「貴方の爪先から伸びるのは、血塗られた屍の道です…。そこを歩くのは、実に気持ちがよさそうだ…」 再びは会うまい、決して会うまいと望んでいた、最も嫌悪すべき者。 「明智……」 血肉の渦に四肢を浸し、明智が振り向いた。 吐き気のするほど優しい微笑を浮かべて。 「待っていましたよ…貴方を…」 氷の眼差しが凝視している。 冷たく圧するその視線は、警戒と嫌悪の裏返しだ。 「…貴方は何のため、ここまでいらしたのです」 「知れたこと、貴様を排除するためよ…」 その答えを聞いたとき、光秀は思わず、哄笑した。 「貴様…何がおかしい!」 確信に満ちた答えを覆されて腹立たしいのか、強い口調で咎められた。 だが、笑いを収めるなど、できそうにない。 ――なんと愛おしい人であることよ。 笑いが止まらない。 彼は、毛利元就は、気付いていないのだ。 「とぼけても無駄ですよ!貴方と私、一皮剥けば…同じ色の腸がのた打ち回っている!」 「貴様…我を愚弄するか…!」 予想通りの反応。それがますます、光秀を愉快な気持ちにさせる。 なぜ気付かないのだろう。 なぜ必死に拒むのだろう。 口調は少しずつ激しているのに、その目は、端正な顔は、何も伝えてくれない。 「取り繕うのはやめましょう」 「何だと…」 「貴方と私は同じ…そう、ただ血が見たいだけ」 元就の形のよい眉が吊り上がった。 「言わせておけば…!」 怒りのあまり血の気が引いた顔。 感情が見え隠れする、そのせめぎあいの表情が、とてもいい。 冷たい顔の下で、どんな烈しい怒りが渦巻いているのだろう。悔しさと怒りに身を焼かれる胸中を想像すると、興奮のあまり笑いが止まらない。 「苦しむ人を見るのはとても愉しい!だから、貴方をゆっくり眺めることにしましょう!」 「おのれ…愚劣な…!」 「どうしました?端正な顔がひきつっていますよ?」 嘲弄してささやけば、元就は凄まじい形相で刀を叩きつけてくる。 「ふふ…怖い怖い…」 力を込めて押し返す。 先に身をかわしたのは、元就のほうだった。 「傷が痛みますか?随分とご無理をなさる」 それなのに自ら先陣切って戦に出ようとする姿、痛々しいほど直烈な姿は、あの気高く美しい蝶にも似ていた。 「それでも、貴方は来て下さった…!」 従う者すら無情に焼き尽くす、美しく恐るべき日輪の御子が、死や流血や苦痛、あらゆる恐怖と堕落に飢える己を“求めて”やってきたのだ。 「さあ、おいでなさい!元就公!誰にも邪魔されない、貴方と私だけの宴です!」 この脆く美しい御方を殺したい、壊して犯し尽くしてしまいたい。 けれど、殺したくない、殺してしまっては光を失ってしまう。 かつての主君を弑したときも、殺したくない、この時が永劫に続けばいいと思った。 永久に殺し合い、命をせめぎ合わせる、至上の交わり。 「誉に思うがいい。我が貴様の穢れた魂もろとも、焼き滅ぼしてくれる…!」 「ああ……それならば、私の屍の隣に、貴方も並んでください!」 違う、彼を――毛利元就を殺したくない。 魂まで灼き尽くす光輝のまま、生きたまま、彼を愛でたい。 初めて、愛する存在に「生」を求めた。 (貴方は存じないでしょう、元就公!) 冥い淵に沈む暗い魂が、叫ぶ。 凄まじい音を立てて、互いの武器が折れ飛んだ。 「ちっ…」 「おやおや…」 元就は、まだ方術を使おうと思えば使える。 光秀は、死霊に身を護らせることができる。 いずれにせよ、満足な刃がなければ決着はつくまい。 「お名残惜しいですが、本日はここまで…」 「ふ、ん……すでに貴様の逃げ道はない」 光秀の背後で、毛利軍の勝鬨の声が聞こえる。 「いいえ、もっと生き延びて、貴方を眺めていたくなったのですよ、元就公」 「覚悟を決めよ、明智」 元就の声には答えず、光秀は折れた刃を拾い上げる。 「貴方の武器、名前はありますか」 「聞いて、なんとする」 「私のこれは、“死壊”といいます」 ためつすがめつしていたが、つまらなさそうに放り投げた。 「天輪」 静かな声に、光秀ははっと顔を向けた。 「天輪…」 なるほど、彼らしいと思う。 「天の日輪ですか…ふふふ、それはいい…」 元就が太刀を抜くのと、光秀が身を翻して断崖に身を投じるのとは、同時だった。 黎明の深い暗闇に、哄笑が吸い込まれていく。 「逃がしたか…」 元就は忌々しげに呟いた。 明智氏は、軍勢としては壊滅した。 再び興ることはできまい。 しかし、光秀は生き延びるだろうと、元就は苦い確信とともに理解していた。 |