10年前、この世界は本当の空を失った。
 突如として東京に出現した地獄門。その謎に満ちた領域と時を同じくして現れた偽りの星と、契約者と呼ばれる異能者達。契約者は何の前触れもなく特殊能力を有するようになる。偽りの星は、ひとつひとつが契約者の命と対応しており、新たな契約者が生まれると新星が現れ、死ぬと流れ落ちる。
 ミカは契約者だった。
――――――そして、綾瀬青葉も。
 「つまり、彼女は電子レンジと同じ力を持っている、と言うことですか?」
「いえ、彼女の力はそれ以上に危険です」
 視界に入った物体の「加熱」。それが、綾瀬青葉の契約能力だ。仕組みは電子レンジと同じだか、視界に入れるだけ熱を生み出し、しかも加熱する対象を任意に選択できる点で、彼女は脅威となる。
 「なぜ先生はそんなことをご存じなのですか?」
「MI6という組織を知っていますか?」
MI6――――――正式名称、イギリス情報局秘密情報部。イギリス国外での諜報活動を任務とする情報機関、簡単に言うなればスパイ組織である。
アルフレッド・ラーゲルレーヴは、その機関に所属するエージェントなのだと言う。かねてより綾瀬青葉が契約者であることを見抜いており、保護を申し出ていたのだそうだ。
「契約者の中には、自分の能力を制御できなくなり、完全に自我を失ってしまう者もいます。それは絶対に防がなくてはならない。
ですが、彼女は申し出を拒否しました。私は説得を続けましたが、力及ばず。おまけに、ヤンソン君も契約者だということに気付かなかった。――――――その結果がこの有様です」
 ラーゲルレーヴは椅子から立ち上がると、吉平に歩み寄り、両肩に手を置いた。
「彼女に保護を受けるよう説得して頂けませんか?」
吉平が見上げると、ラーゲルレーブと目が合った。軽く潤んでいるようにも見える瞳には、懇願の色が浮かぶ。
「あなたは彼女と仲が良いようですし、私のような者よりも、あなたのような一般の友人からの言葉のほうが、胸に響くかもしれない」
「先生は、契約者ではないのですか?」
ラーゲルレーヴは首を横に振る。
「残念ながら、私は契約者ではありません。もし私が契約者だったら、力尽くでも彼女を英国に連れて行くのですが、私にはそれができない」
力なく項垂れる教師を、吉平は直視することができなかった。ラーゲルレーヴは俯いたまま続ける。
「このままでは、彼女は殺人犯です。これからも罪を重ねるかもしれないし、自我を失えば抜け殻のようになってしまうかもしれない。ですが――――――」
ラーゲルレーヴは顔を上げ、吉平の目を覗き込むような眼差しを向ける。視線ですがりつかれ、吉平は体を硬直させた。
「君になら、彼女を救うことができるかもしれない」
お願いします、と頭を下げる師に、返す言葉はひとつしかなかった。

誰が為に君は笑う・・後編B

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