長編「落月賦」

□二河白道
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毛利隆元を城代とし、毛利軍が郡山城を発ったのは三日後のことである。
総大将は毛利元就。瘴癘のごとき明智軍を討伐するとあって、元就自らの出陣は大いに軍を鼓舞したが、一方で、その体調を憂え危ぶむ声も密に囁かれていた。

隆元はじめ諸将はこぞって元就の出陣を諌めたが、
「そなたらが、箍の外れた明智を討ち取ることができるか」
と言われれば、もはや止めることなどできなかった。
日頃、元就の言葉には従順な隆元が、このときは最後まで首を縦に振らなかった。
そのことが、いささか元就に意地を張らせた。

より危険な、明智軍の向かう備中高松城へは元就自身が、安芸毛利家に反抗的な市場城へは、出雲平定に大功を立てた名将・天野隆重が向かうこととなった。
元々、因幡は尼子の本拠である。因幡一体に勢力を持っていた因幡毛利氏も尼子方を支持しており、安芸毛利氏に反抗的だった。
私部毛利氏をはじめとする因幡の反抗的な豪族は、元就が中国を掌握したこの十年間で、ほとんどが粛清された。
にも関わらず、今度の進軍を見る限り、市場城周辺に尼子への内通者がいるのは明白だった。
(これ以上の情けは、要らぬ)
刃向かうならば絶やすべきであり、時勢も見ずにはかない領土の拡張を夢想する者には思い知らせるべきである。
その決断も迅速であった。
流動する時勢――その一端を中国が開いてしまったとしても、あるいは開いてしまったからこそ、中国内部に擾乱を引き起こすわけには行かない。

氷の面はためらうことなく「焼け」と命じた。
すなわち、尼子勢が平野を進む間に火計を以て殲滅せよ、と。
平野で火攻めを行なうには、農繁期を過ぎた今しかない。
“一村を焼くことも辞さず”
元就は、あえて、そう指示した。
再び明智を逃せば、それは天下の騒擾となり、ゆくゆくは毛利へと跳ね返ってくる。
明智を確実に討つためにも、小勢とはいえ反乱を長引かせるわけには行かないのだ。
それが誤りか冷酷かなどという懊悩は、元就はとうに捨て去っている。
政には、秤に掛けねばならぬことが無数にある。
ためらえば国は傾く。
要らぬものは捨て去らねばならないのだ。




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