05/04の日記

02:16
※ / 知らない故の後悔よりも知った故の後悔がしたい / シリアス / 陽狐、熱斗
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【知らない故の後悔よりも知った故の後悔がしたい】

――朝、目を覚まして一番に考えるのは貴方の事ばかり。――

それは、ニホン国に存在する都市であるデンサンシティの中にいくつか点在する住宅地の一つにあり、とある夫婦が住んでいる二階建ての一軒家の中での事。
その夫婦の方割れは、パートナーとは別の寝室にあるベッドの上で、汗と涙に塗れながら目を覚ました。
目を覚ました彼女は、やや緊張感がありつつも呆然としているような不思議な表情をしながらゆっくりと身体を起こす。
そして、何かに怯えたような強張った表情で周囲を見回して、そこが自分の自室であり寝室である事を認識すると、大きな溜息を吐いた。
どうやら、彼女は悪夢にうなされていて、今ようやくその悪夢から解放された所らしい。
しかし、彼女の表情には悪夢から解放された事への安堵や、今まで目の前で起こっていた悪い事の全てが夢であった事への喜びは無かった。
その代わりに、彼女は寂しさが感じ取れる表情を浮かべて俯きながら、ある人物の名前を呟く。

「……満。」

彼女――藤咲 陽狐は、息子の名前を呟くと、羽毛の掛け布団に顔をうずめて小さく嗚咽を漏らし始めた。

陽狐の見た夢の内容は、以下の通りである。
その夢は、陽狐が病院らしき建物の中の、誰かの病室と思われる部屋の前で棒立ちになっている所から始まっていた。
(もしかしたら、陽狐はその夢を見る前に別の夢を見ていたかもしれないが、少なくとも陽孤が覚えているのはこの部分からである。)
病室の入り口の扉の横に取りつけられたネームプレートを見ると、漢字で二文字の名字――『藤咲』という名字が書かれていて、自分に関係する誰かが入院しているのだと思った陽孤は恐る恐る扉に近づいた。
扉は自動ドアで、陽狐が近付くとひとりでに開き、個室であるのに白いカーテンが取りつけられた室内を見せる。
カーテンの奥は陽狐がいる場所よりも明るいらしく、白いカーテンにはベッドのような灰色の影が浮かんでいた。
それを見た瞬間、陽孤は何故か途轍もない恐怖を感じ、“この病室に踏み込んではいけない”と思った。
だが、病室のネームプレートの名字が自分の名字と同じである事を思い出した陽孤は、もしも自分の関係者が入院しているのであれば見舞いに行くのは当たり前だという考えで、その警鐘を打ち消し、カーテンへ歩み寄る。
まだ僅かに警鐘が聞こえるような気がした陽孤は一呼吸置いてから思い切ってカーテンを開き、その奥の光景を見て息を呑んだ。
カーテンの奥には確かにベッドがあり、その上には人が横たわっていて、その身体にはベッドよりもさらに奥にある壁に取り付けられた大きめの窓から日光が燦々と降り注いでいる。
それは一見とても穏やかな光景に見えたが、陽孤はその横たわる誰かの顔に白い布が覆い被さっている事を見逃してはいなかった。
それにより、この“藤咲という名字が付く誰か”は既に死んでいる、と認識した陽狐は、自分がこの病室に恐怖を感じ、入室を躊躇った理由に気付き始めてしまった。
そうして頭の中に一つの名前が浮かんだが、陽狐はそれが正解である可能性を否定しようとして顔にかけられた白い布に手を伸ばし、布の端を指先で摘まみ、そっとめくって、それから、絶叫した。
布の下にあった顔は、陽狐の息子――藤咲 満の顔であったからだ。

陽狐が目を覚ましたのはその直後で、自分の声にならない声を聞いた事がその理由だった。
しかし、幸か不幸か、この家はそこそこ防音性が高いので、別室で眠っているであろう夫、影月にその声が聞こえる事は無かったらしい。
証拠に、影月が陽狐の部屋を訪れる事は、二人が普段起床する時間になるまで無く、陽狐は独り、息子の事、つまりは満の事を想って啜り泣き続ける事となった。
朝食の時間になり、リビングへと姿を見せた陽狐の顔を見て、影月が驚いた事は言うまでも無いだろう。
無論、影月は陽狐にその泣き腫らした顔の理由を訊いた。
だが、陽孤はそれに正直に答えようとはしなかった。
影月に心配をかけたくない、影月の気持ちまで暗いものにしたくない、という一般的な言い訳を自分に施して、陽狐は無理矢理笑いながら朝食を作ったという。

その後、まだ退職する年齢ではない上に、小規模企業とはいえど会社の社長である影月は、暗い表情の妻を置いて会社へと出かけて行った。
陽狐はそれを見送ると、昔よりも鍵が増えた玄関の扉を閉め、元からある鍵も最近増やした鍵も全てを施錠してからリビングに戻る。
そして、朝食で使った食器や調理器具の片づけには目もくれず、疲れの残る身体と精神を癒す為、ソファーに横になった。

「はぁ……。」

小さな溜息を吐いて、点けっぱなしのテレビに視線を向ける。
テレビ画面には、影月が見ていた朝のニュースの延長戦のようなニュースバラエティ番組が映っていた。
キャスター二人とコメンテーター三人が、最新のニュースについてあれこれ熱弁を交わしていて、陽孤はそれをぼんやりと眺める。
現在ニュース番組が取り上げているのは政治の話で、その手の話にあまり興味がない陽狐にはあまり面白くない話である。
いっそ、チャンネルを変えてしまおうか、と思った陽狐がソファーの上に置きっぱなしになっていたリモコンを掴み、テレビに向けた、その瞬間、

「えー、次のニュースは、アキンドシティ××区で十四歳の少年が同級生の男児を刺殺した事件です。」

キャスターが告げた次のニュースに、リモコンのボタンを押そうとしていた陽狐の指が動きを止めた。
陽孤はそっとソファーから身体を起こし、テレビ画面を凝視する。
テレビ画面の左上の方に表示されたテロップには、『中学生が同級生を刺殺 殺人犯を崇拝する子供の闇』と書かれていて、陽狐の身体を嫌な予感が貫いた。

「昨日午後三時四十九分、アキンドシティ××区にある公立中学校の教師から、『生徒が生徒を刺した』等と110番通報があり、警官隊が駆け付けた所、同中学校に所属する×× ××さんが倒れているのが発見され、その後病院で死亡が確認されました。直接の死因は現在調査中ですが、××さんは腹部や首、性器を合わせて数十回ほど刺されていたという事で、犯人の少年には非常に強い殺意があったと考えられています。尚、少年はその場で逮捕され、すぐさま警察署に連行され取り調べを受けており、事件の動機については『××さんに対して怨みがあった。いつも虐められていて悔しかった』と語っているという事です。」

キャスターが淡々と説明したその事件は、子供が起こしたとは思えない程に酷く凄惨なもので、陽狐は個人的に感じた嫌な予感とは関係なく事件の存在から目を逸らしたくなった。
これでなお且つ自分の嫌な予感が当たっていたならば、と思った陽孤は、リモコンをもったままの手の、その指先にチャンネルを変えるように命じようと試みたが、何故かその命令は指先まで届かない。
変えなければいけない、変えなければいけない、と思えば思うほど、それとは反対に指は動かなかった。
そんな事をしている間にも、キャスターは原稿の続きを音読し始める。

「この事から警察は主に怨恨殺人の線で詳しい捜査を進めていますが、その一方で、少年のツブヤイターへの投稿に、『藤咲 満くんってカッコいいよね、僕も満くんみたいになりたいな。その為にはまず猫からやらないと!』等という書き込みがあった事が発覚しており、警察はこの少年がかねてから人を殺してみたいという願望を抱いていた可能性も視野に入れて取り調べを進める模様です。」

陽狐の手から、リモコンが滑り落ち、フローリングの床にぶつかって、軽いような重いような、プラスチック製品特有の微妙な音を立てた。
キャスターの口から出た自分の息子の名前に、陽狐は、嗚呼やっぱり、というショックを受け、リモコンを拾う事を忘れて思わず両手で顔を覆った。
掌の中で悲しみに歪む陽狐の顔、しかしテレビはそんな陽狐の心情など知った事ではないと言わんばかりに話を続ける。
既に泣きそうな陽狐に追い打ちをかけたのは、コメンテーター達の会話だった。

「藤咲 満、というと……」
「あの『Dirty Blood事件』の関係者で、『××中学校卒業生連続殺害事件』の主犯ですね。彼の名前を出したうえで、猫からやらないと、と言っているという事は動物虐待を示唆している可能性がありますね。少年は彼を崇拝していたのでしょうか?」
「殺人鬼を崇拝だなんてとんでもない! この様な人種には例え未成年であっても成人同様かそれ以上の罰則が必要ですね! 少年をこの様な非行に走らせてしまった藤咲 満も重罪ですよ!」
「えぇ、それは間違いありませんね。例え少年が虐められていた事が事実であったとしても、人を殺すなど言語道断。少年は裁かれるべきでしょう。未成年なら親の責任を問うのも手ですね。」
「人を殺すような曲がった根性をしてるから虐められるんですよ! 少年と藤咲 満の親の顔が見てみたいですね!」
「私はむしろ虐めがあったという供述が嘘だと思うのですよ。もしかしたら加害者少年の方が被害者を虐めていたのかもしれないとすら思いますね。普通、虐められた末に選ぶのは他殺ではなく自殺でしょうし、その前に親でも教師でも相談できたでしょうから。」
「もしかしたら、加害者少年は被害者の親しみを込めた触れ合いを虐めだと勘違いしていたんじゃないでしょうか? 今の子供は女々しい子も多いですからね。確か、藤咲 満の『××中学校卒業生連続殺害事件』の理由も虐めへの報復と言われてますよね?」
「そうそう、藤咲 満も随分女々く情けない奴ですよね! 親しみを虐めだと勘違いするなんて自己中な人間が増えたものですね!」

社会に適合しないものを叩き潰す事が仕事のコメンテーター達は、水を得た魚のように活き活きとして少年と満を叩くコメントを繰り返す。
その度に陽狐は身体の中心が軋むような思いがして、顔を覆っていた手の片方を胸まで下ろすと、そのまま服の布を強く掴んだ。
陽狐にとって、満を非難・否定される事は、自分が非難・否定に曝されるよりも苦しい事なのである。
確かに、満は殺人鬼だった、殺人鬼になってしまっていた、それは事実だ、けれども、満も苦しんでいたのだ、それは否定しないでほしい、と陽孤は思う。
だが、陽狐には、“何も知らない第三者が知ったような事を言わないで!”と叫ぶ事は出来なかった。
何故ならば、陽狐(と影月)も、つい数ヶ月前までは何も知らない第三者のつもりで、何も知らず、知ろうともせず過ごしていたのだから。
それなら、今からでも知ればいい、という者もいるかもしれないが、陽狐も影月も、もはやその手段を持たないのだからどうしようもない。
テレビに映るコメンテーターの一人が、ふと思い出したようにして他の二人に話を振る。

「そういえば、藤咲 満は既に死亡が確認されていますけど、この少年は何か自殺未遂のようなものはしていないのですか?」

そう、このニュースの加害者少年は他人殺しはしたが、自分殺しはしていないし、他者に殺されたりもしていない。
だから、親も、教師も、警察も、検察も、裁判官も、裁判長も、弁護士も、マスコミも、その他大勢の野次馬も、何かしらの形で少年に問いを投げかけ、その答えを聴き、少年の内面を探る事ができる。
しかし、満は他者――Search=Darknessという警察官――に殺されてこの世を去っている為、その口から答えや答えにつながる情報を引き出す事は、もはやこの世の誰にもできないのだ。
例外は無い。

――もう全て手遅れだよ。――

そんな声が、陽狐の脳内で満の声を使って再生された。
それは飽く迄も陽狐の記憶に残る満のイメージが口にした言葉であり、本物の満が口にした言葉ではない。
だから陽孤は、本物の満はその様な事を言う人間ではない、と思ってその声を打ち消そうとした。
だが、満の母親でありながらも第三者のような気持ちでいて、満の苦悩や憎悪に気付かなかった陽狐が“本物の満は”などと言うのは酷く滑稽な話で、陽孤は、自分が本物だと思っている満の姿も所詮は自分のイメージ、妄想に過ぎない事を知る。
もはや、本当に本物でありのままの満ならこの様な時には何を言うのか、陽狐には想像する事ができない。
テレビに映るコメンテーター達は、ある意味独り善がりな熱弁をまだ続けている。
陽狐は顔を覆っていた手を床に向けて伸ばしてテレビのリモコンを拾うと、そっとテレビの電源を切った。
これでコメンテーター達に胸を抉られる事は無くなったが、部屋が無音になるとそれはそれで思考が無駄に明瞭になり、陽狐の心臓を、身体を、精神を締め付ける。
満の声が聞こえる気がした。

――母さんの、偽善者。――

陽狐の脳内に残る満のイメージは、もはや陽狐を慕ってはくれず、陽狐を蔑む発言ばかりを繰り返す。
陽狐は思わず両手で耳を塞ぎ、その拍子にまたリモコンが手から落ちた。

――そんな事しても無駄なのに。――

そう言って陽狐の醜態を嘲笑う満の声が聞こえた気がして、陽孤は耳を塞いだまま真横に倒れ込んだ。
適度な柔らかさと固さを併せ持ったソファーが陽狐の上半身を受け止め、ボスンッ、と音を立てる。
陽孤は、そっと目を閉じた。
また、満の声が聞こえる。

――逃げるの? 自分の罪から。――

「違う……違うのよ満……私は……私は……ただ、知らなくて……」

もし、少しでも目を開いてしまったなら、他人の血と自身の血で全身を赤く染めた満が歪に笑いながらこちらを覗き込んでいる姿が見えてしまう気がして、それがあまりに恐ろしく感じられた陽狐は強く目を閉じたまま、自分以外は誰もいない部屋の中で自分を援護するような言葉を呟いた。
だが、その言葉は所詮言い訳でしかなく、免罪符になる事など無いという事は陽狐もよく分かっていてる。
だから陽狐の頭の中には、Searchに殺される直前の頃の大人としての満の声だけでなく、その頃よりももう少し中性的な声をした、十歳前後の頃の満の声まで響き出すのだ。

――お母さん、悪口をやめてもらうにはなんて言ったらいいの?――

それは、小学校低学年だった満が実際に陽狐へと発した言葉。
そして、陽狐が物事――満の抱えていた苦痛を軽く考え、適当な言葉を返してしまった言葉だった。
当時、満に向けられていた周囲の悪意がどれほど強く、どれだけ満を傷付けていたか、それを満の視点で想像しなかった陽狐は、悪いのは周囲ではなく、神経質な我が子、つまりは満だとすら思っていたのだ。
その結果、陽狐の口から出た言葉はあまりに適当なもので、しかしそれを真摯に受け止めた満は陽狐の言った事を実行し、その結果、

――僕、お母さんの言う通り“やあよやめて”って言ったよ? でも、誰もやめてくれないし、みんな、もっと僕を笑ったよ?――

その結果、満は更なる嘲笑を受け、幼い精神に二重の傷を受ける事となってしまった。
その時は、陽狐もさすがに申し訳ない気持ちになったが、その記憶はその後の二十年近い年月の中で霞んでしまっていた、その筈だと言うのに、陽狐にはその時の満の声が今、ハッキリと聞こえた。
脳の奥の奥で霞んだはずの記憶が、二十年近い月日を越え、デジタルリマスターでもされたかのように、残酷なほど鮮やかに蘇ったのだ。
陽狐はその悲しそうな子供の頃の満の声に対して謝ろうとしたが、それよりも先に成人した満の声が、まるで子供の頃の声の想いを引き継ぐかのようにして陽狐に囁く。

――母さん、真面目に考えてなかったんだよね? 考える気、なかったんでしょ? 知ろうって気も、無かったよね?――

成人した満の、嘲笑にも似た冷たい声が、陽狐には聞こえた気がした。
しかし実のところ、陽狐はそんな満の声を直接聞いた事があった訳ではない。
陽狐が聞いた事のある満の冷たい声は、満がこの社会から姿を消した直後、世界のネットワークを守る正義の少年達とその関係者から機械越しに聞かされた声だけである。
その時の満の声は、その音声が録音された瞬間に対峙している相手が陽狐や影月ではなかった為か、陽狐や影月を直接非難する内容は含まれていなかった。
勿論、例え自分やその夫――満にとっては両親――に向けられた声ではなかったとしても、満が誰かに酷く冷たい攻撃的な声を向ける事がある、という事実だけで、陽狐が相当なショックを受けたのは言うまでもない。
しかし、それでも陽狐が聞いたその声は、飽く迄も陽狐ではない誰か――例えば、世界のネットワークを守る正義の少年達――に向けられた声であり、陽狐や影月に向けられた声になりはしない、はずだった。
だというのに、今の陽狐には、満が陽狐に対して冷たく攻撃的な声を向ける様子と、その声音が、いとも容易く、非常に鮮明に再現されてしまうのだ。
まるで、高性能なシュミレーションでも行っているかのように。

だが、陽狐はまだ気付かない。
シュミレーションは飽く迄も何処かしらに誰かの意図が絡みつつ行われるもので、自然な現実とは全くの別物である、という事に。
そう、この満の声は、実際に聞いた事のある子供の頃の声以外は、陽狐の無意識の意図が絡んだ妄想の産物でしかなく、その妄想の満の後ろにいるのは、紛れも無い陽狐自身であり、今この瞬間に陽狐を責めているのは決して満ではないのである。
勿論、だからと言って、満は陽狐を責めていない、と断言する事はできないが、例え満が実際に心の何処かで陽狐を責めていたとしても、それは満の心の中での話であり、尚且つ満が生きていた頃の話である。
それに何より、陽狐は満が陽狐や影月を冷たく非難する場面に出くわした事は、一度も無いのだ。
だから、陽狐の脳内――心に響き渡る満の声は、この世に幽霊というものが存在して、満がそれになっているなどという荒唐無稽な現象が起こっていない限りは、例え形は満の声に変換されていたとしても、その正体は陽狐が陽狐を責める声に他ならないのだ。

とはいえ、それに気付かない陽狐にとっては、やはりその言葉は満の言葉である、というのもまた一つの事実と言えよう。
記憶の中に残る満と陽狐自身の罪悪感が産み出した満という二人の満に責められる苦痛に、陽狐は目を閉じたまま表情を歪めていた。
しかし幸いな事に、人間は目を閉じていれば自然と意識が現実から切り離されていくものである。
あまりの悪夢に朝早い内から目が覚めていた事もあって、陽狐は辛い現実から目を背けて逃げ出すかのように、自らの意識を現実から切り離していった。
そんな陽狐の傍に、もし本当に満がいたなら、満は何を思い、何と言ったであろうか。
それはやはり、もう誰にも分からないのである。


それから何時間かが経過した午後二時頃、陽狐はインターホンが家の中の誰かに来客を告げようと発した音で意識を現実に引き戻された。
ゆっくりと目を開いた陽狐の視界に映ったのは、意識を現実から切り離す前に電源を落としたテレビや、その周辺の家具や壁だけで、血塗れの満などという他人は、当たり前だがそこにはいなかった。
ああ、そうか、自分は眠っていたのか、という事をぼんやりと認識し始めた時、インターホンがもう一度呼びかけてきて、陽狐は少し慌ててソファーから立ち上がり、キッチンの壁に取り付けてあるインターホン親機へと急いだ。
しかし、陽狐の指先はインターホン親機にある受話器に触れる直前に動きを止める。
というのも、満が死した直後から、藤咲家のインターホンの呼び鈴を鳴らす人間はマスコミの人間ばかりで、少しでも声を出そうものなら質問攻めに遭ったり、取材を断った声自体をテレビ番組で放送されるようになってしまったからである。
玄関の扉の妙に多い鍵も、マスコミや興味本位の野次馬による侵入を防ぐために影月が取り付けたもので、陽狐は影月がいない時間帯は迂闊に扉を開けないようにと影月から言い聞かされているのだ。
そのような事もあり、もしマスコミだったらどうすればいいのだろう、という不安が、陽狐の指の動きを妨害していた。
受話器を取り応答するべきか、それとも居留守を使うべきか、陽狐は迷う。
その間にも、三度目の呼び鈴が鳴って、陽狐に決断を迫った。
そして、

「……はい、どちら様でしょう。」

陽狐は、影月が帰ってきたらインターホンを玄関が見える最新型に変えるよう要求しよう、と思いながら受話器を取り、ぼそぼそとした小さな声で来客者に応答した。
もしマスコミの取材だったなら、できるだけ穏便に断らなければ……と憂鬱な思いを感じながら返事を待つ。
しかし、僅かな沈黙を挟んでから聞こえてきた声は、マスコミや、社会の味方気取りの野次馬のそれではなかった。

「……あ、こんにちは。 あの、俺です、光 熱斗です。」

陽狐の表情が、憂鬱から驚きに変わる。
インターホンの呼び鈴を押したのは、マスコミや野次馬ではなく、世界のネットワークを守る正義の少年達の中の一人である光 熱斗だったのだ。
久々で突然のマスコミ以外の来客に驚き、すっかり眠気の吹き飛んだ陽狐は少し言葉につっかえながらも、

「えっ……と、い、今開けるわね。」

とだけ言って受話器を置き、鍵の多い玄関の扉へと向かった。
眠気が吹き飛んだとはいえ、先ほどまで一切動かしていなかった身体は少し安定が悪い気がしたが、陽狐はマスコミでも野次馬でもなく、満と深い関わりのあった訪問者の為に扉に駆け寄り、開錠を急ぐ。
ガチャリ、ガチャリと音を立てて、鍵穴に挿した金属の鍵を回し、ピッ、ピッ、ピッと軽い電子音をさせて、電子ロックを解除していく。
それは数値にすると一分にも満たない短い時間だったが、何故か焦りのような感情を覚えていた陽狐には、一分ではなく五分、いや十分程の時が流れているように感じられた。
そうして、普段は影月の出勤時と帰宅時しか解除しない鍵を全て解除し終えると、陽子はゆっくりと扉を開けて、隙間から外の世界を覗き見た。
万が一、マスコミや野次馬らしき人間が近くにいたら、すぐに扉を閉めて鍵をかけられるようにである。
しかし、陽狐の心配とは反対に、そこにマスコミや野次馬らしき姿は無く、見えたのは、インターホンの子機が取り付けられた塀の前からこちらを見ている熱斗と、その肩の上で同じくこちらを見ているロックマンだけであった。
陽狐はそれを見て少しだけ胸を撫で下ろし、ようやく普通に扉を開いて外に出ると、扉から一メートルも離れていない小さな門を開いて熱斗に声をかける。

「どうぞ、入って。」

陽狐が少し微笑みながら言うと、熱斗は小さくお辞儀をしてから、

「お邪魔します。」

と言って、躊躇う事なく家の中へと入っていった。
熱斗が室内に入ると、陽狐はすぐに家の前の門を閉めて自身も室内に入り、玄関の扉も閉め、とりあえず電子ロックだけを手早く施錠する。
そして小さな溜息を吐いてから背後に振り返ると、既に靴を脱いだ熱斗があまり浮かない様子の表情で此方を見ているのが見えたのだが、その時になって初めて、陽狐は熱斗の右手に握られたそれの存在に気付いた。
すると熱斗も陽狐がそれに気づいた事に気付いたようで、少し寂しげに微笑みながら陽狐の疑問に先回りして答える。

「今日は、満の……満さんの一度目の月命日だから……どういう花が良いとか分からなかったけど、人任せにするのは嫌だったから、俺の好みで選んできちゃったけど……」

そう言いながら、熱斗はそれまで右手で根元を持っていただけだった花束を大事そうに両手で抱え直す。
その花束は、熱斗が言う通り普通は仏壇に供える事はあまりない花も多く含まれていて、少し派手な色合いをしている。
だが陽狐には、その花束は今まで自分が仏壇や墓石に供えてきたどの花束よりも綺麗で、何より優しさに満ち溢れたものに見えた。
陽狐が花束に見とれていると、熱斗の肩の上にいた小さな立体映像のロックマンが、困ったような顔で口を開く。

「僕は、そういうのを知ってる人に訊いたり任せたりした方が良いって言ったんですけど……熱斗くん、自分が選ぶんだって言って聞かなくて……気分を悪くさせてしまっていたら、ごめんなさい。」

ロックマンはそう言って深々と頭を下げ、熱斗も少し遅れて頭を下げた。
どうやら二人は、自分達が本来の形式にそぐわない事をしている事に若干の不安を抱いているようである。
確かに、形式にそぐわない花を多く選んで花束にした熱斗の行動は、お世辞にも知的だとか、礼儀正しいだとかとは言えないだろう。
そしてそれを止める事を断念したロックマンも熱斗と同罪だと言えないことはない。
しかし、陽狐にはそんな形式的な話よりも、熱斗とロックマンが満の命日を覚えていてくれた事や、熱斗が自らの考えで花を選んでくれた事の方がよほど重要であった。
自分と影月以外の人間はもう満の事をよく思っていない、と感じていた陽狐にとって、熱斗の行動は救いにも等しく、称賛の必要こそあれど、否定する必要などどこにもない事なのだ。
だから陽狐は二人に向けて優しく微笑んで、

「……ううん、いいの。その花束は、熱斗くんの想いが沢山詰まってるのね。私はその花束、素敵だと思うわ。」

と答えた。
陽狐がそう言うと、熱斗とロックマンも少し安心したらしく、顔を見合わせてから小さく微笑み合い、それから、

「ありがとう、陽狐さん。」
「ありがとうございます、陽狐さん。」

と、普段よりは幾何か物静かな雰囲気のある微笑みを陽狐に向けて、感謝の言葉を述べてきた。
陽狐はその姿を見て、嗚呼、この二人はなんて優しく温かい人間なのだろう、と感動を覚えた。
社会の平和を守る立場でありながら、社会の平和を乱した集団の一人である満の死を悼み、その満の母親である陽狐にも優しい笑顔を向けるなど、聖人君子であってもできるかどうか怪しい事であろうに、この少年とそのネットナビはそれを自然と行う。
これはもう、感動するなという方が、陽狐にとっては無理な話である。

「……こちらこそ、ありがとう。」

感涙しそうになるのを堪えながら、陽狐はやっとの思いでその言葉だけを絞り出した。
そして玄関の扉を離れ、熱斗のすぐ隣に立つ。

「満は部屋にいるの、案内するわね。」

陽狐がそう言って満の部屋に向けて一歩踏み出すと、熱斗とロックマンは真剣な表情――いや、少し悲しそうな表情になって静かに頷いた。
そしてその表情のまま、満の部屋に向けて歩き出した陽狐の背中を追ってくる。
陽狐はその時の二人の悲しげな表情を、二人は満の死を悲しんでくれているからこんな表情をしているのかもしれない、と思ったが、それは正解であると同時に、ほんの少しだけ、補足が必要な解釈であった。
というのも、熱斗とロックマンは、満の死を悲しむのは勿論として、その他にもう一つ、陽狐の言葉の端々に残る満への未練――例えば、満に生きていてほしかったと思うあまり、現在も満が生きていて部屋の中で熱斗達を待っているかのような言い方をしていた事――に悲しさ、否、寂しさを感じているからである。
ただ、熱斗もロックマンも、そんな陽狐と同じような未練を胸の内に抱え込んでいる為、陽狐のそれをわざわざ指摘しようとはしない。
指摘する資格も、理由も無い、と二人は考えていたのだ。

そんなそれぞれの思惑を抱えながら、陽狐と熱斗、そして熱斗の肩の上のロックマンは、満が十歳頃から大学卒業までの間に使っていた部屋の前へと到着した。
陽狐はそっと部屋の扉を開いて、ドアノブを握っていない方の手で熱斗にその中へ入るよう促す。

「どうぞ、入って。」
「……はい。」

熱斗は少しだけ緊張した声で返事をしながら部屋に入り、それからキョロキョロと周囲を見回し始めた。
陽狐はその後ろでそっと扉を閉める。

「……これが、満さんのいた部屋……。」
「えぇ、そうなの。警察の家宅捜索があったり、満がこの家を出て別の家に住み始めた頃からの荷物を置いたりもしているから、全部昔のままってわけじゃないけれど……なるべく、元のレイアウトに合わせて整理しているのよ。」

先に声を発したのは意外にも熱斗の方であったが、独り言にも似たそれはもしかしたら陽狐に話しかけた訳ではなかったかもしれない。
それでも陽狐は熱斗の言葉に対し、この部屋がどのような部屋であるかを簡単に説明してみせた。
それは、熱斗の疑問に答えると言うよりは、陽狐がただ話したかっただけという側面が大きかったかもしれないが、熱斗がそれに不快感を示す事はない。
ドアを閉めてから部屋の中心に振り向いた陽狐に見えた熱斗は飽く迄も冷静で、過ぎ去り過去を静かに懐かしむような表情をして部屋の中を見回していた。
そして、その部屋の隅に、白くて低いテーブルと白いテーブルクロスで控えめに作られた仏壇を見つける。
一瞬、熱斗の表情が歪んだように見えて、それが何なのかを察知した陽狐は小走りで近くの棚に駆け寄り、普段は特に意味の無いインテリアの一つと化しているティッシュボックスを一つ抱え、熱斗の傍へと近づいた。
すると案の定、熱斗が一瞬だけ目を閉じた瞬間、その目尻から透明な水滴が一筋だけ頬を伝って、やがて花束の包み紙の上に落ちた。
陽狐は恐る恐る、熱斗に声をかける。

「あの、熱斗くん、これ、使って?」
「あっ……ありがとう、ございます。」

熱斗は片手で花束を抱えたまま、もう片方の手で陽狐が抱えるティッシュボックスから一枚だけティッシュを取ると、目の周りを軽く拭いて、そのティッシュを自分の短パンのポケットへと押し込む。
それから、仏壇の前に膝をついて、あまり慣れていないであろう座り方――正座をすると、テーブルの足元に花束を置き、目を瞑って静かに手を合わせた。
よく見ると、熱斗の肩の上のロックマンも熱斗の肩の上で正座をして目を瞑り、手を合わせている。
そして十数秒後、熱斗とロックマンは目を開いて両手を膝の上に置き直し、顔を上げた。
その視界の正面にあるのは、数年前の満の写真――遺影と、墓へ入れられる前の遺骨の入った骨壺。

「満……ごめんな、助けられなくて……。」

唐突に、熱斗の懺悔のような言葉が聞こえて、陽狐は小さく息を呑んだ。
陽狐の脳内に、あの声が響く。

――この台詞はさ、母さんの言うべき台詞だよね?――

陽狐は思わず崩れ落ちるようにその場で膝をつき、同時にティッシュボックスを床に落とした。
それらの音に気付いて、熱斗が振り返り、驚きの声を上げる。

「えっ、陽狐さん!?」

熱斗は、それまで落ち着いて自分に応対していた陽狐の様子が急に変化した事に戸惑い、とりあえず陽狐のすぐそばにしゃがみ込んで、陽狐の顔を覗き込んだ。
先ほど熱斗の目から零れたものと同じものが陽狐の両目から零れ、カーペットに小さな染みを作ったのは、それとほぼ同時だった。
それから、陽狐は徐々に啜り泣き始め、戸惑う熱斗とロックマンに対し、謝罪のような、懺悔のような、悔恨のような言葉を、気が触れたかのように激しく発し始めた。

「違う、違うの!! 悪いのは私なのよ!! あの子を助けるべきは私だったの!! 私が助けなきゃいけなかったの!! なのに私は何もしなかった!! 何も知らないままだった!! あの子を殺したのは私なのよ!! あああああああっ!!」
「陽狐さん……。」

後悔が一気に押し寄せて、何かに怯えたように震えながら泣き叫ぶ陽狐を、熱斗とロックマンはしばらく困ったような顔で見ている事しかできなかった。
だが、やがて熱斗は何かを決意したような顔をすると、俯いて泣き叫ぶ陽狐の背中に、陽狐より幾分短く子供らしい腕を伸ばす。
そして、まるで幼い子供が母親に甘える時の様に陽狐の背中に抱き着きついた。
これには混乱状態だった陽狐もさすがに驚いたらしく、意味の分からない叫び声が止まり、己の思考の渦から抜け出して急に現実を認識した時のように少し間の抜けた顔を見せる。
陽狐が驚きで泣き止んだ事を確認すると、熱斗は陽狐の背中に身を寄せたまま、静かに、陽狐と同じく後悔するように言う。

「俺も、結局助けられなかった……満の事、友達だって思ってたのに、大切な事は何も知らないままで、できたのは戦う事だけで……助けるような事、何もできなかった……陽狐さんと、同じだよ。」
「熱斗、くん……。」
「もう、俺達には思い出して後悔する事しかできないから、後悔するなとか、言わない。むしろ、一緒に後悔しようって……それしかできないから……だから……っ……。」

結論に辿り着けずに止まった言葉と、陽狐の背中の上で微かに震える身体から伝わる振動で、陽狐は熱斗も自分と同じほど激しい後悔の中にいる事を強く感じ取った。
陽狐はこの時ようやく、もはやあり得ないもしもの未来のためのもしもの選択を想像しては、その想像と現実のギャップで板挟みになっているのは陽狐だけではなく、熱斗も同じなのだと気が付いたのである。
そして、陽狐と同じ後悔の中にいながらも、必要以上に卑屈になる事はなく、陽狐の事を励まし、陽狐の気持ちに寄り添おうとしてくれている熱斗の強さと、優しさにも気が付くと、陽狐の心の中に、ある思いが生まれてきた。
それは、これ以上熱斗の前で泣き続け、この小さな体に自分の悲しみまで背負わせてはいけない、という決意にも似た思いである。
その思いが胸を満たした頃、陽狐の呼吸は、啜り泣きでもない、普通の落ち着いた呼吸へと戻っていた。

「……熱斗くん、ごめんね、ありがとう、もう大丈夫よ……。」

陽狐がそう言うと、熱斗は陽狐を抱きしめていた腕の力を弱め、ゆっくりと体を起こし、陽狐の背中から離れた。
熱斗が離れると、陽狐も俯いていた顔を上げ、熱斗に向けてほんの少しだけ微笑んで見せる。
それは、熱斗とロックマンから見ればまだまだ弱々しく、本当に大丈夫なのかと不安にならない事も無かったが、それでも、それが陽狐の選択なら自分達は黙って応援するべきだと考えたのか、二人も陽狐と同じように小さく微笑んだ。
それから陽狐と熱斗はゆっくりと立ち上がり、陽狐は熱斗にある提案を持ちかける。

「ねぇ、よかったらしばらくお茶でもしてから帰らない? お互い、あの子について、知りたい事と教えたい事が沢山あると思うの。」
「えっ、あ、はい!」

陽狐の提案に、熱斗はほんの少しだけ驚いたようだったが、すぐに柔らかな笑顔になって頷いてくれた。
ロックマンも、穏やかな笑みで二人のやり取りを見守っている。
三人は僅かな間微笑み合ってから、陽狐が満の部屋と廊下を繋ぐ扉を開き、熱斗がその扉から廊下に足を踏み出した。
そして陽子は、廊下に出た熱斗の後姿を見ながら部屋の扉を閉め、扉に向けてそっと、

「また後でね、満。」

と声をかけてから、熱斗の後を追ってリビングに向かった、のだが、リビングに戻ってくると、何故か熱斗が少し不安そうな顔で陽狐に駆け寄ってきて、

「なんか、インターホンが鳴ってるんだけど……」

と言ってきた。
陽狐は少し表情を強張らせ、リビングの壁にかけられた大型のデジタル時計を見る。
時刻は、午後三時を少し過ぎた所で、まだ影月の帰宅時間ではない。
まさか、今度こそマスコミだろうか、と思って耳を澄ます陽狐だったが、先ほど熱斗が来た時と同じで、大勢の人間の気配はない。
むしろ、本当にインターホンが鳴ったのかと疑いたくなるほどの静けさだ。

「……分かったわ、教えてくれてありがとう。」

頭の中に様々な可能性――例えば、少数のマスコミの可能性や、ピンポンダッシュ等のいたずらの可能性――を思い浮かべながら、陽狐は熱斗に礼を言い、それからキッチンに行って、インターホン親機の受話器を取る。
すぐ後ろに、陽狐を心配してキッチンに入って来た熱斗の気配を感じながら、陽狐は呼びかけた。

「……どちら様ですか?」
「……Search=Darknessです。」

熱斗以上に想定外の来客の名前に、陽狐はとっさの返事ができなかった。
名前は知っている、外見も写真で見た事がある、けれど実際に会った事はなく、何より満を直接殺した存在であるSearchによる突然の訪問に、陽狐は普通の意味で少しパニックになりかける。
満を友人だと思い、それなりに慕っていた熱斗がその死を悼むのはまだ分かるが、Searchに関しては此処に来る理由が想像できないのだ。
しばらく無言のまま、どう対応するべきか考えた末に、陽狐は口を開く。

「ええと、ご用件は……」
「……献花です。」
「えっ?」
「満に……息子さんに、花を手向けに来ました。」
「満に、花を……?」

Searchの言葉に驚いて、陽狐は背後にいる熱斗へと振り向いた。
それは、まさか満を殺した張本人が、満を守ろうとしていた熱斗と同じ用件で尋ねてくるとは思わなかった、という驚きからの行動だったが、熱斗はそれで誰が来たのかを察したらしく、驚いて固まったままの陽狐の手からそっと受話器を取ると、

「もしかして、Search?」

と、言った。
その流れに陽狐が驚いたのは勿論だが、どうやらSearchも此処に熱斗がいるとは思っていなかったようで、熱斗が持つ受話器から、Searchの僅かに驚いたような、素の口調の声が聞こえる。

「その声は、熱斗か? まさかお前がいる時に来てしまうとはな……。」
「あぁうん、俺もまさかSearchが本当に来るとはあんまり思ってなかったというか……ちゃんと、花は持ってきたよな?」
「あぁ、問題ない、持参している。」
「そっか、じゃあちょっと待ってて、陽狐さんと相談するからさ。」

何を相談するというのか、陽狐にはよく分からなかったが、ともかく熱斗はSearchに対して待機するように言うと、受話器を置いて陽狐に向き直った。
陽狐の方へ向いた熱斗は少し悩ましげで、困ってもいるような顔をしている。
そこに至って陽狐は、Searchを呼んだのは熱斗なのではないか、という推測に辿り着いた。
どう話を切り出そうか少し考え込んでいる熱斗に、陽狐はあえて自分から話を切り出す。

「あの人を呼んだのは、熱斗くんなのかしら?」
「あ、えっと、うん……俺が呼んだというか、まぁ、呼んだことになるのかな……。」
「どうして呼んだの?」
「それは……Searchに自分がした事がどういう事なのか理解して陽狐さんや影月さんと向き合ってほしかったのと……あと、満さんはSearchの事大好きだったみたいだから、正直俺が来るより喜ぶかな、って……。」

それが陽狐と影月は勿論、Searchとってにもショック療法的な危うさを持っている行動であることは熱斗もロックマンもよく分かっているようで、特にロックマンはあまり気が進まない立場だったのか、だから言わんこっちゃない、とでも言いたげに少し疲れたような顔で熱斗の顔を見上げていた。
熱斗も、Searchに対し満の実家へ行くように言ったはいいものの、本当に来るとはあまり思っていなかった事や、本当に来た場合どうやって陽狐あるいは影月とSearchの関係を円滑にするかは考えていなかったらしい事から、非常に悩ましげで、陽狐に対して申し訳なさそうな顔をしている。
やがて、自分がした事がどれだけ難しく危うい事であったかを理解したらしい熱斗は、バッと頭を下げて陽狐に謝り始めた。

「ごめんなさい! 俺、ちょっと考え無しでした……そりゃ、会いたくない、ですよね……。」

陽狐がSearchに会いたくないと思っていると思った熱斗は、とても不安そうな顔で僅かに頭を上げ、陽狐の顔色を窺っている。
しかし陽狐の頭の中にあったのは、Searchに会いたくないだとか、熱斗の行動の無鉄砲さへの呆れだとかではなかった。
確かに、Searchを歓迎できるかと言われればあまり素直に頷く事などできないであろうし、熱斗の行動も普通に考えれば呆れて当然の独善的な行動である事は分かる。
だが、陽狐はそれよりも、つい先ほど自分が熱斗に出した提案の事を思い出していて、それに関するある事を気にしていたのだ。
だから、怯えた子犬の様に縮こまった熱斗に対し、陽狐は優しく微笑みながら、

「そうね……じゃあ、会いましょうか。」

と言って、熱斗とロックマンを盛大に驚かせた。
勿論、熱斗は陽狐が何を考えているのかが分からなくなり、えっ、とか、でも……、とかといった戸惑いの声を漏らす。
ロックマンも、本当にいいの? とでも言いたげな不安そうな顔をして陽狐を見上げている。
そんな二人を見て、正直な所、その反応は至極真っ当だ、と思い、自分の考えはもしかしたら少しおかしいのかもしれない、と内心で苦笑しながらも、陽狐は熱斗に一つだけある事を確認した。

「ねぇ、確かあの人って、満の中学生時代の同級生だったのよね?」
「えっ、あ、はい……そう、です。」

Searchが満の中学生時代の同級生であったかどうか、それだけを確認すると、陽狐は、ほんの僅かに陰があるが、しかしそれ以上にどこか期待に満ちた表情をして言った。

「じゃあ、あの人にもあの人だけが知ってる満の事を訊いてみましょう。きっと、私や熱斗くんの知らない満の話が聴けると思うわ。」

若干楽しそうにすら見える陽狐を見て、熱斗とロックマンは陽狐の発言に顔を見合わせてから、少し不安そうな顔で陽子に視線を向け直す。
その表情は、Searchの知る満は決して温厚ではなくて冷たく攻撃的な面が多い為に陽狐が傷付くのではないかという不安や、満を殺した張本人であるSearchに会おうとする陽狐はある種の躁状態に近いのではないかという心配が垣間見えていて、陽狐はなんとなくそれを感じ取り、熱斗とロックマンが自分の精神を案じてくれている事は理解した。
確かに、普通に考えれば自分の息子を殺した存在に平常心で会える親などいる訳もないだろう、という事は陽狐にも分かるからだ。
だが、陽狐の決意は固く、陽狐は明るすぎる微笑みを少しだけ落ち着いたものに変えると、静かに言う。

「確かに、あの人の話は楽しい事ばかりじゃないと思うわ。でも、それも満の通ってきた道だっていうなら、私は知っておきたいの。知らないと、後悔すらできないもの、ね。」

その言葉に、陽狐なりの考えや決意を感じ取った熱斗とロックマンは、何かを確認するようにもう一度二人で顔を見合わせる。
そして、まだ若干心配が抜けきっていないが、それでも陽狐には心強いと感じられる優しく強い笑顔を見せて言った。

「……分かったよ、陽狐さん。それなら、俺も一緒に聴く。俺も、知らないで何も感じないままより、知って、ちゃんと後悔したいから。」
「僕も一緒に聴きます。僕も、熱斗くんが大切に思った人の事は、ちゃんと知っておきたいから……同席、させてください。」
「えぇ、二人がいてくれるなら心強いわ。一緒に知っていきましょうね。」
「はい!」

熱斗とロックマンが意思の強い返事をしてくれたその様子をしっかりと目に焼き付けてから、陽狐は玄関の扉へと近づいていった。


end.

◆◇

まさかの二連続死ネタ(前作【終末の先】も死ネタ)で吹くしかない。
これは最初、【貴方のもしもの未来の為に必要だったのは私のどんな行動だったでしょうか?】というタイトルで書いていて、あまり救いの無い話にするつもりだったのだが、気が付いたら割と救いのあるような、あるいは救いを探し始めるような話になっていて自分でも驚いているとかなんとか。
それと、後半を書いている途中、オリキャラの死ネタで公式キャラを僅かにでも泣かせるのはどうなのだろう? と少し考えたが、オリキャラという名のモブ未満キャラが相手とはいえ、熱斗やロックマンのような感受性と正義感が強いキャラクターが人の死を悼まないというのはそれはそれでおかしい気がしたので、今回はとりあえずほんの少しだけ泣いてもらいましたとかそういう。
あ、それと、「やあよやめて」って言えば? というのはぶっちゃけ実話だとかそういうことも以下略。

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