他三国志書
□特別
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女というものに愛を感じたことはない。
美しいと恋しいと思いはするものの、愛、と言われれば、疑問に思うものだった。
「……夏侯惇です」
「入れ」
明瞭に返せば、穏やかな笑みを浮かべた男が入ってくる。
この穏やかな瞳と笑みを見ていると、ぬるま湯に浸かる心地と同じ気がした。
「ご用は何でしょうか?」
「まぁ座れ」
「では、失礼します」
夏侯惇が座ると、お茶が前に置かれた。
すぐに用意されたものは、自分が頼んだものだった。
それで、夏侯惇は呼ばれた理由を察したようだ。
「……お前と語りたくてな」
「何でございますか?」
お茶を啜りながら、促す夏侯惇に、安心を覚えた。
分かっていても口にすると、必ず返ってくる言葉というのは、落ち着く。
「……愛とは何か、だな」
「また、難しいことを仰れますね」
困惑した表情で、夏侯惇は言う。
「お前と話すと、分かる気がした。女では、駄目な気もした」
「……」
無言で、穏やかな片目を向ける夏侯惇に、心を明かすことに、抵抗はなく、むしろ、心地よかった。
母や父の親の瞳にも似た、まったく違う質の瞳だからか。
だが、親に完全に心を開いた記憶は、曹操になかったが。
「どのようなものが、愛というのだろうな。お前は、どう思う?」
「……思う気持ち、というだけでもなく、何か、別の要因が加わって愛というのではないかと、私は思うのです」
しばし、考え、困惑しながら口にした夏侯惇の言葉に、ほぅっと呟き考えた。
美しい、傍に置き、抱いてみたい。
女に対する思いとは、この程度で、その要因たるものは、見当たらないから、愛は感じられなかったのかと、改めて思う。
ならば愛とは、自分には持ち合わせのないものなのかと、そう考えもするが、そうでもない。
少なくとも、自分の作り上げた一部のものは、愛している。
いや、好んでいるだけかもしれない。
「お前は、愛しているものがあるか?」
「そうでございますね……。大切に思うこととは、また違いますし……」
本気で悩み、夏侯惇は眉を寄せて考え込んだ。
こういった、真面目なところも、好きな要因の一つだと思い、ふと、頭に浮かんだことを反芻した。
好きというのは、いったいどのようなことか。
愛とはまた違う、しかし、温かみを帯びた感情の一つ。
夏侯惇が好きだった。
この穏やかな瞳、真面目な性格、純粋さを大人になってもあまり損なってない思い。その全てが。
その好感は、『は』ではなく、『が』と言えるほどに。
ならば、夏侯惇は自分が好きと思っているのだろうかと、そう考えると、心の底から不安が押し寄せた。
「お前は、私のことをどう思う?」
「殿でございますか?」
頷き、思いの言葉を待ちわびる。
だが、自分自身、思った言葉というものが、なんなのか分からなかった。
そして、違う言葉も分からなかったが、言われたならば、生きていける自信がなかった。
可笑しなものだ。分かりもしない言葉に、確信が持てるのだから。
「特別でございます」
「特別?」
「はい」
好きというわけではなく、特別。
特別な存在とは、いったい何なのだろうか。
「なぜ特別なんだ?」
「なぜ、と言われましても……。あえて言うなら、なくてはならないものと言いますか……」
困惑し答える夏侯惇の言葉が、思ったより嬉しかった。
そこになければならない。
自分も、そうだった。
「私もな、お前がなくてはならない。特別だな」
「……殿っ!」
顔を真っ赤に染めて、夏侯惇は言葉を詰まらせた。
何か言いたそうだが、何も言えない、そんな表情で自分を見つめている。
何だか、この男が可愛く見えた。
「夏侯惇、ずっと、共にいろ」
「……はい。仰せのままに」
はにかむような笑みが、美しいと思った。
触れてみたいと、女のように抱いてみたいとさえ思え、困惑した。
「殿?」
「お前に触れてもよいか?」
「……構いませんが?」
不思議そうに首を傾ける夏侯惇の頬に手を滑らせ、そっと撫でる。
女のような滑らかな感触ではなかったが、満たされるような心地がした。
すっと、夏侯惇の髪を逆の手で梳く。
さらさらと流れ落ちる髪に、目を奪われた。
女では味わえぬ、穏やかで暖かな、そしてなんとも艶やかな安楽。
「……っ」
夏侯惇の声は、自分が口を塞いだことで、聞こえなかった。
思ったよりも柔らかい唇にうっとりする。
触れただけで離れた唇の感触をまた味わいたくて、何度も口付ける。
それで満足できず、口腔に入り込み、舌を弄んだ。
「ふっぅ――」