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□Irreplaceable
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皆が出て行ってしまって、俺は一人で部屋に取り残されていた。正確には一人ではないのだが、その相手が物言わぬ青の機体では、ものの数にも入らなかった。
エックスは、まるで凍りついたように静止していた。睫[まつげ]の先ほども微動だにしない。こうしてみると、エックスの顔はいかにも作り物じみて見えた。動かぬ表情は、白く不気味な仮面のようだった。
こんな美しい人形を、俺はいつまでも見ていられる自信がなかった。エックスというのは、いつでも睨んだような目をしていて、たまにへらっと笑ったり、歯をむき出したり、目をギラギラさせて何か叫んだりしているものだ。
なぜ起きない。俺は舌打ちをして頭を抱えた。こんなどうでもいいことで、壊れるようなおまえじゃないだろう。
と、抱えた頭の中で、ふいに文字通信のアラートが鳴り響いた。
「くそ、誰だ」
誰だ、こんなときに呼び出す奴は。俺の仕事は全部片づけてきたのに、まだ何かやれというのか。独白に苛立ちが混じる。厭々ながらも回線を開くと、視界に被[かぶ]さるようにして、眼球の表面に通信文が展開した。

"やあ ゼロ_ "

「──エックス」
俺は思わず立ち上がった。あろうことか、目の前の本人からの通信だ。あわててエックスの顔を見やったが、先刻と変わらず1ミリも動く気配がない。しかし、送信時間はたった今、間違いなく現在時刻だ。
「おい、なんだこれは。どういうことだ。エックス」
即座に次の通信文が展開した。

"そんな大きな声を出さなくても 聞こえているよ_
衝撃の負荷で一時的にコマンドを受けつけないみたいだけど エラーも出てないからすぐ戻ると思う_
みんなは_ "

自分のことは1行きりで、「みんなは」ときたものだ。もっとなにか他に言うことはないのか。他にも言いたいことは山のようにあったが、こいつも同じように考えているだろうと思ったので、先に現状を説明してやった。
「‥‥ビル爆破未遂事件。死者、重傷者なし。かすり傷程度の軽傷者数名。ただし、なぜかハンター1名が機能停止で搬送。ビルの一角が小火[ボヤ]になったが、すぐに消し止められた。爆弾魔は御縄になって、警察[シティポリス]に引き渡し。報告は以上だ。第17精鋭部隊隊長[コマンダー]・エックス」
ことさら淡々と告げると、のろのろと文字が浮かび上がった。

"怒っているのか ゼロ_ "

もうがまんできない。
「馬鹿野郎──ッ」
とうとう怒鳴ってしまった。動けない奴を怒鳴ってどうすると思ったが、溢れる怒りが止められなかった。
「なにをやっているんだおまえは。ビルに仕掛けられた爆弾抱いて、そのまま一緒に爆発しただと? どうしてそんなことをしたッ。いくらおまえが頑丈だからって、できることとできないことを考えてから動けと、あれほど‥‥」
動かぬ機体を前に一人で怒鳴っていると、目の前に、信じられないような言葉が浮かび上がった。

"ハイパーギガクラッシュ ねらってたんだ_ "

「は、‥‥、────」
あまりのことに二の句が継げない。言葉を失うのはこれで二度目だ。怒りのやり場がなくなった俺は、息を弾[はず]ませて壊れたように口を開閉した。
エックスはまだ動かないが、平時であれば、胸をはって堂々と言ったにちがいない。その様子が目に浮かぶようだった。ハイパーギガクラッシュか。まったく、なんということを考えるのか。
たしかに、できない話ではない。一瞬にして周囲を殲滅させるエックスの「ギガクラッシュ」は、その派手さからエネルギーの放出ばかりが着目されがちだが、正しくは「エネルギー吸収」そして放出という過程をたどる。アーマーが受けた攻撃エネルギーを吸収・蓄積し、再び攻撃エネルギーに変換して一気に放出しているのだ。さらに、ハイパーギガクラッシュのプログラムなら、特殊装甲がなくとも発動させることができる。エックスは、とっさの判断で、アーマーに爆発のエネルギーを吸収させようとしたのだろう。

"時間もなかったし 処理班も間に合わなかった_
町一つ吹っ飛ばす程度のエネルギーなら 吸収できるとわかっていたから_ "

吸収‥‥できないこともないが、この惨状だ。受容しきれなかったエネルギーはビルの天井に穴を開け、エックスの顔と装甲を焼いた。黒くえぐれた眼窩[がんか]の底に、焼け焦げたガラス玉の破片が嵌[は]まっていたことを思い出す。俺はかぶりを振って、脚立にどさりと腰掛けた。頭を抱える。はからずも、初めと同じ格好になった。
これでやっとわかった。爆発を起こしていながら死者もなく、大きな被害もなかった理由──ただ一人エックスだけが機能停止の重態だった理由が。皆が偶然助かったわけでも、爆弾が小さかったわけでもない。
エックスがすべてを吸収したのだ。
「‥‥無茶しやがる」
少しでも間違えば、頭ごと粉々に吹っ飛ばされていたかもしれない。そう思うと、今更ながらに寒気がした。
たとえ機体が粉砕しても、頭脳回路さえ守られれば俺たちは「生きている」。だが、頭脳が失われれば、二度と取り返しがつかないのだ。
大丈夫、ちゃんと頭は反らしたから、と感情の感じられない文字が言って、俺は溜息をついた。胸から顎にかけての欠損が激しかったのは、そういう理由だったのか。もはや、何をか言わんや、だ。

言うべきことも底をついたかと思ったとき、ふと重要なことを思い出した。どうも今日は呆れることばかりだ。
「だいたいおまえ、なに真っ先に俺に連絡してるんだ」
ラボでもメカニックでもいい。少しでも機能が起きたのなら、もっと先に連絡すべきところがあるだろうが。呑気に俺なんかと通信してる場合か。おまえ、自分の立場というものを理解しているのか。まくしたてると、なめらかな速度で視界の中に文字が流れた。

"わかってるさ_
いまの自分が ちょっぴり私情を優先させても 許されるくらいの立場にあるってことはね_ "

やれやれ。いつにもまして強気なことだ。この調子なら、もう今日明日のうちにもまた事件だといっては飛んでいき、出撃だといっては飛び出していくようになりそうだった。
「また来る」
こいつが無事なら、もう用はない。これ以上ここにいると、なにか妙なことを口走ってしまいそうな気がして、早々に退散することにする。帰りがけにダグラスに声をかけておこう。
だが、立ち上がろうとした俺の目に、初めてはっとするような弱気な言葉が浮かんだ。

"かおを みせてくれ_ "



  ◇ 



ゼロの怒鳴りちらす声を、おれはちょっと新鮮な気持ちで聞いていた。隊長まで昇りつめて以来、誰かに怒鳴られることなんて、ずいぶん久しぶりのことのような気がしていた。
重篤な死傷者がなかったと知って、安堵する。上出来だ。悲しい出来事はいつまでも忘れられないが、ことさら手柄を覚えておいて誇ろうという気持ちもない。おれにとっては、今回の事件のことや負傷でうけたダメージよりも、たった今ゼロと話しているという事実のほうが重要だった。
機体がコマンドを受けつけるようになるまでには、まだ少し時間がかかるようだ。
今の姿勢では、機器の吊るされた天井ばかりがくっきりと視[み]えていた。センサの視野の端には、おれよりわずかに体表温度の高い熱源反応が、身振り手振りをまじえて動く様子が流動体のように映っていたが、いかんせん視点が動かせないため、細部の形をハッキリととらえることはできずにいた。とらえたと思っても、すぐに崩れていってしまう。ぼんやりとした白線だけが、流れるように変化する。ゼロが帰りそうになり、おれは急いで言った。──かおを、みせてくれ。

"ここからじゃ ほとんど視えないんだ_ "

おれの言葉に、白黒[モノクロ]の輪郭線の集合体が立ち止まる気配がした。後ろ姿の輪郭が、一瞬きれいな線を結ぶ。そのまましばらく止まっていたが、やがてゆっくりと接近してきた。おれのポッドの横に立ち、上から顔を覗き込んでいるようだ。少し間をおいて焦点が合い、暗黒の世界に緑のラインが走り始めた。
真っ黒な視界いっぱいに、青緑色の網目[あみめ]でゼロの顔が詳細に描かれていく。まばたきなのか、ときおり両目のあたりを短い線が横切っていく。高くとがった鼻、うすい唇、彫刻のように整った顔立ちが、立体的な線で視野いっぱいに映し出された。‥‥しかし、これはいくらなんでも近づきすぎではなかろうか。ひょっとしてこれは、と妙なことを考えそうになったところで、突然、手の指とおぼしき物体が至近距離に迫り──次いで真っ白な光が片目の視野を灼[や]き、すぐに真っ暗に戻った。一瞬、輪郭ではないフルカラーのゼロの、穏やかな微笑が見えた気がした。
「──ああ、ちゃんとミドリだ」
満足げに呟く声がした。
ゼロの気配が離れていく。身体の奥で、眠っていた動力炉が、ゆっくりと拍動を始めたのがわかった。









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