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□灰色の森に
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 夜…誰もが寝静まった深い夜。誰も通らない道路で、ただただ仕事を続ける水銀灯も見失う道路脇。
僕はその使い慣れたマンホールをゆっくりずらして僅かに顔を出す。見慣れた町並み。数日前の記憶と大差ない。辺りを見回し静かにはい上がる。
 ここ数日このNYでは記録的な豪雨が続いた。地上もそうだけど被害については下水だって例外じゃなく、心配した先生からみんなで散らばって現状把握の調査中。
僕は地上から次の地点に向かうために、態勢を低く構えて濡れたアスファルトの上を急いだ。

 地上と下水を出たり入ったりしながら、最後の小さな公園にたどり着く。
公園の緑に紛れながら周囲を確認。得に大きな枝が落ちてるとか、木が倒れてるとかもない。今までの地点同様怪しい人影もない。
念のためもう一回りしようと足を進める。ひたひたとした土の音に混じってぬかるんだ音もする。
 何も無かったことに安心して、予想より早く終わった僕は小さくため息を吐き大きな木の幹に甲羅を預ける。

「さっきからずっと走り回って何をしていたの?」

 予想してなかった声に僕は背中が伸びる。女の子の、声?くすくすと笑ってる。背中側、幹の反対側の声とは対照に僕の内心は穏やかじゃない。

「あなた、すっごく早いのね。私の国にいる人達みたい。」

 幹に張り付き首だけで彼女を見る。表情は見えない。輪郭だけなら僕達と同い年位に見える。時折吹く風にたなびく黒髪。

「……?喋れないの?」

 僕が彼女を観察しながら、どうやってこの場を離れようか考えていると彼女は僕に問いかける。

 後で考えてみれば、この場で何時でも逃げ出せたはず。それが出来なかったのは、恐らく。


「私は名無しさん。あなたは?」
「…ぼ、僕は、ドナテロ。」


 名前まで答えてしまった。だからって僕達に何かがあるわけじゃないけど。
へー!有名な名前ね!覚えやすい。何て彼女は笑う。

 さっきから彼女、名無しさんはよく笑う。よく笑うけど、何か違う。
レオみたいに落ち着いてる訳じゃない。ラファみたいに馬鹿にしてる訳でも無い。マイキーみたいにあっけらかんともしてない。これは恐らく…そう、恐らく…。
 寂しいんだ。


 乾いてる。酷く乾いた音。明るくもなく、語気もない。細い音。
そう、恐らく、だから僕は離れられなかったんだ。


「うーーん、見回り、かな?」
「見回り?」
「そう、豪雨が続いたからね。何か無いかって。」
「あら、じゃああなたは刑事さんとか、消防の人?」
「まぁ、そんなところ。」


 パトロールという意味ではある意味間違って無いはず。

「でも、こんな夜中に?明るい方がいいんじゃない?」

 あー…返す言葉が無くなる。でも、ある意味丁度いいかも。

「そう、もう暗い。かなり遅い。早く帰ったほうがいい。」

 これで彼女がいなくなるのを待とう。


「嫌。」


 絶対に嫌。と、今までとは裏腹に強い力が篭った声。
首を左右に振っているんだと思う。長い髪がゆらゆら揺れて影が踊る。


「でも、家の人が心配するだろう?」



 そう言えば、押し黙る背中の向こうの小さな気配。
さっきまでは僕が何も言わずとも言葉を並べていた名無しさんは、何も話さなくなってしまった。
 時間が流れる。姿は確認出来ないけど、確かに感じる存在。明らかに当初より小さくこじんまりしていく気配。
 僕は何分経とうが、離れられなかった。ほんの数分かも知れない。静まり返った僕等の間で時間を感じるのは難しかった。



「…だって、詰まらないもの。」

 蚊の鳴くような声で名無しさんは零した。風が吹くだけでも消え入りそうな小さな声。

「どうして?」

 理由を聞いて彼女はそのままぽろぽろ零す。


 家には誰もいないこと。両親は共働きで、帰りが遅い訳ではないけど、仕事柄家にいないことが多いそうだ。それは名無しさんが小さい頃から変わらず、母国からこのNYに来たのも親の仕事の関係らしい。
 違和感はないけど、確かに聞いていると若干の訛り、というかそもそも英語にまだ慣れきっていないように感じる彼女の言葉。聞き取り辛い訳でもおかしい訳でもないけど、話すときにはどうしても気後れしてしまい、引っ越しが多いことも相まって友達もあまりいないのだという。

「だから、心配する人も、迷惑かける人もいないの。だから、どこにいたって平気なの。」

 と、とても平気な者の声とは思えない声。


 僕はまた黙ることしか出来なくなった。
僕には先生もいて、兄弟がいて。大体一緒に生活してて、似たことをして過ごしていた。帰れば誰かがいて、離れていてもみんなで一緒に外に出る。それが当たり前だったし、家族はそうだと教えられ僕は疑ってなかった。
 が、彼女は違う。血の繋がりがあってもそうじゃないんだ。





「…ごめんなさい。こんな話。あなたには関係ない話よね。」

 段々と小さくなる語尾。
風が通り、公園の白熱灯に空気を読まず虫たちが集まっていく。

 僕が出ていけたら変わるのかな。ううん、彼女が驚いてそれで終わり。亀のお化けを見たって家に帰って、家族がいなければもっと寂しい思いをするかもしれない。
僕に何か出来ることがあるのだろうか。何か…。





「名無しさんはこの時間なら抜け出せるのかい?」
「え?、ま、まあ。大体は、そうね。」
「じゃ、じゃあ、僕、また来るよ。」
「え?」

 名無しさんが驚いた声を上げる。それはそうだ。僕だって驚いてる。こんなことを言ってしまうなんて。
 でも、止められなかった。言いたいって思ってしまった。

「毎日は…無理だけど、今度必ず…!」

 あぁ、心臓がうるさい。どうしてこんなに息が上がっているんだろう。走ったってそうそうこんな風にはならない。顔がこわばる。何でだろう。
 それより、彼女から返事がない。…嫌、だったのかもしれない。大きなお世話だったのかもしれない。

「む、無理にとはいわ―――。」
「……じゃあ、来週の今日。この時間に…また来るわ。」


 本当に小さな、小さな声だったけれど、僕は聞き逃さなかった。確かに彼女はそう言った。

「わかった、来週だね。」
「うん、来週。この時間、ここにいるわ。」
「必ず来るよ。」
「うん、じゃあね。」
「うん、また。」

 ああ、息が上がる。声が上擦る。何て格好悪いんだろう。


 でもそれよりなにより、名無しさんの確かに今までよりもずっと高い、喜んでいる声を聞けて、僕は嬉しかったんだ。










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