長編「落月賦」

□二河白道
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「すまない、あれがこんなことを仕出かそうとは、思ってもみなかった」
深々と平伏した後、顔を上げれば、案の定、元就は冷ややかな眼差しを向けている。

――ぬけぬけと…。瀕死の毛利家当主の容態を窺い、あわよくば出兵を目論んでいたであろうが。

本人は黙っていても、苦々しげに嘲笑う声が聞こえてくるようだ。
腹に一物持つ者同士、こんなところだけはよく似るのだな、と、半兵衛は妙に感心してしまった、
「どうしても、豊臣に付く意思はないのかい」
「己に酔うた者の言葉など、信頼するに値せず。それだけだ」
「…僕たちは、極めて理性的に動いているつもりなんだけどね」
「貴様ら一代限りならば、その理想とやらにも邁進できよう。だが、それだけ」
数代の後には跡形もなく失せ、その名は残れども、子々孫々すら無い。
それが天下に臨んだものの末路だ、と元就は言う。
「日の本の外まで眺める目はあっても、己の足下を省みる頭が無ければ、磐石の土台など築けぬ。まして、政など片腹痛いわ」
それは、中国九カ国、大小数十の領主を束ねてきた毛利元就の、率直な感慨であろう。
今でこそ毛利家は中国全土に君臨しているが、一昔前は豪族の連合領主といった立場をとっており、豪族たちもしばしば、威を伸張する毛利家に反抗した。
それを抑圧し、徐々に従属させていくことは、東から西まで割拠するあまたの大名を従えることと、本質的に同じだと思っている。
「君とは、どこまでも意見が合わないね」
「国を率いる身であれば、確固たる意思を持っていて当然」
故に、強すぎる理想は、統治に当たって反発されやすいのだと。
「…僕は、君のことを“何も求めない人間”だと評価したね。我ながら鑑識眼はあるものだと思うよ」
「当主とは、己に望んではならぬもの」
では、元就自身は何のために生きているのか。
喉から出そうになった言葉を、半兵衛は諦めた。
そんなことをすれば堂々巡りだ。
言葉でやり込める自信はあるけれど、そんなものに意味は無い。
「本当に、君は何も持とうとしないんだね」
「あれと同じことをぬかすか…」
「君が持っているとすれば、“毛利”だよ。“毛利”の名が持つ全ては君のもので、だけど君だけのものじゃない。君もそれをわかっていて、求めない」
「今更、何を」
「物事の整理には、口に出すことも重要だよ、元就君」
「口を閉じよ…」
そう言って、軽く目を伏せた。

元就の口数が少なくなってきた。
物言いは普段と変わらずとも、彼は深手に臥しているのだ。
辞去しようとする時を見計らったかのように。
「竹中」
彼は話しかけてくるのだ。
「何かな」
「お前たちの王道楽土は、光が強すぎる」
そんなことを言った。

夜が無い。
身を休め、心を憩わせ、己を省みる時が無い。
輝かしい威光で進み続け、広がり続ける、その強烈な輝きだけが尊ばれる。
王道楽土は全ての生命を保つ常寂光であるというが。

「日輪は、月輪あってこそ、尊い」
「君がそんな理知的な信仰心の持ち主とは思わなかったよ」
「豊臣が昼であれば、お前は夜だ」
「…君は人の話を聞かないほど、衰えたのかい」
半兵衛の露骨な皮肉をさえぎるように、細い声が続く。
「清濁全てを白日の下へ晒す昼、全ての汚濁を包みながら静かな夜」
「汚れ仕事は僕の領分だよ、口を出すべきは君じゃない」
「だが、お前は夜であることを捨てた」
沈むのを厭い昇り続ける昼に合わせて、己の領分を忘れた。
「いずれ“楽土”の民は天に焼かれ、疲れ斃れる」
「君の目にそう映っても、僕の目にそう映るとは限らない」
「そうであろうな」
会話に疲れたのか、元就は目を閉じた。
熱の有無を確かめる半兵衛の手も、払わなかった。
「今度こそ、帰らせてもらうよ」
「好きにせよ」




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