桜の木の下で

□記憶
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乾いたひんやりとした風に吹かれ薫は目を開けた。

「草原…?」

そこには、現実のものとは思えないほど美しく広大な草原が広がっていた。
そこに、再び心地よい風が頬を撫でる。
ふわりと柔らかな風に導かれるままに薫の意志に関係なく足が動いた。
ただ、薫にはそれが当たり前でこの先にいる誰かに会わなければならない気がして…

どのくらい歩いただろう

時間の感覚をなくして薫は風の赴くままに歩を進めていた。

だからといって風景が変わるわけでもなくただただ広い草原を歩くのみ。

それなのに不思議と疲労は微塵も感じなかった。
何せ足取りは徐々に軽さを増しているのだ。
遊び回って自分の家に帰る子供のような感覚。


しばらくすると先の方に一軒の廃屋のようなボロボロな屋敷が見えた。
足がその屋敷に向かっているのは明白で徐々に歩く速度が上がっている。
近付くにつれてその屋敷の勝手口の柱に凭れ掛かる少年が灰筒を吸っているのが見えた。
薫が注意しようと口を開くとそこから出たのは注意の言葉ではなかった。

「久しいな」

自分の口から出た言葉で薫は目を見開いた。
旧友に久しぶりに会った時のような柔らかく優しい言葉。
なぜ自分の口からそんな言葉が出てくるのか薫は分からなかった。
その声に勝手口に座る少年は灰筒から煙を吸い吐き出すとチラリとこちらを横目で見遣ると手を振った。

「晴明。相変わらず独りなのか?」

「余計な世話だ。私は自ら好いて独りなのだ」

さっきの優しい言葉を話した口から今度は慇懃無礼な言葉が飛び出す。
それに少年は驚くでも、怒るでもなく訂正する。

「変わらないな。独りは楽しいか?」

「分からんよ。槝(かし)、お前がやって来るから本当の独りではない」

「では、俺に来るなと?」

「そうずっと前から言っているはずだが?」

「それはそれは丁重にお断りするよ」

はにかむ槝に少年は苦虫をかみつぶしたように眉間に皺を一瞬寄せて薫いや、槝を睨んだが、また在らぬ方向に視線を移し灰筒を吸い煙を吐いた。
そこでやっと薫はこれが多分、槝と呼ばれた少年の記憶だと気付いた。
自分が今は槝という少年の記憶を見ているということもだ。
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