「どなたですか?」
予想していた以上に、声は自然に出た。彼は一瞬キョトンとしたけれど、困ったような笑顔を浮かべて、また話し掛けてくる。
「綾瀬さんも、そういう冗談言うんだね。ちょっと意外かも」
内心の動揺を取り繕う彼に、今度は私が困り顔になる。
「あの、どこかでお会いしていたらすみません。でも、その――――――」
そう言って、私は一度机の上に視線を落とす。彼が息を詰めて、私の言葉を待っているのが気配だけでわかる。
「私、本当にあなたのこと覚えていなくて……」
「え……」
心底驚いたのだろう。うろたえることもできないのだから、驚きを超えて衝撃に打ちのめされているのかもしれない。
私は立ち上がると、茫然と立ち尽くす彼の脇を足早に抜ける。
開いたままの本は、置いて行ってもいいだろう。
ここに来ることも、もう二度とないのだから。
誰が為に君は笑う・・後編D

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