他三国志書

□雪の思い出
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 静かにふる雪に、曹操は不安に駆られた。
「惇……」
 遠征に行った夏侯惇の様子が知りたいと切に願うが、遠く離れた地では、叶うはずがない。
 ここの地には膝上まで雪が積もっている。毎年積雪の多いあの地では、さらに積もっていることだろう。
 今日あたり帰るため遠征地から離れるだろう彼は、足止めをくらっている事だろう。
 一週間後、帰ってくるだろうと楽しみにしていたことが外れ、曹操は天を疎ましく思った。




 雪兎を作る子供二人に、笑みを浮かべ、夏侯惇はその横を通り過ぎた。
 そうやって、昔、曹操に遊んでもらったことを懐かしみながら、馬を引いて歩いた。
 新雪の上では、馬に乗って走ることは、馬に負担を掛けることになり、逆にあまり急ぐことは出来ない。
 戦場にいるわけではないのだ。ゆっくり歩いていこうと、夏侯惇は思い、馬を下りたのは、三刻前である。
 はやる気持ちを押さえ、ゆっくりと歩を進めた。




 いきなり、城内が慌ただしくなった。
 おかしいと思い、立ち上がった時に、執務室の扉の前から、声がかかる。
「丞相、夏侯惇でございます」
「何!?」
 勢い良く扉を開ければ、驚いた顔の夏侯惇が、そこに立っていた。
 来てすぐなのだろう。寒さで頬を赤くし、唇は紫色に変わっている。
 身を包んだ防具は、雪を払ってあったが、相当長い間雪の降る外にいたのだろう、水を滴らせていた。
 この分だと、中の服は、かなり濡れているかもしれない。
 嬉しいと思いながらも、仕事の時の何倍もの早さで動く脳内は、夏侯惇の愛しさからか。
「すぐに湯浴みの準備を!夏侯惇、早く中へ!」
 慌てて怒鳴るように近くの者に命令すると、引きずるように夏侯惇を中へと入れた。
「とにかく、火鉢にあたれ!それと……衣服だが……確か……」
 ばたばたと動く曹操に、火鉢の前で夏侯惇は茫然と見ていた。
「……くしゅっ」
 小さくくしゃみをし、夏侯惇が体を震わせた。
 風邪をひきそうなのかもしれない。そう思ったとき、すごい形相の曹操に、押し倒された。
「なぜすぐ脱がない!このままだと本当に風邪をひく!」
「丞相っ!お止めください!わわわっ!」
 半ば、強引に剥ぎ取られ、夏侯惇は慌てふためき、羞恥に涙を浮かべた。
「思った通り、衣服が濡れて、肌に張りついている。どうして着替えてこない」
「その……早く、丞相に逢いたくて……」
 その言葉に、曹操は手を止め、夏侯惇の顔に視線を向けた。
 頬を染めた夏侯惇の手が、曹操の頬に触れる。
「この四か月、いつもいつも丞相を思っておりました。どうしても、早くお会いしとうございました……」
「惇……」
 何とも形容しがたい気持ちになり、曹操は名を呼ぶとそっと口付けた。
「それは私もだ」
 ぎゅっと曹操は夏侯惇を抱き締め、二人はしばし近くにいる幸せを味わった。




 湯槽に浸かり、ぼぅっと惚けた顔で、夏侯惇は曹操を思い出した。
『体を綺麗にしたら、私の元へ帰ってこい』
 そういうと、曹操が濃厚な接吻をしたのは、二十分ほど前。
「……っ」
 顔を真っ赤にし、意味もなくばしゃばしゃと水面を叩く。
 その顔は、やけに嬉しそうだったが、当然誰も見ることがなかった。




 途中惚け、ぼんやりと曹操を思う夏侯惇とは違い、曹操は忙しかった。
 仕事ではない。
「許チョ!夏侯惇と急用以外、絶対に人を通すな!明日もだ!」
「はい」
 命令した後、曹操は中へ入り、自ら寝台を整えた。
 寝台は、十分前に下の者が整えたばかりだが、それでも小さな見えない塵でも気になるのだ。
 ある程度して、納得すると、曹操は棚から酒と杯を取り出した。
「……用意しておいて正解だったな」
 用意していたものは、夏侯惇の好む若干甘味のある酒で、帰ってくる予定より早いだろうと分かりつつ、注文していたものだ。
 それを机に置き、曹操はやっと落ち着いて座った。




 いつもより、長く入った湯槽で体が火照り、寒い廊下も気にならない夏侯惇は、のぼせる一歩手前で出てきた頭では思考が回らず、今の格好を把握せずに、曹操の部屋に辿り着いた。
「……丞相」
「来た、か……惇!」
 いきなり怒鳴られ、夏侯惇はびくっと体を震わせた。
「こんな前を開いたままでは、風邪をひくだろう!何のために湯浴みをしたんだ!」
 夏侯惇の乱れた着物を直し、曹操はため息を吐く。
「すみません……」
 しゅんっとして、謝る夏侯惇の手を引き、曹操は寝台の近くまで連れてくる。
 犬ならば、尻尾を垂らし、耳を伏せているような夏侯惇に、曹操は苦笑し、ぎゅっと抱き締めた。
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