の姿に、これまで聞いてきた毛利元就の評判は真実であったのだと、元親は唇を噛んだ。
「沈むがいい」
はっと我に返り、間一髪、薙ぎ払われた刃を避ける。
幅の広い刃を取り付けた武器にもかかわらず、毛利の動きは素早く、軽い。
うかつに碇槍を叩き込めば、跳躍してかわされ、輪刀が天空から重力とともに打ち下ろされた。
紙一重でかわしながら、元親は着地の隙を見逃さなかった。
いかな厚手の兜でも、巨大な鋼鉄の碇をまともに食らえば確殺。
槍の穂先がうねりを上げて叩き込まれたと思った、その時、輪刀が伸びた。否、伸張したように見えた。
円形の刃が空を裂いて槍をはじき返し、元親は反動で柱に激突した。
瞬時に体勢を立て直したのはさすがというべきか。衝撃でくらみかける視界へ、二つに分かれた刀が、かちりと一つの輪に戻る様子が見えた。
間合いの狭さを突いたつもりだったが、これでは五分だ。
特異な方術と、自在の間合いを持つ得物―毛利の一筋縄ではいかぬ人柄を反映したような攻撃を、どう攻めるか。

素早く考えをめぐらせる元親は、しかし、別の何かを感じ取った。
奥まった拝殿、停泊する船、そして、この手薄な軍。

本能的に毛利へ撃ちかかった。
なんとしてでも、この瞬間に、討ち取らなければと。

だが、遅かった。

切っ先を軽やかにかわし、欄干を蹴って、毛利は軍船へと飛び乗った。
「皆の者、出航せよ!」
朗朗と響き渡る声を合図に、社殿の屋根や柱の影から、大弓を構えた射手が次々と現れた。
「背後から奴らを叩け!」
振り返った長宗我部軍の背後には、広大な社殿や回廊へ続々と毛利軍が上陸する。
「くそっ…!」
舌打ちする元親を見下ろし、毛利は憎らしいほど静かに告げた。
「最早、貴様らに逃げ道はない」
大袖が高々と掲げられた。
鮮やかな若草色のそれが振り下ろされたとき、一斉に矢の雨が打ち込まれるのだ。
「長宗我部元親。降伏せねば、貴様の部下は全て死ぬ」
降伏を勧告してくるとは思っても見なかった。
無駄な戦はしない、ということだろうか。

確かに、奇襲と包囲によって味方が混乱している今、勝ち目があるとは思えない。精鋭名高い毛利軍の弓兵を相手に、刀槍の長宗我部軍は不利だ。

それでも、元親は降伏する気になれなかった。
自分たちを追い込むため置き去りにされた衛兵や、毛利の術に巻き込まれた兵卒の姿が、脳裏に焼き付いていた。

「自分の部下も平気で捨てるような奴に、俺の野郎共を託せるかよ!」
言い捨てるや、元親は部下を振り向いた。
「野郎共、生きて帰るって誓いを忘れんなよ!必ずだ!俺を信じろ、付いて来い!」
雄雄しい咆哮に、長宗我部軍は瞬く間に士気を取り戻した。
「アニキ!」
湧き上がる鬨の声と歓呼を目の当たりにした元就は、目の前で不敵に睨み据えている男の真価を、垣間見たと思った。

――長宗我部元親、討つべし。

ためらいなく、合図の手を振り下ろした。

唸りを上げて飛来する矢の雨、元親の碇槍が炎を吹き上げた。
ごうと振り払われた矢は、弾き飛ぶか燃え尽きるかして、飛散した。
射手や兵卒が怯えた隙を逃さず、元親は分厚い扉をぶち開けた。

「野郎共、北の大鳥居まで、走れッ!」
「地獄までお供しますぜ、アニキ!」
「アニキィ!」
喚声を上げて突っ込んでくる長宗我部軍の勢いに、毛利軍の兵士たちは虚を突かれた。

「何をしている」
呆気にとられていた兵士たちが、主の冷厳な声で我に返った。
「追え、恐れなど抱くでない」
慌しく行動へ移る兵士たちに見向きもせず、元就は北の鳥居へ船を付けるよう命じ、伝令を呼んだ。

「元春に伝えよ。城砦の奪還が済み次第、社へ向かえと。伊予沖へは来島の水軍を牽制に向かわせよ」

元就の脳裏には、すでに十指に余る戦の運びが展開されていた。




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