06/28の日記

22:27
※ / もしも願いが叶うなら、私は貴方に謝りたい / シリアス / 未彩、ロンナ
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【もしも願いが叶うなら、私は貴方に謝りたい】

「よう。」

自分の背後から聞こえてきた、忘れもしないあの声。
久しぶりに聞いたその声に、彼女――清上院 未彩は戸惑いを隠しきれなかった。
焦って背後へ振り向いて、声をかけてきたその人物が誰なのかを確認した瞬間、未彩の心臓は一際強く脈打ち、その衝撃を全身に伝える。

「旗……見……?」
「清上院、久しぶりだな!」

未彩がその名前(といっても、名字だが)を口から零すと、相手も未彩の名前(こちらも名字ではあるが)を口にして、ニカッと白い歯を見せながら悪戯っぽく、けれど爽やかに笑った。
その笑顔は未彩の脳裏のもう遠い記憶の中のそれから全く変わった様子がない。
嗚呼、嬉しい、と未彩は思った。
此処が何処で、今が何時で、何故自分と旗見という人物が此処にいるのかを考えもしないまま、六年生を過ごしたあの町の小学校ではない、何処かもう遠いの街の住宅街にある小学校の正門の前で。
雲が僅かに浮かぶ晴天に近い晴れ空の下、旗見という人物は未彩に片手を差し伸べる。

「行こうぜ、清上院!」

旗見と言う人物は、何処に行くかは明言しなかったが、未彩は何となく自分と旗見と言う人物の馴染みの深い場所を目指すような、そんな気がした。
どうしてそんな気がしたのだろうかなどという事を、未彩はまだ考えない。
ただ、旗見と言う人物が自分に手を差し伸べてくれた事がとても嬉しくて、嬉しくて、嬉し過ぎて、自分の顔も笑みをかたどっていくのを感じる。
だから、未彩は旗見と言う人物の手に自分の手を重ねると、飛び切りの笑顔で、

「……あぁ! 行こう!」

と返事をした。
そして二人は走り出す。
未彩は、走った先には何があるのだろう、という期待で胸を満たしていた。
だが、十メートルほど走ったところで不意に未彩の足が遅くなる。

「は、旗見、少し速さが……!」

追いつけない、置いて行かれる、と未彩が不安に思ったその瞬間、強く握り合って繋いでいたはずの手がするりと抜けるように解けた。
それに驚いて未彩は目を見開く、すると本来いつも以上に鮮明に見えるはずの景色が突如歪んで、未彩を置いて走り去る旗見と言う人物の姿さえも上手く捕らえられなくなってしまう。
どうして、何故こんな事に? と焦りながら、未彩は旗見と言う人物の背中に叫ぶように呼びかける。

「旗見っ!!」

だが、旗見と言う人物が未彩に振り向いてくれることは無かった。
視界はさらに歪んで、もう空の青色ぐらいしかわからない。
旗見と言う人物の背中ももう見えない。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、行かないで、置いて行かないで、と叫びたくも、何故か声さえ出なくなっていて、そのまま世界は真っ黒になった。
まるで目を閉じてしまったような先の見えない黒が怖くて、未彩はそれさえも見たくないと言うようにぎゅっと目をつむり、そして、


そして、本当の世界でその目を開いた。


季節は春と夏の狭間、梅雨の蒸し暑い空気がエアコンのついていない部屋を襲う頃の午前十時、未彩は明かりのついていない自室で、ふと自然に目を覚ました。
視界にはもう外の景色ではなく、自室の景色と言う名の壁の色だけが映っている。
その壁の色で、未彩の思考は夢から完全に脱し、現実へと帰還した。
寝相が悪かったのか、近くに置いた扇風機が悪かったのか、それとも他に理由があったのかどうなのか分からないがぼさぼさになった上に若干の汗で顔に張り付いている長い黒髪を手で除けながら、未彩は上半身を起こす。
PETのアラームやロンナの声に叩き起こされた訳では無い為か、体に前日までの疲労感は残っていない。
だが、未彩の表情に清々しさや晴れ晴れとした雰囲気はなかった。
未彩は、頭の中でそっと夢の残滓を辿り、声に出さずにその名を呟く。

――……旗見、マサナ……。――

それはもう、実に八年は会っていない人間の名前だった。

旗見 マサナ、それは、未彩が小学一年生になってから小学六年生を終えるまでずっと、未彩と同じ学校の、同じ学級に在籍していた男子生徒である。
マサナの性格は簡潔に表現するなら“未彩が入学した小学校の光 熱斗”と言ったところで、未彩が小学一年生から小学六年生の途中までを過ごした小学校の、その中でも未彩がいた学年の太陽的存在だった。
何をやっても周囲からのウケがよくて、常に人を笑わせていて、それでいて真面目な部分もある、という小学生の理想像といったところを地で行くのがマサナだった。
その性格は未彩のしばらく後に秋原町に引っ越して秋原小学校に転入してきた時も変わらず、マサナは熱斗に続くクラスの太陽的存在となっていった。
その光景を、未彩は今もよく覚えている。

未彩はベッドから床へ足をおろして立ち上がると、反対の壁際にある大型の机の上に置かれたノートパソコンの電源を入れた。
パソコンのUSBポートに繋いだままのPETの充電器のコードから、充電器に立てかけてあるPETに電気が走り、未彩が起きた事に気が付いたロンナがPETの画面の電源を入れ、自身の顔を映す。

「おはよう、未彩。」
「……あぁ、おはよう。」

いつも通りの涼しげな表情で挨拶をしてきたロンナを横目に確認しながら、未彩はパソコンの立ち上がりを待つ。
最近のパソコンは優秀なもので、昔に比べると起動までの時間が格段に早くなった。
そのせいなのか、最近のロンナは未彩が自身に視線を向けずにパソコンの画面を見たまま挨拶をしてもさほど不機嫌にはならない。
昔は、ちゃんと目を見て挨拶をしてほしいだのなんだの言っていた気がするが、いつから言われなくなったのだったか、もう思い出せない。
だから未彩は、今日も特に何も言われないまま作業(と言っても、ニヤニヤ動画を漁るぐらいしかすることは無いのだが)に没頭できると思った、が、今日はどうやら違ったらしい。
パソコン画面を見つめたままの未彩をPETの中から見つめていたロンナが突如口を開く。

「未彩、なんだか元気がないね。どうかしたの?」

その言葉に、未彩は一瞬ギクリとして固まったが、ここで下手な態度を見せてはロンナの追及から逃れられなくなるというのは嫌と言うほど知っている事なので、すぐに平静を装って、すでに立ち上がっていたパソコンの操作に移り、Webブラウザを起動した。
何も聞いていなかったフリをしてパソコンを弄る、ニヤニヤ動画を開く、お気に入りのゲーム実況者の最新情報をチェックする――。
だが悲しいかな、未彩は動揺のあまり、こういう場合は無視も反応の一つという事を忘れていた。
そんな未彩の態度を見て、これは何か隠しているなと確信したロンナはまさにニヤニヤという表現が似合う表情を浮かべて、未彩に質問攻めを行う事にする。

「怖い夢でも見た?」

未彩は反応を見せない。
表情筋が微動だにしていないところを見ると、怖い夢を見たわけではなさそうだ、それならば、と考えるロンナの質問攻めは続く。

「じゃ、人には言えないような恥ずかしい夢でも見た?」

これもやはり未彩は反応を見せない。
どうやらこれも違うようだ、というか、これは正直そんなに確率は高くは無いと思っていたから、前置きに過ぎないのだが、とロンナが考えている事を未彩はまだ知らない。
そしてロンナはそれまで若干未彩をからかっているような雰囲気だった表情に僅かな陰りを滲ませると、ついに一言、

「……懐かしい人の夢でも、見ちゃった?」

と言った。
パソコンのキーボードを叩く未彩の指が一瞬止まって眉間にシワが寄り、しかしそれはすぐに元に戻って手の動きも再開させる。
未彩は上手く取り繕ったつもりかもしれないが、本当の事を言われた事でほんの一瞬だけ頭の中が真っ白になったその反応を、ロンナは見逃さない。
やはり原因は此処にあったか、と確信するロンナは、更なる質問攻めを展開した。

「当たりみたいだね。ねぇ、それって誰の夢? 熱斗くん、はまだ少し交流あるもんね。となるとリエイちゃんも違うよね。じゃあ、メイルちゃんかな? それとも真波ちゃんかな? デカオくん? 秋斗ちゃん? 透くん? 優斗くん? 炎山くん? 冷亜ちゃん? やいとちゃん? 実由斗ちゃん? ライカくん?」
「ロンナ、そういう話は……」
「SearchさんやAriaさんも最近交流ないよね。あと、他には――」

未彩はしばらくの間は無視を貫き通していたが、やがてロンナのしつこさに気が滅入ってきたのか、そういう話はやめろと言いかけた。
だが、ロンナはそれを無視して、今まで未彩に関わったことがある人物の名前を挙げ続ける。
未彩は小さく溜息を吐いた。
パソコンの画面はニヤニヤ動画の視聴履歴とおススメ動画の紹介を映している。

「光博士とか名人とか、その辺ももう随分関わってないけど、未彩がそんな顔する原因になるような人達じゃあないよね。となるとー……」

直感的に、これは言われる、と思った未彩はその口を直接塞ぐ代わりに、パソコンを通したPETの強制シャットダウンのプログラムを起動する。
これはPETが鳴ってしまってはいけない時に使う事がほとんどなのだが、未彩はこうしてロンナの口を塞ぐためにも度々使用していた。
それがロンナに、未彩の弱さを浮き彫りにして見せてしまっているという事に、未彩はまだ気づいていないようだ。
ともかく、未彩は今回もこのプログラムによる会話の強制終了に逃げる事にした。
だが、未彩がシャットダウン実行のボタンをクリックするよりも早く、ロンナは言い切る。

「やっぱりマサナくんかな? フフッ。」

ロンナが笑った瞬間、未彩はようやくシャットダウン実行のボタンをクリックする事が出来た。
パソコンの画面の中に表示されている小さなウインドウに、PETシャットダウン中……、の文字が表示されて、次の瞬間PETの画面から黄緑色の光とロンナが消える。
そして、パソコン画面の中に表示されている小さなウインドウには、PETシャットダウン完了、の文字が表示された。
未彩は長く大きなため息を吐く。
そして椅子から立ち上がり、ベッドの上に放置されていたエアコンのリモコンを手に取って、ようやく冷房をつけた。
ロンナはきっと今頃、最低限の電流しか流れていないPETの中でクスクスと意地悪く笑っている事だろう、そう考えるとなんだか気分が悪い、少しイライラする。
その苛立ちをぶつけるかのように、未彩はエアコンのリモコンをベッドの上に抛ると自分もベッドの上に乗り、体を投げ出すように横になった。
思い出すのは、先ほどまで見ていた夢の事だ。

どうして夢と言うものは、滅多に夢だと分からないのだろうか。
空を飛ぶ、とか、水の中なのに呼吸ができる、とか、本来実在しない人物が現れる、とか、そういうものがあればまだ気づける時もあるが、基本的に夢というものは現実離れをしながらも現実に則していて、それが夢である事を気づかせてくれない。
そしてそんな時は、夢を現実だと勘違いしている時は、大抵自分はその夢に呑まれて、自分が今現実でどんな立場なのかを忘れている。
現実にはすでに過ぎ去った季節が、夢の中で再構築されて、少しの現実離れと共に現実味をもって押し寄せ、それが実際であるかのように錯覚させる。
未彩は、それが気に食わなかった。

確かに、完全に作り物かといえば、そうでない部分もある、というのは未彩も分かっている事である。
だが、だからこそ、それが押し寄せた時の自分の感情に嫌悪を感じずにはいられないのも事実だ。

未彩は改めて先ほど見た夢を思い出す。
秋原小学校以上に懐かしい、古めかしくて少し汚れたクリーム色の単純構造のあの校舎は転校前にいた小学校のものだろう、周囲も秋原小学校のある住宅地ではなかった気がする。
となるとあの夢の中の自分は小学生の、その中でも六年生よりも下の学年だったのだろうか?
いや、それは少し考えすぎかもしれない、確かに場所は小学校の前だったが、自分はその校舎の中に入ってはいなかったし、明確に小学生だと分かる要素は無かったと思う。
だが……登場人物を考えると、やはりあの夢の自分は小学生だったのではないだろうかという気がして、未彩は逆にあの夢の自分が今の状況そのまま、つまり大学生(しかも高校で一年間留年済みの)だとしたらというケースを考える。
それは、吐き気はするほど気持ちが悪い結果を未彩の前に導き出した。

何故その仮定が吐き気がするような結果を未彩の前に見せつけるのか、その理由は至極簡単である。
それは、あの夢の中の未彩が、夢の中の旗見という人物――マサナに名前を呼ばれ、手を差し伸べられたことを喜んでいたからである。
それを思い出した瞬間、未彩は反射的にあの夢の中の自分が今の自分と同じ自分である可能性を打ち消した、否、打ち消したがった。
その更なる理由は、未彩とマサナの関係の始まりと終焉に隠されている。

未彩とマサナが出会ったのは小学一年生の頃だが、最初の頃は未彩もマサナも互いの存在を特別気にかけるようなことは無かった。
一年生になって最初の頃は、マサナは勿論未彩も、割と平穏な人生を送っていたからだ。
だが、一年生になってしばらくした頃から、未彩の側にある問題が生まれ始めた。
未彩はそれを未だに忘れられないのか、今回マサナの夢を見たのと同様に、まだたまに夢に見る事がある。
そしてその場合、未彩は今回のように夢に見た事を悔やむというよりも、一種のストレスを感じていた。
そう、未彩の側に起きた問題、学校生活でのストレス倍増の原因とは、一種の虐めだった。

……と言っても、それは所詮小学生男子、しかも低学年のやる事である、ドラマで見るような陰湿かつ過激なものではなく、例えば面と向かって不細工だとかデブだとか、はたまたそれらを合わせたデブスだとか、そんな事を言ったりする、今にして思えばたいしたことは無いかもしれない程度のものだ。
他のやり口だって、せいぜい未彩をバイ菌扱いして遠ざけてみたり、未彩が触ったものを“菌が付いた”と言ってみたり、未彩が嫌いな物――この場合は虫全般なのだが、そういうものを調達してそれを未彩の机に置き、未彩がそれを嫌がって払いのけたら“虫が死んだ”と難癖をつけてみたり、排泄物のマークが描かれたシールを未彩の机や椅子に貼ってみたり、後は王道の“死ね”発言だったり、その程度のものである。
それに、ドラマによくある弱々しく可哀想な被害者と違って、未彩は気が強いタイプだ、悪口を言われれば“黙れ”と叫び、バイ菌と言われれば“いい加減にしろ”と言い、死ねと言われれば“お前が手本を見せてみろ”と言う事ぐらい容易かった。
だが、今になって思えば、それらは全て無意味な行動だったかもしれない、と未彩は思っている。
未彩の気が強い事で、教師達はそれを虐めだと認識する必要性を薄く感じてしまうし、未彩と男子達が言い争っている場面を見た同級生たちは皆、“未彩が”黙ればいい、“未彩が”煩い、などと女子すらも口々に言い、結果として加害者の男子たちの肩を持ち続けた。
そうして未彩は徐々に、クラスの厄介者という立場が常になってしまっていった。
今になって思えば、それがどうした、という話かもしれないし、もっと壮絶で取り返しのつかない虐めを受けた人間はたくさんいるだろうと未彩も思っている。
けれど、当時は辛かった、その辛さの中で唯一の光となってくれたもの、それは、教師でもなければ両親でもなく、ただ一人、唯一中立と未彩の味方の中間程度の立場を保ってくれた少年――つまりは、旗見 マサナだったのだ。

それは小学二年生の頃だっただろうか? それとも三年生の頃だっただろうか? 少なくとも四年生になる前には始まっていた気がする、と未彩は振り返る。
男子が未彩に悪口を浴びせて、未彩がそれに反論していると、マサナが他の生徒達とは少し違う、未彩ではなく相手の男子を黙らせる形で仲裁に入るようになってきたのだ。
勿論、マサナも未彩に男子達を無視するように言わない訳では無かったが、それでも初めて現れた味方寄りの中立に、未彩は心を救われた。
それが、未彩とマサナが友人程度に距離を縮めた(と、当時の未彩は思っていた)きっかけだった。
そしてそれが、ただの友情から好意に変わるまで、そう長い時間はかからなかったことを、未彩は覚えている。
それ以降、学校ではマサナの近くにいる時が一番楽しかった、という事も。
マサナと話す事が好きだった、共通の話題を持てた時には楽しくて仕方なかった、下校時に“一緒に帰りたい”と声をかけると快く“いいよ”と応えてくれた事が嬉しかった。
未彩が、秋原小に行く前までの小学校での楽しかった思い出は何か、という事を訊かれたなら、未彩は間違いなく、マサナとの会話や下校を例に挙げただろう、というくらい、未彩はマサナが好きだった。

しかし、それは飽く迄も未彩の側からの感想でしかない事を忘れてはいけない。
クラスの中で厄介者のポディションに立たされていた未彩は、もしかしたら他者との関係に飢えていたのかもしれない事も忘れてはならない。
未彩にとってマサナは唯一無二の尊敬できて信頼もできて、恋情すら抱ける同級生だったかもしれないが、マサナにとっての未彩は、そんなものでは無い事を忘れてはならない、と、今の未彩は知っている。
八年前、小学校の卒業式の後、まだ今よりもずっと古かったPETのメールで伝えたその恋情に、“友達でいよう”と返したマサナの想いが、あの時はまだ振られた程度の事しかわからなかったが、今なら全て分かる、と未彩は思っている。

結局のところ何がどうなのかというと、マサナが未彩に対して思っていた事は、飽く迄も同情でしかなく、同時にマサナが未彩を守った理由はその同情からくる正義感でしかなかった、と言う事を、今、未彩は静かに感じている。
だから未彩は、その失恋から八年もたった今も自分がマサナを想っているかもしれないという事実に吐き気を感じたのだ。

そう、もしあの時あの夢の中で、マサナに手を差し伸べられた事を喜んだ自分が小学生ではなく、大学二年生の、現在の自分だったなら、未彩は未だにマサナを想っていて、その手を、存在を、欲している事になる。
だからあれは現在の自分ではない、決して現在の自分ではない、と、未彩は必死に夢の中の自分が現在の自分である可能性を否定したのだ。
そうだ、あれは小学生の自分だ、まだマサナに振られる前の自分だ、だから、今の自分じゃない、小学生の自分という役に甘んじていたからマサナが自分を見てくれたことが嬉しかったのだ、そうに違いない、たとえ違ったとしても、そう思わなければ、自分は、自分は……。

「未彩ー? 起きてるー?」

ふと、ベッドに密着させていない片耳に、やや呑気な少女の声が聞こえて、未彩はハッと現実に引き戻された。
驚いて上半身を起こし、声のした方を見ると、先ほど無理矢理シャットダウンしたはずのPETの電源がついていて、机の上に小さなホログラムでロンナが立っている。
何故、どうして、お前は先ほど強制シャットダウンで……と未彩が混乱した表情を浮かべていると、ロンナがクスクスと笑いながらその訳を教えてくれた。

「フフッ、焦ってたんだね未彩。強制シャットダウンと同時にしなきゃいけないはずの、強制ロックと強制スリープを忘れてたよ。」

それを聞いて、未彩はあっと思い出した。
この強制シャットダウンには付属機能として強制ロック――ネットナビが勝手にPETの電源を点けなおす事が出来なくなるシステムと、強制スリープ――ネットナビを強制的にスリープモードにするシステムがあるのだが、未彩は焦るあまりその二つを併用する事を忘れていたのだ。
だからロンナは微弱な電流が流れるPETの中で活動を続け、シャットダウンからしばらくたった今、唐突に電源を点けて未彩を驚かせたという訳だ。
そしてロンナは未彩の返答を待たずに話を続ける。

「嫌な夢、見たんでしょ? まだ寝ない方が良いよ、続きなんて見たくないでしょ?」

それはロンナなりの優しさだったのか、それともやはりいつもの未彩の中身を引きずり出す行為に他ならないのか、未彩にはわからなかったが、今回ばかりはロンナの声に救われた気がする、と未彩は思った。
あのまま思案を続けていたら、自分はどんな苦くて不味くて気持ちの悪い結論にたどり着いていただろう、と思うと、ロンナにこのタイミングで声をかけられて良かったような気がしたのだ。
だが、やはりロンナはロンナだ、次の瞬間には悪戯っぽい笑顔を浮かべて、とんでもない質問を投げつけてくる。

「ねぇ、どんな嫌な夢だったの? 教えてほしいなー。」
「……あのなぁお前は……いや、もういい、黙れ。」

未彩はもう一度ベッドに体を預け、ロンナに背を向けた。
するとロンナは珍しく追及を諦めたらしく、何も言わずにPETの中に戻っていく、未彩はその音を片耳で聞いていた。
未彩は背後へゆっくりと振り返り、ロンナがPETの中に戻ってその画面から姿を消したことを確認すると、上半身を起こしてベッドの上に胡坐かいて座り、再び先ほどの夢へと思いをはせ始めた。

そう、こんな夢を見るたびに、未彩は思う事がある。
それは、大人になった今だからこそわかる、当時の自分の鬱陶しさだ。
あの頃、マサナは未彩に対して他の男子のように目立つ文句を言う事は無かった、だから未彩は、マサナには安心して“一緒に帰ろう”などと言う事が出来た。
けれど、今思えばそれは未彩が一方的に楽しかっただけであり、マサナにとっては苦痛、もしくは厄介事だったのではないのだろうか、というのが、今の未彩の抱える不安だ。
唯でさえクラスの厄介者だった未彩、それに好かれることがどれほど厄介な事か、あの当時は考えもしなかったが、今なら考える事ができる。
きっと、マサナは同情と正義感を未彩に見せた事を後悔している、そんな気が、今の未彩にはしているのだ。
そう、何度も言うが、マサナが未彩に向けていたものは、飽く迄も同情と正義感でしかないのだ。
それなのに未彩はそこへ好意を、恋情を返してしまっていた、これは、どれだけマサナにとって重荷だっただろう?
あの優しいマサナの事だ、露骨に未彩を嫌う訳にもいかず、仕方なくそれなりに近い距離感を保ってくれていたのだろう、それを思うと、今の未彩は申し訳なくてしかたがなくなるのだ。
だから、未彩は今、マサナがいる夢を見るたびに思う事がある。



――もし……願いが叶うなら、俺はお前に謝りたいよ、旗見……。――



好きだなんて言って悪かった、近くに居続けて悪かった、迷惑をかけて申し訳なかった、そう謝って、そこで全てを断ち切りたい、未彩は密かにそう思うが、次の瞬間にはその思いにすら否定的な意見が自分の中から飛んでくる。
マサナはもう自分になんて会いたくないだろう、だから謝る機会さえマサナにとっては迷惑だろう、そう思うと、未彩はもう、自分にできる事は何もないと言う事を痛感して、ただ沈み込む事しかできない。
嗚呼、自分は何処まで行っても厄介者なんだな、と思うと、少しだけ、少しだけ鼻の奥がツンと痛んで、目に涙が溜まるのを感じた。


end.

◆◇

とあるゲームを見て以来ずっと思っている事。
正義感や哀れみからくる同情に対して恋情を返す事の愚かしさはこの世の不変。
それでも恋情を抱いてしまった者の、せめてもの懺悔。
嗚呼、貴方を好きになってごめんなさい、私の存在はさぞ鬱陶しかった事でしょう、でももう大丈夫、私はきっと、二度と貴方の前に現れないから。
私も早く、貴方を完全に忘れますように。

(実は最後に会ったのは小六の終わりじゃなくて中三の終わりだか高一の始めだかなんだが、これがまた黒歴史過ぎるのでさすがに伏せましたとかいう。思い出す度に恥ずかしさと情けなさで死ねます、というか殺してくれっ!!(泣叫) あと、俺は中学は転校したけど小学校はずっと同じだよ、転校表現は未彩の設定ゆえだよ。フィクションとノンフィクションの狭間って難しいね!)

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