夜の話。 ※やおい注意
らせん状に重なった虹彩が反射的に収縮し、瞳孔が絞まる。 俺の腕のなかでうっとりと死んだように瞑目していたあいつが、突然ガッと目を見ひらいた。
「どうした」
痛かったか、と小声で訊ねる。 だが、エックスは答えず、かわりに指先を耳もとに当てた。
「THIS IS X, GO AHEAD.」 (ハイッ、こちらエックス)
エックスの口から、いきなり場違いな定型文が飛び出した。 何の前ぶれもなく急に冷静モードへ切り替わったエックスを前に、俺はア然とする。 流石はハンターの鑑[かがみ]、プロはこうでなくてはいけない、と思う反面、なにもプライベートでここまでしなくとも、と思うのは俺の我儘だろうか。
「ええ、ああ、はい、はい、了解。今すぐ行きます。‥‥ゼロ」
通信を終えたエックスが、すまなそうな表情で見つめてくる。 俺は片手をヒラヒラ振って「サッサと行け」という仕草をしてやった。
まあ、その「サッサ」に「シッシ」と追い払う気分が多少混ざっていたことは否定しないが、あろうことか夜の夜中に通信がきて、始めたとたんにやめさせられて、いいところだったのに取り上げられて、当分放ったらかしにされる俺の気持ちも少しはわかってくれ。 夜に夜することをして何が悪い。つまり俺たちは悪くない。悪いのは、時間も空気もサッパリ無視して割り込んでくる呼び出しだ。
そうして、よりによってこのタイミングで通信を寄越す本部への悪口雑言を俺が内心で並べ立てている間にも、 ばたばたとエックスは仕度[したく]をし、適当に身体を拭い、ボディスーツをかき集め、アンダーを無理やり穿こうとして四苦八苦している。 俺は、床に散らばった(正確には俺が散らばした)エックスのアーマーを拾い集め、装着する順にあわせて次々と渡してやった。
四十秒もしないうちに仕度は完了し、エックスはガッショガショと金属音を立てながら部屋を出ていった。 すぐさまギュインと全開ダッシュの音がして、あいつの気配が遠ざかる。
やれやれ。宿舎の壁には「廊下を走るな」と書いてあるんだがな。 とりあえず、地上階へ向かって窓から飛び下りなかっただけでも、良しとすべきなのかもしれない。 本部の広い廊下は走って良いことになっているが、宿舎の通路は狭く、滞在者は非番が前提ということもあり、──とはいえエックスに轢かれたくらいで煎餅[スクラップ]になるような軟弱ものはここには居ないから、まあ問題ないだろう。
エックスほどのハンターともなると、非番でも呼び出しを食うことが間々ある。実力への評価の裏返しでもあり、それについて不満に思うことはあまりない。とはいえ、これほど間の悪い呼び出しもまた珍しかった。 いま何時だと思ってやがる、といまさらながら嘆いてみても仕方がない。地球規模で活動を展開するハンター本部は、時差や日付変更線の壁をいともアッサリと飛び越えてくる。転送装置システムの発展に伴って、組織が有する活動範囲も旧時代では考えられないほど広かった。
しかし、極限まで発達した空間移動のテクノロジーとは対照的に、時間を移動する方法は未だに発見されていない。 論理的には、光より速く移動すれば未来へ行くことができるが、最先端科学の結晶たる物質転送システムも一秒で地球を七周半できるほどの速度は持ち合わせておらず、たとえそれができたとしても、この宇宙に存在するあらゆるものは、未来へワープすることはできても過去へ戻ることは絶対的に不可能だから、いまの俺にとっては何の意味もない。 つまり、いま出て行ったエックスが、長期に及ぶ任務を終えて「いま」ここへ戻ってくることは不可能なわけで、そうこうするうちに此方も任務が入るやも知れず、すなわち俺は、少くともこのさき数週間、ふたたび寂しい独り寝の運命を決定づけられたということだ。
そんな俺がいまできることは、ほんの数分前までエックスが寝ていたこのソファベッドで不貞寝を決め込むことだけだ。 どさりと気怠い身体を投げ出し、体内に燻[くすぶ]る火種を抱え、せめて夢のなかにエックスがでてきてくれることを願いながら、俺は暗闇のなかで目を瞑った。
----------------- …って始まるような長編を書いてみたい。
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