ガタガタガタガタ……
 その夜、老婆は風が窓を叩く音で目を覚ました。途切れることなく続く、小刻みで激しい音。まるで誰かが窓枠を掴み、力任せに揺さぶっているかのようだ。
体を起こし左手にある窓に目を向ける。閉められたカーテンに、人影は映っていない。まあ、ここは2階なので当たり前なのだが。
頭を右に向けると、夫が大口を開けて眠っている。結婚して40年、夫の高いびきには毎日のように安眠を妨げられてきた。しかし、今はその騒音さえ風が立てる音にかき消されてしまっている。
台風でも来たのだろうか?
老婆は、就寝前に見たニュースを思い返した。
いや、天気予報ではそんなことは言っていなかった。
そもそも、ゴールデンウィークが明けたばかりの東京に、台風など来るはずがない。
老婆がそんなことを考えていると、不意に音が止んだ。途端、夫のいびきが部屋に響く。老婆の眉間に深い皺が寄る。
いっそ濡らしたハンカチを顔に被せてやろうか。
いつか見た2時間もののサスペンスドラマを思い出しながら、老婆は溜息を吐いた。
しかし、さっきの風はいったいなんだったのだろうか?
老婆は再び、視線を窓に戻した。外を見たところで、所詮は自然現象。それ以上でもそれ以下でもないのだが、どうも自らの目で何かしらを確認したい衝動に駆られた。
それに、この騒音ではしばらく眠れそうにない。
老婆は布団から起きると、数歩先にある窓に向った。カーテンを開ける。空には無数の星々。しかし月の姿はどこにもない。いつの頃か、この空は月を失った。どんなに晴れた夜空でも、月が出ることはない。
もう一度この目で、お月様を拝める日は来るのかねえ?
索漠とも諦念ともつかぬ思いを胸に、老婆は窓を開けた。そして、
「な、何だい、これは……?」
愕然とした。
老婆の家の隣は、空き地になっている。テニスコート程の広さのそれは、数年前から売りに出されているが買い手がつかず、地主も諦めたのか手入れを怠っているため雑草が伸び放題だ。
その草原に、大きな輪が出現していた。輪に囲まれて、雑草が円形に残されている。
老婆が目を凝らすと、その円環は雑草でできていることがわかった。腰の高さ程の雑草が、その部分だけ薙ぎ倒されているのだ。
「……?」
窓の縁を握り締め、身を乗り出して眼下の光景を見ていた老婆は、ふと、側の気配に気が付いた。ゆっくりと体を起こし、視線を左に向ける。そこには老夫婦が所有するケヤキの巨木があり、数本の枝が塀を超え、空き地まで伸びていた。
「……!」
その内の一本、ちょうど目の高さにぶらさがる物体を見て、老婆は声も出せずに腰を抜かした。
その時ひとつの星が空を流れ、消えたことを、老婆は知らない。
誰が為に君は笑う・・前編A

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