08/01の日記

17:33
※ / 正義の味方は悲しみ溢れる元被害者の自己救済を否定するか? / シリアス / 熱斗、満、Search
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【正義の味方は悲しみ溢れる元被害者の自己救済を否定するか?】

それは、いつかあり得るであろう物語。

その夜、いくつかの街の集合体であるデンサンシティの中で一番海沿いにあり、ビーチストリートと呼ばれる地域の端にある、少し寂れた古い倉庫街に並ぶ鉄筋コンクリート製の倉庫の中の、一番人が寄り付かない倉庫の中で、事件は起きていた。
天上に取り付けられた少し頼りない光を放つ蛍光灯が照らし出すのは、簡易ベッドのような台の上で既に事切れていると思わしき大柄で派手な格好の男の死体と、その男の死体が生きている頃に流したと思わしき血の海と、喪服と言われる黒いスーツに身を包んだ長身の男性。
倉庫内に漂い、吐き気を誘うように鼻を突く異臭は、既に事切れている男が事切れる前に流した血や糞尿の臭いと、その男よりも前に殺された名前も分からぬ誰かの肉の腐臭なのだが、その事を理解できる程の経験値を、少年――光 熱斗は持っていなかった。
だから、熱斗に理解できた事はただ一つ、白い肌や艶やかな髪や身に付けている衣服に紅い鮮血を浴びたおどろおどろしい姿の男性は、一時期は友人だとさえ信じたが、ついこの間それを否定して表社会から姿を消した男性――藤咲 満であるという事だけであった。

「あー……来ちゃったんだ。そっか、残念。此処、良い場所だったんだけどなぁ。」

呆然と立ち尽くす熱斗と、その隣で右手に拳銃を握った女性――Search=Darknessに向けて、喪服姿で目の紅い満が少々残念そうに微笑みながら言った。
そして、返り血のせいで顔にへばり付いた黒髪を左手で拭う。
その際、右手に持っていた大型の斧が少しだけ揺れて、それを攻撃の兆候と思ったらしいSearchは、右手に握った拳銃を素早く構えた。
だが熱斗はまだ状況を理解しきれず、ただ黙って立ち尽くし、浅い口呼吸を繰り返す事しかできずにいる。
それは、この光景――原型が想像しにくいほど無残な形で殺された名も知らぬ死体の傍に血塗れの藤咲 満がいるという光景が、熱斗にとって信じ難い、信じたくない光景であったからだ。
とはいえ、これは予測できない事ではなかった事を、熱斗は全く知らない訳ではない。
最初に、警察に対し“自分の所有している倉庫の近くの倉庫から僅かに異臭がするので様子を見てほしい”という通報があった事と、先ほど、自らのナビであるロックマンとSearchのナビであるBloodが倉庫のシャッターの開閉をコントロールするパネルの電脳に入って、満のナビであるイツアーサ、否、Murderに遭遇した事から、この倉庫の中には何かおぞましい物が投棄されていて、更にそれに満が関係しているという事を、熱斗は十分に予測していた。
しかし、それでもこの倉庫の中の惨状を目にした途端、熱斗の意識はそれを理解することを拒み、自身の内側の迷路に迷い込んでしまったのである。

「藤咲 満、お前を殺人の容疑で逮捕する。」

熱斗の思考が自身の内側の迷路に迷い込んでいる間にも、時間は過ぎていく、という事を示すかのように、熱斗の意思など何も確認しないまま、Searchが言った。
満は小さく肩を竦めながら少し困ったような笑みを浮かべたが、右手は斧の柄を離そうとはしない。
それを見たSearchは満に降伏の意思はないと判断したようで、引き金に人差し指を近づけ、いつでも発砲できるような体勢を取る。
すると満は、以前熱斗の前で笑っていた時よりもずっと自然で、ずっと素直で、ずっと無邪気で、ずっと明るく、しかし狂気的な笑顔を浮かべて、

「ごめんね? それはお断りだよ!」

と言って、近くに置かれていたテーブルの上に置かれた医療用メスを素早く手に取り、熱斗の首筋目掛けて投げた。
自身の内側の迷路に思考を迷い込ませていた熱斗は投げられたメスに対して咄嗟に反応する事ができない。
熱斗は、満がメスを投げた事も、そのメスが自分を狙っている事も、見えていないに等しかった。
だが、

「退け!」
「いでっ!?」

Searchの怒号にも似た声と、長い脚から繰り出される素早く力強い蹴りが、熱斗を急激に現実へ引き戻す。
現実に引き戻された時、熱斗はSearchの蹴りによってその場から突き飛ばされ、少し離れた所に倒れ込んでいた。
メスはSearchの脚に刺さる事は無く、熱斗が立っていた場所を切り裂きながら進み、開いたままのシャッターを通過して、近くにある違う倉庫の壁に当たり跳ね返りながら地面へ落下、キンキンとした耳障りな音を何度か立てた。
その音が最後の合図となって、自分の思考を遮っていた靄が急激に消し飛んだ熱斗は、慌てて立ちあがり、Searchに顔を向ける。
Searchの表情は、パッと見ただけでは普段とあまり違って見えないが、その普段をよく観察するようになった熱斗には気付ける程度の苛立たしさが滲んでいる。
熱斗は焦ってSearchに謝った。

「ご、ごめん!」
「謝罪は要らない、それよりアイツから視線を外すな。」

今も尚右手で銃を構えているSearchは、熱斗に視線を向けようとはしなかった。
そのそっけなさに少し不満を感じた熱斗だったが、此処はSearchの言う事が正しいのだろうとすぐに納得し、自分も満に改めて視線を向ける。
右手に斧を持って立っている満と、その周囲に広がっている光景は、熱斗がSearchに蹴り飛ばされる前と同じものだが、先ほどのSearchの一撃のおかげか、熱斗は最初の様に自身の内側の迷路に迷い込みはしなかった。
勿論、本音を言えばこの光景を認めたくない思いが消えた訳ではないのだが、それでも、認めたくなくとも事実は事実、と思う程度には思考回路が働くようになっている。
それが本当に好ましい事なのかどうか、それは熱斗にはわからないが、満が自分達に敵意と殺意を向けている今、これは好ましい事なのだろうと、熱斗は一旦納得しておくことにした。
熱斗は、視線は満に向けたままで小さな深呼吸をする。
背後のシャッターが開いているおかげで血の臭いや腐敗臭が薄くなったことを感じながら息を整えて、右手に斧を持ち左手に新たな医療用メスを持っている満に対し、熱斗は叫ぶように言った。

「なんでだよ、満……なんでこんな事するんだよッ!!」

熱斗が言うと、それまで悪戯っぽく笑っていた満の表情が、急激に冷めたものに変わった。
それはまるで、熱斗が訳の分からない事を言っているか、あるいは、当たり前すぎて今更答える必要もないであろう事をわざわざ訊いてきたと言いたげだ。
満の視線はとても冷ややかで、熱斗は、自分は何か間違った事を言ったのだろうか? と少し不安になる。

「……なんで、か……まぁお前には分からないよね、絶対。でも、Searchちゃんなら少しは分かるんじゃない? 気になるならSearchちゃんに訊いてみなよ。」

僅かな沈黙を挟んだ後、冷ややかな表情を保ったままで満はそう言った。
その言葉は熱斗がすぐに理解できるような言い回しではなかった為、満が何を言いたいのかの回答を求めるかのように、熱斗は横目でSearchの様子を窺った。
熱斗の視界の端に映るSearchの視線は相変わらず満に向けられている。
だが、それと同時に満のすぐ傍で事切れている大柄な男の死体にも向けられているようで、Searchはこれまた僅かな沈黙の後に、あまり確信は無いのだが、とでも言いたげな、疑問符の付く様な言い方で問い返す。

「復讐、か? あの中学校への……。」

すると満の表情はたちまち明るくなり、心から嬉しそうな笑みを作り上げた。
そして、華やいだ声と言ってもおかしくない楽しそうな声を上げる。

「正解! さっすがSearchちゃん! よく分かってるね!」
「……思い出したからな、その死体が何処の誰だったかを。」
「Search、それって……?」

Searchの言葉を不思議に思った熱斗は、その言葉の意味をSearchに問いかけ、その表情を横目で窺った。
しかし、Searchは一見しただけでは普段通りの無表情に感じられる顔で満を見据えたまま、何も言おうとはしない。
だが、熱斗はその無表情のような表情の中に、僅かな困惑のような、戸惑いのような、迷いのような空気を感じた。
その為、Searchは此方に対して今回の事件の真相に繋がる何かを告げる事を躊躇っているのではないか? と思った熱斗は、その躊躇いは必要ないと言う代わりに、もう一度、Searchに問いかける。

「満の復讐って何? 死体が誰か思い出したってどういう事? なぁ、教えてくれよ。」
「……。」

それでもSearchは熱斗に対してそれを告げる事を躊躇っているようで、何も言おうとしなかった。
それは、普段はいかに非道な事でも軽々と言ってのけてしまうところのあるSearchにしてはかなり珍しい態度である。
その為に熱斗は、満が今回の事件を起こした理由にはあのSearchですら口を噤みたくなるような何かが詰まっているのかもしれない、と考えると同時に、Searchがそれを話そうとしないのは熱斗への配慮であるという判断を脳内で下すに至った。
それと同時に、そのような配慮は酷く今更で、必要の無い物だ、と思った熱斗はそれをSearchに対し言おうとして口を開く。

「Search、俺がショックを受けるとかそういうのを心配してるんだったら、そういうのは要らないから……」

Searchの知っている満の真実を全て教えて欲しい、という趣旨の事を言おうとした熱斗であったが、Searchの表情がまた微弱に変化している事に気付き、言葉を途中で切り上げた。
熱斗の隣にいるSearchは依然として満に視線を向けたままではあるが、しかし同時に何処かキョトンとしているような――例えば、熱斗が思いもよらない事を言ったとでも言いたげな表情を浮かべている。
それを見る限り、Searchが満の過去を明かそうとしない理由は熱斗の心理的負担を避ける為のSearchなりの配慮である、という熱斗の判断、推測は間違いである事は明白だ。
そして案の定、Searchの口からは熱斗の推測が間違いであった事を裏付けるような言葉が疑問符付きで漏れる。

「……心配? 何の事だ。」
「えっ。」

Searchのやや間抜けな反応に、熱斗は更に間抜けな反応をする事しかできなかった。
此処に至って熱斗は漸く、Searchは熱斗の心理的負担を気にしている訳では無い、という事実に気付き、困惑と残念さを混ぜ合わせたような、至極複雑そうでぎこちない表情を浮かべながら、小さく苦笑した。
最近少しは人間らしくなったかと思っていたが、実際問題としては全然そのような事は無かったSearchに困惑する熱斗と、熱斗は何を何の為に言っているのかよく分からない、と言いたげなSearchの間に微妙な空気が流れる。
やがて、熱斗が満の残虐性よりもSearchの人間性の欠如具合に呆れを感じ始めた頃、その微妙な空気を切り裂くように、満の甲高い笑い声が響いた。

「……あっははははは!! あーもう、最ッ高!!」

その笑い声を合図に、Searchの表情が再び警戒心で引き締まる。
熱斗も慌てて正面に向き直り、視線をSearchから満に向け直した。
だが、二人の視界に映る満は熱斗とSearchのやり取りが相当面白おかしかったのか、中々笑い声を止められない様子で、それが何処か挑発的に感じられた熱斗は思わず叫んだ。

「何がおかしいんだよ!?」
「はは、あはは! これ、笑うなっていう方が無理だって! Searchちゃんが他人の心配なんてする訳無いのにさぁ! 熱斗くんったら勝手に心配された気になってるんだから、笑っちゃうのは仕方ないじゃない、ねぇ!? はははは!!」

そう言って笑う満の表情からは、熱斗よりも自分の方がSearchの事をよく知っている、という事への優越感からくる喜悦があからさまに見て取れる。
熱斗はそれが何故か少しだけ自分の気に障るのを感じたが、今一番大事な事はSearchの事ではなく、満の事である、と考える事で冷静さなんとか維持し、感情的に何かを言い返す事を我慢した。
そして、先程うやむやになってしまった質問の答えを、相変わらず無表情で銃を構えるSearchではなく、Searchと熱斗の温度差を面白がっている様子の満に求める。

「……Searchの事はこの際どうでもいい! それより、問題はお前の事だよ! 満! なんで、なんでこんな……こんな酷い事して、笑ってられるんだよッ!?」

それは質問であると同時に満の罪悪感を引き出そうとした発言だったのだが、そのような熱斗の思惑とは反対に、満の表情は急激に冷えていき、見るもの全てを凍てつかせるような鋭さを漂わせ始めた。
そのあまりの鋭さに一瞬たじろいだ熱斗の、その左耳を僅かに掠めるように、一本の医療用メスが先程よりも素早く駆け抜ける様に真っ直ぐ飛んでいく。
これには熱斗だけでなくSearchも多少驚いたようで、熱斗がゆっくりとSearchの表情を窺うと、Searchは先程よりも数段険しい表情を浮かべて満を睨み付けていた。
一触即発の空気の中、熱斗は医療用メスが掠めた左耳を左手の人差し指で触り、その指の腹に伝わる感触から、自分の耳がほんの僅かではあるが満に斬り付けられ、ほんのりと血を滲ませている事を悟る。
満に怪我をさせられた、という事実は熱斗にとってどうしようもなく衝撃的であり、熱斗はその衝撃から抜け出せないまま、視線をSearchから満に移す。
すると、熱斗の視線が自分に向けられる事を待っていたかのように、満が口を開く。

「酷い事、か……あぁ、無知って本当に罪だね。僕は飽く迄も後攻で、先攻はこの屑共なのにさ。」
「それって、どういう意味だよ……?」

満の言葉の意味をイマイチ理解できなかった熱斗の口からは、その言葉の意味の解説を満へ求める言葉が漏れていた。
何故ならば、熱斗にとっての今の状況は、満が一般市民を殺した、というものであり、満に殺された一般市民が先攻――先に満に攻撃していた、という主張は何処か信じ難いものであったからだ。
それに、仮に今回の被害者達が満に何らかの危害を加えていたとしても、それに対して非常に強い殺意をもって死体が無残な姿になる様な反撃をした満の行為はやり過ぎ、過剰防衛の範囲にある、と熱斗は思っていたのである。
その為、熱斗は無意識に、満を怒りで責めるような目で見詰めていた。
すると、

「……熱斗くんって、あの時の教師みたいな顔をするんだね。本当に悪意を持っていたのは僕でもSearchちゃんでも無く、あの時Searchちゃんに対して自分が捕まえてきた野良猫を殺すように命令して、それに反発した僕を怒鳴りつけたコイツ等なのにさ……。」

それまでの鋭い表情が薄れ、何処か寂しげで悲しげな表情を浮かべた満が、悲哀の感情で相手を責めるような視線を熱斗に向けながら、そう言い放った。
熱斗はそれを聴いてもまだ満の真意を汲み取りきれていなかったが、それでも、猫殺しを命令したコイツ等、という言葉は脳内に強く引っ掛かり、その脳裏にぼんやりとではあるが一つの可能性を浮かび上がり始めるのを感じていた。
だがそれは、熱斗にとってはニュースでたまに聞く程度の、日常には全くと言っていい程縁の無い、遠い世界の残虐な言葉である。
そう、遠い世界の、おとぎ話にも似た、現実感の無い言葉――それが真実である事を反射的に信じたくないと思う程、常日頃から性善説に生きる熱斗は、あえてその言葉を口にして、満に否定の言葉を求める。

「それって、まさか……イジメ……ってやつ……?」

殺人という行為に対し怒る事さえ忘れた顔と、心細そうな視線に、若干震える声を添えて、満に縋る様な思いを抱え、熱斗は恐る恐る訊ねた。
満がそれを否定する事を無意識に祈りながら微かに揺れる熱斗の瞳に、満は何を思った事だろうか。
それまで一時的に純粋な悲しみを見せていた満の表情に、微かな嘲笑が滲み始めた時、熱斗は一瞬、満は何らかの作戦として熱斗に対し嘘を吐いていて、それを熱斗が信じたから嘲るような笑みを見せたのだ、と思おうとした、が、その浅はかな思惑はそれこそ簡単に裏切られる事となる。

「……まさか、かぁ……熱斗くんにとっては、虐め、って空想世界の産物なのかな? 僕にとっては、今の熱斗くんよりも小さい頃から続いた、紛れも無い現実だったけど。」

満の表情に浮かんだ嘲笑は、熱斗の想像力不足に向けた呆れの要素も含んでいる、という事実に熱斗が気付いたかどうかは分からない。
とにかく満は、熱斗が一番信じたくなかった想像――満が、そしてSearchが虐めの被害者であったという想像が的中している事を宣言した。
その宣言を受けた熱斗は、満に対してどのような言葉をかければいいのか分からなくなり、その表情に困惑の色を浮かべたまま苦しそうに押し黙っている事しかできなくなっていた。
何故ならば、元々は悪意の被害者であった現加害者と相対した事が今まで無かった熱斗には、満を罰するべきなのか、それとも慰めるべきなのか、そして本当に罰するべきは誰だったのか、それら全てが分からなかったからである。
では、何故熱斗はそれらを判断しきれなかったのか? その理由は、今まで熱斗の前に立ちはだかってきた悪人達の性質を考えれば分かるだろう。
そう、今まで熱斗の前に立ちはだかった加害者や悪人――例えば、Dr.ワイリーやDr.リーガル等は、何の悪意も無い単純明快な結果に対して理不尽に憤り、自ら率先して悪に堕ちた、いわば先攻の悪人ばかりだった側面が大きい。
だから熱斗は、諸悪の根源を断罪する、という大義名分を彼等相手に無意識に振り翳す事を許され、また自分でも無意識とはいえそれを許し、肯定し、それが正しい事であり相手の将来的な幸せにも繋がると信じて来られたのだ。
しかし、今熱斗の目の前にいる満はどうだろうか?
仮に満の言葉を信じるとするなら、満が直面した結果は、悪意の無い単純明快な結果とは言えない所か、他人の悪意に満ちた息苦しく理不尽な結果だったのではないだろうか?
そう考えてしまうと、熱斗にはこの惨劇において断罪すべき諸悪の根源が満だと言い切る事は出来ない気がしてきてしまうのである。
しかし一方で、例え相手が悪人であろうと、殺人が犯罪行為である事もまた事実であり、その面で熱斗は満を簡単に赦す事はできないという気持ちを失ってはいない。
だから、

「……なぁ、Search。満の言ってる事に、嘘ってある?」

熱斗はまず、満の言葉がどの程度真実であるのかを探る為だという言い訳を無意識に自分に施し、また無意識の内に満の話が嘘である事を願いながら、先ほどからずっと隣で銃を構えているSearchに視線を向け、そう問いかけた。
もし此処で、Searchが一言、満は嘘を吐いている、とか、そのような事実は存在しない、などと言えば、熱斗は今まで築き上げてきた正義感――悪への断罪の意思をたちまち取り戻す事ができただろう。
実際、熱斗は飽く迄も無意識にではあるがそれを期待していて、だからこそ満の話をすぐには信じず、Searchに確認を取るというステップを挟んだのだから。
しかし、熱斗の苦し紛れの希望は、Searchの返答によっていとも簡単に打ち砕かれてしまう。

「いや……満は何も嘘は吐いていないだろう。確かに、私は満がいる状況で同級生から野良猫を殺害するよう命じられ、実行した事がある。満が一瞬それに反対した事も、一応、記憶にある。その意味で、満は嘘を吐いてはいない。」

Searchは熱斗に、満の話は自分の記憶にもある事実であるという事――つまりは、真実であるという事を告げた。
それは、無意識とはいえ、自分の周囲に人間関係の不協和音に苦しめられた人物がいた事実や、虐めという言葉から逃げたいと思っていた熱斗の偽善的希望を打ち砕く発言であり、熱斗は今まで信じていた世界に大きなヒビが入り、少しずつ崩れ落ちていく様を見ているような気持ちになる。
受け入れ難い現実に首を絞められるような息苦しさを覚えながら、そのせいで取り込めなくなってきた酸素を求めて水面で口を開く金魚の様に、熱斗はとつとつと話す。

「じゃあ……満は本当に……イジメられてて、その復讐の為に、クラスメイトを……?」

それは、先ほど熱斗の質問に答えてくれたSearchに向けて放った言葉だった。
だが、それに対してのSearchの返答を、熱斗は聞く事ができなかった。
何故ならば、

「クラスメイトなんかじゃない!!」
「ッ!?」

満が突然の絶叫にも似た鋭い怒声を発し、熱斗の肩を驚愕に震わせたからである。
熱斗は、それまでSearchに向けていた視線を恐る恐る満に向け直す。
すると、先程の少し寂し気な嘲笑とはまた別の、煮え滾る様な怒り――憎悪を感じさせる非常に激しい表情で熱斗を威嚇し、突き刺すように睨み付けている満と視線が合って、熱斗は思わず一歩後ずさってしまった。
自分の発言の何がそれほど満の神経に障ったのか分からないせいで今にも狼狽えだしそうな熱斗に対し、満が地獄の底から這いあがる様な、いつもより少し低めでドスのきいた声で怒鳴る。

「コイツ等はただ同じ教室にいただけの屑ゴミだ!! クラス“メイト”なんていうお友達言葉を使うんじゃあない……僕はこの屑共のお友達なんかじゃないんだよ!! それなのに、無能な教師共みたいな台詞を吐いて……次に言ったら、お前も殺すからな!! 光 熱斗!!」

あまりの剣幕に気圧されて、熱斗は更に一歩後退したが、それでも満は熱斗への威圧をやめようとはしない。
どうやら、熱斗が思っている以上に、熱斗の発言――クラスメイト、という単語は満の気に障ったようだった。
また、合計二歩も後退した熱斗とは違い、一歩も後退する事無く冷静な態度を貫いているSearchの表情に何処か呆れのようなものが滲んでいるのは、熱斗が先程から満の精神を刺激して自らを危険にさらすような事ばかり言っているからだろうか。
憤激する満と飽く迄も冷静なSearchの間で何処かアウェイとでも言うべき空気を感じながら、それでも熱斗は必死に自分を奮い立たせようと試みる。
しかし、その脳内に走る思考は既に支離滅裂に近くなっており、熱斗は満を叱責する言葉は勿論、慰める言葉すら思い浮かべる事は出来なかった。
辛うじてわかる事は、自分は満を止めたいと思っているが、その為に取るべき言動が分からないという事ぐらいである。
半端な叱責も、生温い慰めも、恐らく満の心には届かないという事は熱斗にもよく分かってきたのだが、ならばどのような叱責、どのような慰めならば満の心を動かせるのかは、まだ一切分からない。
どうすれば良いのだろう、と熱斗は混線しかけた思考回路で考えるが、そもそも現時点で満の心を良い意味で動かすような言葉を一欠片も放つ事ができていない熱斗にその答えを見つける事ができる訳など無いに等しく、熱斗は次の一手を打つ事ができないまま、縋る様な視線で満を見つめる事しかできずにいた。
そのような熱斗の姿に、怒りを通り越して呆れを覚えたのか、満はその表情から憤怒の色を消し、大きな溜息を吐く。

「ハァ……あのさぁ、Searchちゃんが僕を逮捕、或いは殺害する為に此処に来るのは分かるけど……光 熱斗、お前はどうして此処に来てる訳?」

もはや、熱斗くん、と呼んではくれなくなった満の声が、熱斗の耳と胸に刺さる。
突き放すような冷たい声と呼び方に胸を抉られる思いを感じながらも、熱斗は必死に返事を考える。
そして、心細そうな弱い声でボソボソと答えた。

「それは……満を、止めたかったから……。」
「へぇ? なんで?」
「なんでって……」

熱斗は、その答えを言い淀んだ。
何故ならば、ここで答えを間違えると、何か取り返えしのつかない事になる様な気がしたからである。
そのような熱斗の焦りを察してか、それとも単に熱斗が余計な事を言って満を激怒させる未来を予想したのか、熱斗の視界の一部にはSearchが右手に握った拳銃の銃口を満の頭に向ける様子が見えた。
取り返しのつかない事が満による熱斗への攻撃なのか、それともSearchによる満への射撃なのか、はたまたそれ以外の何かなのか、それが全く分からないというプレッシャーの中、熱斗は必死に満を納得させられる言葉を探す。
自分は、何故満を止めたいのだろうか?
単純に考えれば、それは――、

「……さ、殺人は、悪い事、だか、ら……?」

次の瞬間、熱斗の視界には熱斗の首筋に怒りの籠った視線を向けながら医療用メスを投げつける満の姿と、熱斗に向かって飛び込んでくるそのメスに向けて発砲し、正確に銃弾を当てる事でメスの軌道を変え、熱斗を庇ったSearchの姿が見えた。
その一連の流れの後、熱斗は自分の答えが正しいものでは無かった事を察し、それと同時に、満が本気で自分を殺しにかかってきた事実に予想以上の衝撃を受け、思わず床に膝をついてしまった。
満に殺されかけた、という事実に呆然とする熱斗へ、熱斗を本気で殺しにかかった満は言う。

「スクールカースト上位に都合の良い道徳の教科書から抜き出したような薄っぺらい解答なんていらないんだよ。というか、お前、今まで何を聞いてたの? 僕がコイツ等を殺す理由、一応理解してるんでしょ? ……誰が本当の諸悪の根源か、分かるよね?」

流石の熱斗も、満が暗に、悪い事をしたのは自分に殺されたこの男やその同類達の方だ、と言っている事が分からない程の馬鹿ではない。
だが、それでもやはり、一般社会的な常識に照らし合わせれば男達のしたイジメよりも満のした殺人の方が悪い事だ、と考える意識を取り除く事はおろか、一旦遠くへ置き去りにしておく事もできない熱斗には、諸悪の根源は虐め加害者の方である、と言う事はできなかった。
確かに、法律という社会的ルールを基準に考えれば、イジメは殺人ほど重い罪として認定されておらず、イジメに対し殺人を返すのはバランスが取れた行動ではない、という熱斗の認識は何ら間違ってはいない、それは事実だ。
特に、これまで僅かな虐めも受けず、また自ら虐めに手を染める事も無く、ただただ真っ直ぐ、奇跡的な程幸福に生きてきた熱斗がそう思ってしまうのは無理も事ないだろう。
しかし、そのような熱斗と現在相対している満は、そうではないのだ。
満に――虐めの被害者にとって、虐めの罪は、傷痕は、後遺症は、重度の傷害や殺人に並ぶほど重いのである。
それ故、その事実を肌で感じる事ができない熱斗の、表面的な社会的正義――一種の偽善にも似た言い訳が満の心に響かないのは、これまた無理のない事なのだ。
だが悲しい事に、熱斗はまだそれに気が付く事ができずにおり、その為、

「だ、だけど! いくらなんでも殺す事ないだろ!?」

熱斗は悪辣なスクールカースト上位にだけ都合の良い道徳の教科書から抜き出したような言葉を再び喚く事しかできなかった。
そして、熱斗が情けなく喚く度、満の目には怒る事すら馬鹿馬鹿しいと言いたげな冷たい呆れと諦めが広がっていく。
熱斗を見据える満の視線は既に、虐め加害者やその味方をするロクデナシの第三者を見ている時のそれになっている。
医療用メスよりも遙かに鋭く突き刺さる冷えたその視線に震えながらも、熱斗は無意味な説得――実質、挑発とも言えるそれを続けてしまう。
その斜め前でSearchが、そろそろ熱斗を無理矢理にでも黙らせるべきかもしれない、と考えている事など、熱斗は気付かない。
熱斗は喚き続ける。

「それに、悪い事をしたら怒られるのは当たり前なんだ!! だから、満が警察から怒られるのも、当たり前の」
「コイツ等は誰にも怒られていないのに?」

飽く迄も自分が今まで信じていた社会のルールを盲信して挑発にも似た説得を続ける熱斗の声に食い込むように鋭く、満が背後の死体を指差しながら唐突に反論の声を上げた。
それは熱斗の説得の様に喚き叫ぶ声では無かったが、熱斗の声という雑音を一刀両断する力のある妙な程に澄んでいて鋭利な声音であり、熱斗は思わず息を飲み、喚き散らそうとしていた言葉を飲み込まざるをえなかった。
そして熱斗は、喚くはずだった言葉を飲み込んで、忘れかけた呼吸を再開しながら、先程の満の刃物の様に鋭い声が、自分の脳内でただの音から意味を持った言葉に変わっていく様を感じ始める。
切り裂くように鋭い声で、満は何と言ったのか?
それを確かめる様に、熱斗は呟く。

「怒られて、ない……?」

悪い事をすればそれ相応の罰を受ける事になるのだから、そのイジメっ子達は既に罰を受け終っているハズで、その事実を無視して殺害に至る事は間違っている、という線で満を説得しようとしていた熱斗は、満の反論により、イジメっ子が罰せられた事実など一欠片も存在していない可能性に気付き始め、既に大きなヒビの入っている壊れかけの世界が更に大きく崩壊していくような恐怖を覚えた。
今まで信じていた善意と正義に満ちた社会は夢にも満たない幻覚だった、という事実を突き付けられ、しかしそれを受け入れ切れず、今にも大きく震え出しそうな熱斗に対し、満は語る。

「そうだよ、コイツ等は、虐めという悪行に手を染めていながら、それを咎められた事なんて無いんだ。それどころか……あの時、コイツ等は僕とSearchちゃんに全ての責任を擦り付けて、自分達は叱責から逃れたんだ!! 全ての発端はコイツ等の悪意なのに!!」

熱斗に対し、虐めの加害者達は本来受けるべきだった罰を受けていない、という事実を語る満の声は最初こそ不思議な程の冷静さを保っていたが、その冷静さは飽く迄も演技の一つに過ぎなかったようで、徐々に抑えきれない憤怒の感情が剥き出しになり、最後には悲鳴にも似た叫び声となっていた。
その為、熱斗はその激しい感情に気圧されて、思わず肩を大きく震わせるという情けない姿を晒してしまった。
それを察してか、斜め前に立って銃を構えたままのSearchがチラリと熱斗の気配を窺うような動きを僅かに見せる。
しかし、Searchは熱斗がそこにいて満に視線を向けている事だけを確認すると、熱斗を励ます事も慰める事もしないまま、その研ぎ澄まされた神経を再び満の方へと集中させてしまう。
また、幸か不幸か、ロックマンはまだBloodと共にMurderと交戦中らしく、熱斗を奮い立たせてくれるような言葉がPETから聞こえてくる事も無い。
精神的な援軍の無い状況での戦いに慣れていない熱斗の心の奥から、無意識の内にジワリジワリと染み出すそれは恐らく、心細さ、だったであろう。
その心細さは、熱斗にとっては自分を弱く、脆くする毒でしかない。
熱斗は自らの内側から滲み出すその毒に蝕まれながら、かつてそれと同じ毒を感じ、しかしその毒さえも糧に変えて、今此処に復讐の意思を持った殺人鬼として立ちはだかる満を縋るような目で見詰めた。

「……何? 言いたい事があるなら言えば? 聞くだけは聞いてあげるから。」

だが、満は相変わらず確かな敵を見る目で熱斗を見ており、その声は酷く冷たく、自分に縋り付こうとする熱斗の心を跳ね除けようとしているようだった。
恐らく、満にとって今の熱斗の言葉ほど心に響かないものは無いのだろう。
であるから、聞くだけは聞いてあげる、という言葉も、裏を返してしまえば、聞く以上の事はしない、という意味でしかないのだ。
その事は、流石の熱斗にも薄らと理解できていた、が、それでも僅かな希望に、幻の希望に、有りもしない希望に縋りたい熱斗は、満から見れば非常に馬鹿馬鹿しい質問を投げかけてしまう。

「……先生達は助けてくれなかったのかよ……?」

それは、人間は助け合って生きる存在である、という理想論を信じたい熱斗の、最後の足掻きのようなものであった。
しかし、それを投げかけられた満は冷たい表情を崩さず、それどころか呆れかえったような大きな溜息を一つ零して、

「お前、本当に馬鹿だよね……この流れで分からない? 教師は助けてくれないどころか、僕とSearchちゃんを悪として叱責したよ。……今のお前みたいな、薄っぺらい聖人気取りでね。」

と、熱斗の理想論を完全に踏み潰したのであった。
同時に、相変わらず冷たい満の視線が、自分が今まで真実だと思って少しも疑う事なく信じていた理想論を砕き尽され、自分は当時の教師と同じ薄っぺらい聖人気取りに過ぎないのだと吐き捨てられた熱斗の、自分が信じていた世界が壊れる不安に揺れ続ける瞳の奥深くを射抜く。
その視線は、熱斗が今まで対峙し、退治もしてきたどの悪人達の視線とも別種のものであり、熱斗にとっては得体の知れない視線であった。
得体の知れない、という感覚はやがてその視線に対する恐怖に変わり、熱斗の小さな体を縛り付け、身動きを封じる鎖となる。
そうして、熱斗は小さな身動き一つ上手く取れなくなっていく。
熱斗はそれを、満の視線が相変わらず冷やかな事も相まって、まるで四肢が凍り付いてしまったような感覚だ、と思った。
酷い無力感が熱斗を襲い、それと同時に、もしも今、自分に対し満からの攻撃があり、それをSearchが防ぎきれなければ、自分はあっけなく満に殺されてしまうのだろう、という、ほんの僅かに諦めが混ざったような不安が脳裏を過る、が、熱斗のその不安は何故か的中せずに終わる事となる。
何故ならば、満がとった次なる行動は、熱斗やSearchへの物理的且つ直接的な攻撃では無かったからだ。

「……ねぇ、助けてもらえない気持ちはどう?」

それまで熱斗やSearchの発言に対する返答が多かった満が発した突然の自発的な言葉に、熱斗の中で渦巻き始めていた、満に対して何もできない無力な自分は此処で死ぬのかもしれない、という自暴自棄な思考が途切れた。
自らの無力感が生み出した思考の渦から引き上げられた熱斗がハッとして満の表情を確認すると、満は冷たさの中に哀愁を隠したような、ほんの少しだけ憂鬱の滲む表情を浮かべていて、熱斗はその不可解さに僅かに首を傾げる。
何故ならば、熱斗には満のその表情がまるで、熱斗が満の主張を理解できていない事を悲しんでいる時のような、或いは、何かを諦めようと必死になっている時のような、酷く寂しげなものに見えたからだ。
殺意と殺意の隙間から時よりチラついて見える、殺意とは全く別の何かであるそれに、熱斗の関心は集中していく。
そして、もしかしたらこれは満を本当に理解する為の鍵の一つなのかもしれない、という直感を覚えた時、熱斗の口は自然と新たな言葉を紡いでいた。

「……満も、こんな気持ちだったって事?」

それは、激しい敵意から精神的な攻撃を容赦無く向けてくる満と、身体的な攻撃は阻止しても精神的な攻撃には一切関与する姿を見せないSearchと、ロックマンの支えも無いまま独りで満からの精神的な攻撃を受け続ける自分、という構図にはもしかしたら満の過去と重なる部分があるかもしれない、と感じた熱斗の率直な質問だった。
誰にも助けてもらえない、という孤独の中で、棘の生えた言葉が胸を貫く様に突き刺さり、徹底的で頑なな敵意が頭を砕くように殴打するこの感覚は、もしかしたら満が過去に経験した感覚なのではないだろうか、と熱斗は考えたのである。
とはいえ、今この状況は理不尽な悪意と喜悦の蔓延る虐めとはまた別の物である事は改めて確認するまでも無く、熱斗自身も満に虐められているとは全く思っていないという事から考えて、今の熱斗の立場をかつての満の立場と完全に重ねて考える事はできない、という事実も存在する為、この言葉は一種の賭けの様な発言でもあったであろう。
何故ならば、満の先程の発言の意図がもしも熱斗が思った通りの事――自分と同じように孤立無援で攻められて責められる気持ちはどうだ、という意味――ではないならば、満の口から飛び出す声は激しい怒声になるに違いないからだ。
熱斗の発言は満の悲鳴にも似た主張を熱斗に対する虐めに見立てているという意味において、満がかつて受けた様々な汚らしい悪意の言葉と満が今まで押し殺していたであろう苦しみの叫びをを同一視していると捉えられてもおかしくはないものである為、熱斗と満の発言の意図がズレていた場合には、それが満の気に障ってしまう可能性も十分あったのである。
という事を、熱斗とSearchが理解していたかどうかは分からないが、とにかく熱斗は満が先ほど発した言葉の意味が自分の感じた通りであり、その意味を自分が少しでも理解できた返答をできていた事を祈りながら、満の返答を待った。
一方、万が一の事態に備え、Searchは拳銃の引鉄に指を近付ける。
短くも澄み切った沈黙の中で熱斗は祈りを捧げ、Searchは覚悟を決め、そして満は――、

「……へぇ。所詮はスクールカースト最上位のお気楽で無知な子供かと思ってたけど……少し意外だね。」

満は、一見しただけでは相変わらず憂鬱そうにしか見えない顔をしながらも、ほんの少しだけ感情の起伏を取り戻したかのような、平坦にほど近いが完全に平坦とは言えない不思議な声音でそう言った。
Searchはそれをそのまま、憂鬱そうな顔と声、単純に認識していた為に自身の表情を変える事は無かったが、熱斗はその憂鬱の中に何か別の物が見え隠れしている事を僅かに感じ取り、不穏な夢から目を覚ますかのように、元々大きく開いている目を少し力強く開いた。
あともう少し、あともう少し会話を続ければ、満が憂鬱の影に隠している本音と満を殺人鬼としての生き方から救い出す道が見える……そのような予感が、熱斗の思考回路を駆け抜け、熱斗は次に発するべき言葉を探す事に意識を集中させようとする、が……

「熱斗!! 退け!!」
「えっ? うわっ!?」

それまで熱斗の横で拳銃を構えていたSearchが突如緊迫した声で熱斗に後退を命じ、それから数秒も経たない内に銃を持っていない方の手で熱斗の洋服を強く掴みあげた。
そして、熱斗の体を片手で持ち上げたまま、自分ごと倉庫の外へと後退するように素早く跳躍する。
Searchが熱斗を連れて着地したのは最初の時に満が投げたメスが当たった倉庫のすぐ傍であり、満がいる倉庫からはやや離れた場所である。
そこでSearchは漸く熱斗の服から手を放し、それまでほんの少しではあるが身体が浮いた状態になっていた熱斗は臀部が地面に着地する痛みに小さく、いてっ、という声を漏らす。
あまりにも突然過ぎるそれらの展開に納得がいかない熱斗は、もう少しで満の本音と和解への道が見えそうだったというのに、と言いたげにSearchを軽く睨んだが、Searchの視線は熱斗には向けられておらず、満がいる倉庫の屋根付近へと向けられており、それを不思議に思った熱斗は自身も視線を倉庫の屋根付近に向け、Searchが見ている物の正体に気付くと驚きの声を上げた。

「な、なんだよこの物騒なヘリ!!」

熱斗とSearchの視線の先、倉庫の上空に居たのは真っ黒な塗装の施された戦闘ヘリコプターであった。
今まで海外のアクション映画や戦争映画でしか見た事が無いと言っても過言ではないそのヘリコプターの威圧感に圧倒される熱斗の前で、戦闘ヘリは機体下部に取り付けられた機関銃の銃口を倉庫の屋根に向ける。

「え……あのヘリ、まさか!?」

そして、熱斗がヘリの行動の意図に気付いたのとほぼ同時であっただろうか、ヘリは倉庫の屋根に強力な射撃を開始し始めた。
熱斗はまだ倉庫の内部にいるはずの満の安否が心配になり、倉庫に向けて駆けだそうとするが、その行為はそれに危険を感じたSearchの手が再び熱斗の服を掴む事によって阻止されてしまう。
そのような事をしている間にも戦闘ヘリの射撃は続き、倉庫の天井は崩れていく為、満の事が心配で堪らなくなった熱斗は自分が駆け出す事を阻止しているSearchに憤りを覚え、悲鳴をあげるかのように喚く。

「Search!! なんで邪魔するんだよ!? あっちにはまだ満が!!」

熱斗は戦闘ヘリから放たれる銃弾に怯えつつも、早くしなければ満が死んでしまう、殺されてしまう、と言いたげに焦り塗れの顔をしながら必死に訴えた。
しかしSearchは熱斗の服から手を放そうとしてはくれない為、熱斗の顔は徐々に絶望に落とされたような表情を浮かべ始めてしまう。
熱斗には、このような銃撃と瓦礫の雨の中で、満が無事でいるとは到底信じられなかったのである。
だが、倉庫の天井が完全に崩れるまであと僅かとなった頃、Searchが漸く口を開き、

「……落ち着け、あのヘリは満と同じ側だ。満を殺そうとはしていない。……そうだろう? Blood。」

と言って、熱斗の絶望を否定した。
そして、熱斗が見ている間は拳銃を持っていたはずの右手でいつの間にか持っていたPETの画面を熱斗へ向ける。
Searchが持つ赤と黒をメインカラーにしたリンクPET-EXの画面には、少し傷付いてはいるがその存在の維持には問題の無さそうな様子のBloodとロックマンが映っている。
どうやら、Searchがいつの間にか自身のPETにプラグアウトさせていたらしい。
熱斗はSearchが絶望を否定した意味も、Bloodとロックマンをプラグアウトさせた意味も理解しきれていないようで、少々間抜けな顔をしてPETの画面を見た。
何が何だか分からない、と言いたげの顔の熱斗に対し、Bloodが少し不機嫌そうな、しかし同時に挑発的な意地の悪い笑みを浮かべながら、毒づく様な声で言い放つ。

「気付いてなかったかしらぁ? Murderったらねぇ、アタシとロックマンが現れてすぐ、Dirty Bloodに向けた救難信号を送ってたのよぉ。おかげでこんなヘリが来ちゃって、Murderを殺し損ねちゃったわぁ!」
「え……あのヘリって、Dirty Bloodの、なの……?」
「警察にもネット警察にも、あんなヘリはいないわよぉ? そうよねぇ? ロックマァン?」

熱斗が妙にテンションの高いBloodから話を振られたロックマンへ視線を合わせると、ロックマンはBloodとは違い至って真面目な表情で頷いた。

「うん、ネット警察にあんなヘリコプターはいないし、普通の警察にもああいうヘリコプターはいないよ。僕等の味方からヘリが来るって話も聞いてないし、あれはSearchさんが言う通り満さんを助けに来たDirty Bloodのものだと思う。」

ロックマンは至って真面目に、しかし同時に熱斗を落ち着かせるように優しさの感じられる声音でそう言った。
その言葉と声音が効いたのか、熱斗の顔からは絶望に対する恐怖の感情が薄れていく。
だが、熱斗はそれでもまだ不安そうに、ロックマンやBloodに縋る様な気持ちが見え隠れしている表情で二人に問い掛ける。

「そ、そうなのか……でも、それでも、あんなに撃ち込んだら不味いんじゃ……?」

その頃になるとDirty Bloodの戦闘ヘリは既に射撃を終えていたが、土煙の中にぼんやりと見える倉庫は最早原型を留めていない様に見えた為、熱斗はまだ不安な気持ちを消しきれず、自身の心臓が緊張して普段よりもずっと激しく脈打つ様を感じており、何か少しでも今以上のストレスを与えれば過呼吸でも起こしてしまいそうな顔をしていた。
まだまだ不安が隠し切れていない顔でPETの画面を見詰める熱斗に対し、ロックマンは何か安心材料になる情報は無いかと思い悩む様な顔を見せ、Bloodは満の安否などどうでもいいと言わんばかりのツンとした表情を見せる。
熱斗はその二人の様子に、やはりどちらにしろ今回の事に希望は無かったのだろうか、と不安が増し始めるのを感じたが、次の瞬間、それまで暫しの間黙っていたSearchが再び口を開き、熱斗の事を思って、ではないが、結果的には熱斗の不安を打ち消す言葉を発した。

「倉庫をもっとよく見ろ、満は死んでいない。」

そのSearchの言葉に釣られるようにして熱斗が再び倉庫のあった場所を見ると、漸く土煙が落ち着き始めたそこには、天井が抜け落ち壁の一部が大破した元倉庫と、戦闘ヘリの銃撃で破損が進んだと思われる派手な服を着ていたであろう男の遺体と、そして少し土埃を被ったらしい生存者――満が元倉庫の壁際に立っている姿があった。
どうやら満は銃撃が始まる直前に壁際へ身を寄せ、銃弾や天井の瓦礫の落下を避けていたらしく、その体に大きな傷を負った様子は見受けられない。
勿論、小さな瓦礫や土埃を避けきる事は流石に出来なかったらしく、頭頂部やスーツの肩の辺りは灰色になりかけていて、煙に少し咽ている様子はあったが、あの銃弾と瓦礫の中にいてその程度で済んだという事実は熱斗を大変安堵させた。
乱雑に脈打っていたような気がする熱斗の心臓の拍動が少しずつ平常に戻るのと並行するように、元倉庫の周辺から土煙が退いていく。
土煙が落ち着くと、ヘリは元倉庫に更に近付き、満の近くに縄梯子を下ろした。
そして、土埃による咳が収まった満がその縄梯子に手を伸ばし始めた姿を見て、熱斗は咄嗟に叫ぶ。

「満!! 行っちゃ駄目だ!!」

すると、その声に反応するように、満の手が止まった。
それを見た熱斗は満が今からでも正しい道を、自分と同じ道を、光に満ちた道を選んでくれる事を反射的に期待し、笑顔を浮かべる。
しかし、その笑顔から顔を背ける様に縄梯子に視線を向けたままの満の手は、熱斗に向けて差し出される事など一切無いまま、熱斗の言葉を振り切るようにして縄梯子の丈夫な縄をしっかりと握ってしまった。
そして、一気に落胆の表情を見せる熱斗の顔を見ないままの満がもう片方の手でも縄を掴み、両足も梯子に掛けると、それを確認したらしいヘリの操縦士は操縦桿を操作し、ヘリを高く浮き上がらせる。
それから、熱斗が見せる満へ縋る様な視線とSearchがヘリからの攻撃を警戒している視線など意に介す必要は無いと言わんばかりに高度を上げたヘリは、梯子につかまっている満に危険が及ばない程度のスピードで遠くへ飛び去っていってしまう。

「満……。」

去っていくヘリを追いかけるような視線で眺めながら、熱斗はその名前を呟いた。
その隣では、Searchが漸く緊張をと解いたような顔で小さな溜息を吐いている。
銃撃戦に長けた殺人鬼であるSearchといえど、戦闘ヘリを生身のまま相手にするというのは流石にプレッシャーが掛かってくる事であったようだ。
普段に比べるとやや分かりやすく安堵した様子のSearchの横で、熱斗はもうヘリの姿は見えなくなった夜空を見上げる。
その非常に寂しげな横顔を確認するかのように、いつの間にか熱斗のPETへと戻っていたらしいロックマンが小さなホログラムの姿で熱斗の肩の上に現れ、心配そうに熱斗を呼んだ。

「熱斗くん……。」
「……ロックマン、俺……やっぱり、分かんない事の方が多いよ。」

熱斗の心から自然と零れた言葉を聴いて、ロックマンも寂しそうで複雑そうな表情を浮かべる。
自らのPETを使用して警察やネット警察に事情を知らせる通信を行っているSearchを横目に、熱斗はその胸の中で絡まり合った気持ちの糸を掲げて見せるかのように、ロックマンへ向けて自分の心情を吐露していく。

「イジメが……虐めが悪い事なのは、勿論だと思う。満も苦しんでたって言うのも、少しは分かったと思う。でも……やっぱり、だからってDirty Bloodに入ったり、復讐っていって殺す気持ちは、正直、理解しきれない。」
「うん……そうだね……。」
「やっぱり人殺しは悪い事だし、俺は満にそんな悪い事をしてほしくなんかないって思うから……満がこれからも誰かを殺すなら、戦わなきゃいけないんだと思う。」
「うん……。」

拙い解決方法しか思い付く事の出来ない自分の弱音にも似た言葉に対し、反論や異論を差し挟む事無く耳を傾けてくれるロックマンの存在を心強く思いながら、熱斗はしばし沈黙して、絡まってしまった糸を丁寧に解くように思考を巡らせる。
先程述べた通り、熱斗にとって、復讐をする気持ちや殺人を犯す気持ちは到底理解の及ばないものだ。
正直な事を言えば、虐められる辛さに関しても、教科書やテレビのドキュメンタリー上で見える表面上のレベルでしか理解できないものだろう。
そのような自分には、満の苦しみや怒りへ完全に共感し、寄り添う事はできないのだろう、という事も容易に想像が付く。
だが――、

「……でもさ、だからこそ、俺は満を救いたい。昔の満にはもう何もできなくても、今の……これから先の満には、俺の手が届くはずだって、俺は信じたいんだ。悪い事はそりゃあ否定するけどさ、満自身の事は……肯定して、応援したいから。」

そう言い切った熱斗の微笑はやはりどこか寂しげに曇っている様に見えない事も無かったが、熱斗の最大の理解者であるロックマンは、その曇った表情の中でも茶色の両目だけは確かに未来を見据えて透き通っている事をひしひしと感じていた。
熱斗の決意を感じ取ったロックマンの顔にも、未来への希望と言える明るさが少しずつ戻り始める。
そして、

「うん……そうだね、満さんの事、僕達で絶対助けようね!」

ロックマンがそう言って明るく微笑むと、熱斗も漸く元気を取り戻し始めたのか、さっきよりももう少し明るい笑顔を浮かべながら、一度だけ大きく頷いた。
その直後、警察とネット警察への連絡を終えたらしいSearchが黄土色のコートに付着した砂埃を払いながら、熱斗に呼びかける。

「熱斗、総監達が直接報告を聴きたいらしい。ネット警察のビルに急ぐぞ。」

その声を聴いた熱斗とロックマンは顔を見合わせ、二人でいつも通りの明るく力強く、しかし優しい笑顔を浮かべ合ってから、ハツラツとした声で返事をする。

「あぁ、分かったぜ!」
「これから頑張らなくちゃね!」

そのような二人の様子を不思議そうな顔で見るSearchを追い抜いて、熱斗はネット警察のビル向かって走り出した。


End.

◆◇

【RE Second】の第三章でやりたいシナリオをちょっとだけ書いてみました。
実は、書き始めの時期はファイルの情報を見る限り2017年3月6日らしく……時間かかりすぎだろ、と思います。
また、書き始めてすぐの頃はもっと救いの無い話にするつもりだった気もするのですが、この話は一応極力公式沿いにした熱斗が主人公、という事で、公式のロックマンエグゼの様に希望を残した終わりにしてみました。
……まぁ、別の話(【知らない故の後悔よりも知った故の後悔がしたい】)を読んだ事がある方はこの希望は最終的に絶望に終わる事をご存知でしょうけど、その辺は気にしてはいけません、いけませんったら←

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