長編「落月賦」

□二河白道
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高松城へ進軍していた明智軍が四散したとの報がもたらされた頃、毛利軍はすでに高松城において籠城の備えを整えていた。
「近隣の諸城に命じ、追撃すべし。兵が尽きようと構わぬ、明智の首もろとも殲滅せよ」

明智軍は定形がない。
主が起てば集まり、敗れれば散ずる。
幾度、敗走しようと、それは軍の壊滅を意味しない。ただ、地に潜るだけだ。
元就もそれを知っているからこそ、殲滅を期して戦略を立ててきた。
明智の首を落とすためだけの策略。

――今度こそ、逃しはしない。

元就の命を奉じた使者が山陽道の諸城に遣わされ、領主たちは明智軍の殲滅に動き出した。
追撃と残党狩りの二つを併用し、明智軍が決して潜伏できぬよう、追い立てたのだ。
ただし、元就自身は、この作戦によって明智が討たれるとは、あまり期待してはいない。
元就が狙うのは、明智の本拠である。いかに人ならざる五感の明智といえども、軍勢を率いる身で本拠地を持たないはずがない。
すでに旧領の近江坂本は織田軍が回復しており、丹波は豊臣軍の領土となった。
であれば、明智は新しい陣を持っているはずだ。
傷ついた獲物は、巣へと帰る。

明智光秀が更に逃亡を続け、摂津山崎の天王山に陣を築いていると掴んだのは、まさに朗報であった。
だが、時を同じくしてもたらされた報告が、元就を苛立たせた。
「明智を破った農民が、一揆として高松へ向かっていると…」
「はい」
「背後に何者かは」
「おりませぬ」
元々、“一揆”とは“共通の目的のために結成された共同体”という意味であり、武家、寺社、都市、座、惣など、あらゆる階層や組織において結ばれた。
一揆=農民の反乱という解釈は、近世末期から江戸時代の中央集権化が発展した時期において、一揆の性格の一部分が拡大されたものにすぎない。
室町末期から戦国時代にいたる頃には、国人や領主たちが、外からの侵略や権益の侵害を防ぐために国人一揆を作った。
そもそも安芸毛利家からして、元就の父・弘元によって国人の間に勢力を伸ばし、後を継いだ興元(元就の兄)は国人一揆の盟主的立場を獲得した、いわば一揆の主役とも呼ぶべき地位を経て、今日に至るのだ。
ともあれ、元就が懸念したのは、尼子の反乱に乗じた不満分子が、この機会に反乱を扇動し蜂起を繰り返すことであったが、事はやや違うようだ。
「一揆勢は奥州、それも、最北端の地の農民ということです」
「ふ、ん……都まで流浪する気力があるというならば、奥羽のいずくかに寄っておればよいものを…」
「いえ、それが……彼らは、世に騒乱を引き起こす侍の討伐を掲げていると…」
言ってから隆家は、しまったと思った。
元就が無言の怒りを込めて、鉄扇を握り締めている。
「農民どもにも、かように騒ぐ気力があるのか…」
彼は何より、秩序を乱す物事を嫌う。定められた身分を超えて騒擾を起こすとなれば、民百姓といえど容赦なく鎮圧するだろう。
悪いことに、尼子に明智と、再三にわたる因縁が続いたせいで、元就はこれ以上ないほど気が立っている。
「下衆共が我に刃向かうとは、不届千万…」
「お屋形様、お心は斟酌いたします。ですが、何とぞ、ご自重を…!」
正直、明智軍が高松へ至らずして敗走した、との知らせを聞いた時には、安堵していた。
今の元就の体は、持ち直しているとはいえ、とても戦える状態ではない。もとより、元就が常になく気を高ぶらせている遠因はといえば、傷による発熱が癒えていないためだ。
おりしも、備中は霖雨が続いている。
このままでは、元就は雨中でも構わず、自ら陣頭に立ち、進発を命じかねない。
「元就様…!」
取りすがるような声を黙殺して、元就は脇息より身を起こす。
隆元といい、隆家といい、このたびの戦ではどうにも反抗的だ、と、嘆息した。
腕や脇腹にはしる痛みは、無視した。





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