「すまない、あれがこんなことを仕出かそうとは、思ってもみなかった」 深々と平伏した後、顔を上げれば、案の定、元就は冷ややかな眼差しを向けている。 ――ぬけぬけと…。瀕死の毛利家当主の容態を窺い、あわよくば出兵を目論んでいたであろうが。 本人は黙っていても、苦々しげに嘲笑う声が聞こえてくるようだ。 腹に一物持つ者同士、こんなところだけはよく似るのだな、と、半兵衛は妙に感心してしまった、 「どうしても、豊臣に付く意思はないのかい」 「己に酔うた者の言葉など、信頼するに値せず。それだけだ」 「…僕たちは、極めて理性的に動いているつもりなんだけどね」 「貴様ら一代限りならば、その理想とやらにも邁進できよう。だが、それだけ」 数代の後には跡形もなく失せ、その名は残れども、子々孫々すら無い。 それが天下に臨んだものの末路だ、と元就は言う。 「日の本の外まで眺める目はあっても、己の足下を省みる頭が無ければ、磐石の土台など築けぬ。まして、政など片腹痛いわ」 それは、中国九カ国、大小数十の領主を束ねてきた毛利元就の、率直な感慨であろう。 今でこそ毛利家は中国全土に君臨しているが、一昔前は豪族の連合領主といった立場をとっており、豪族たちもしばしば、威を伸張する毛利家に反抗した。 それを抑圧し、徐々に従属させていくことは、東から西まで割拠するあまたの大名を従えることと、本質的に同じだと思っている。 「君とは、どこまでも意見が合わないね」 「国を率いる身であれば、確固たる意思を持っていて当然」 故に、強すぎる理想は、統治に当たって反発されやすいのだと。 「…僕は、君のことを“何も求めない人間”だと評価したね。我ながら鑑識眼はあるものだと思うよ」 「当主とは、己に望んではならぬもの」 では、元就自身は何のために生きているのか。 喉から出そうになった言葉を、半兵衛は諦めた。 そんなことをすれば堂々巡りだ。 言葉でやり込める自信はあるけれど、そんなものに意味は無い。 「本当に、君は何も持とうとしないんだね」 「あれと同じことをぬかすか…」 「君が持っているとすれば、“毛利”だよ。“毛利”の名が持つ全ては君のもので、だけど君だけのものじゃない。君もそれをわかっていて、求めない」 「今更、何を」 「物事の整理には、口に出すことも重要だよ、元就君」 「口を閉じよ…」 そう言って、軽く目を伏せた。 元就の口数が少なくなってきた。 物言いは普段と変わらずとも、彼は深手に臥しているのだ。 辞去しようとする時を見計らったかのように。 「竹中」 彼は話しかけてくるのだ。 「何かな」 「お前たちの王道楽土は、光が強すぎる」 そんなことを言った。 夜が無い。 身を休め、心を憩わせ、己を省みる時が無い。 輝かしい威光で進み続け、広がり続ける、その強烈な輝きだけが尊ばれる。 王道楽土は全ての生命を保つ常寂光であるというが。 「日輪は、月輪あってこそ、尊い」 「君がそんな理知的な信仰心の持ち主とは思わなかったよ」 「豊臣が昼であれば、お前は夜だ」 「…君は人の話を聞かないほど、衰えたのかい」 半兵衛の露骨な皮肉をさえぎるように、細い声が続く。 「清濁全てを白日の下へ晒す昼、全ての汚濁を包みながら静かな夜」 「汚れ仕事は僕の領分だよ、口を出すべきは君じゃない」 「だが、お前は夜であることを捨てた」 沈むのを厭い昇り続ける昼に合わせて、己の領分を忘れた。 「いずれ“楽土”の民は天に焼かれ、疲れ斃れる」 「君の目にそう映っても、僕の目にそう映るとは限らない」 「そうであろうな」 会話に疲れたのか、元就は目を閉じた。 熱の有無を確かめる半兵衛の手も、払わなかった。 「今度こそ、帰らせてもらうよ」 「好きにせよ」 |