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□スカイロックゲート
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 “意味わかんない”

 私の頭の中はその言葉だけで一杯。

 休みの日に、予定のない外出も、真夏のひどい暑さの電車内も、無理矢理起こされたのも、朝突然の、たった一つだけの話も、今、こんなにも心臓が早鐘を打って収まらないのも……。

 全部、全部……



 意味わかんない。





















 惰眠を貪る夏の朝。

 セットされていたクーラーが丁度良く冷やしてくれている部屋で、私は意識が覚醒してからもう何度目かも分からない寝返りを打つ。

 でも、そんな幸せな時間も、突然の、あまりにも大きな母親の声と、壊れるんじゃないかと思う程のドアの音で中断される。



「あー!もうっやっぱり寝てる!」

「何よ、まだお昼にもなってないでしょう?朝食ならいらないわよ?」



 私はもう一つ寝返りを打って、母親に背を向ける。



「何言ってるのよ!ほら、お金あげるから、急いで支度して!まだ、間に合うから!!」



 私が全く理解出来ないでいると、信じられない、という顔で話し始める。その母親の言葉に、私は思わず飛び起きた。







 電車を降りてなるべく日向を避けながら、それでも、人の流れに置いていかれないようについていく。どの人達もみんな浮足立て、足早で、私の心臓は音を増すばかり。

 暑いのも、走るのも、苦しいのもどれも嫌い。でも、今の私は不思議とそんな事への嫌悪感何て頭になくて。ただただ目の前にそびえ立つ霊峰に、連れていってくれる筈のバスを探して、手の中の本を握りしめた。



 車内は確かに冷房が効いている筈なのに、窓際の席に座ったせいか、窓からの熱で顔が熱い。私は信じられない、という言葉で一杯だった。

だって、バスで上っているところを。

だって、今日は酷く暑いのに。

だって、こんなにも体が重力に引かれるのに。

だって、それを、動力のない自転車で。



 専門用語のような聞きなれない言葉が飛ぶ車内と暑さに、私は目を閉じた。







 大分地上から上った終点は、先程までの暑さとは裏腹に、風もあり、少し肌寒かった。またそれが、今自分がいるところの高さを突き付けてくるようで、私の心は落ち着かない。

 スピーカーのノイズに沸く観客。聞こえる学校名は確かに自分の学校だったけれど、選手の名前は知らない名前だった。

 緊張と興奮と、歓声に満ちたこの場所に、私はとても不釣り合いな気がして、なるべく奥の方に逃げたかった。

 ―――その時、さっきとは比べ物にはならない大歓声。心臓の底の方を、ドンッと鈍器で殴られたかのような、地響きのような、叫び声と、笑い声と……泣き声。





 その泣き声の集団は私の知らないジャージだった。













「…え、嘘…ッショ?」

 

 周りの熱気について行けず、途方に暮れていた私。それでも、私はその聞き間違えるはずのない語尾と、声に顔を上げた。



「な、何でここに…?」

「…何よ…いちゃ、悪い?」

「い、いや…。」



 あぁ、またこうだ。いつからだったろうか。彼に対して棘のある言葉しか言えなくなったのは。いつからだったろう、彼がこうして言葉を淀ませ、目を合わせてくれなくなったのは。

 避けるわけではないこいつに、私は少し近づいてようやく気付いた。泥と汚れと、汗のあと。近づけば、鼻を抜けてむせ返る。



「な、なんッショ…」

「…一位じゃないのね?」

「え?」

「折角あっちから電車で来たのに。」



 私がそういって視線を外せば、最終日だかとか、優勝出来ればゴールは一人でも、とか。

とんでもない相手もいるんだ、とか。オレの仕事はそいつとだった、とか。

 明らかに口数が増えたのに、私はお腹の底から喉元まで込み上げてくる何かに我慢ができず、こいつの脇腹に拳を当てた。




「何するッ―――」

「分からないの!!!」



 あぁ絶対きっと、あの伏し目がちな目を少し丸めて、口なんか少し開いていて、私を見てるんだ。

 何をしたいんだろう、私は。

 そんなことを思いつつも、私の口は止まらなかった



「ルールも、用語も、目的も、意味も!!!全部全部知らないもの!!!」



 駄目。視界が歪んで見える。



「何も知らないの!知らないのに、朝起こされて、意味分かんないこと言われて!信じられなくてっ、こ、ここまでっきた、けど…。」



 目も足も頭も限界だった私はそこに座り込んだ。



「…もしかして、お前…。」

「…、全部知らなった、朝知ったの、お母さんから…。意味分かんない…。」



 全然言葉が出てこない。何を言いたいのかも分からない。

 ギリギリの状態で涙を拭ってあいつを見れば…ほら、やっぱり。口も開いて、眉も下がって…。そんな顔させたいわけじゃなかったのに…。

 私は声も出せずに、そのまま顔を覆っていると、突然視界が揺れた。



 体と、背中に暖かな感覚。しっとり湿ったほほに張り付く、汚れても艶やかな髪と、鼻をくすぐるそれは、よく知っているそれで。

 視界に入るのは、真夏の空と入道雲。



ねぇ、どうして私がここまで来たと思う。

ねぇ、顔も見られないの。

ねぇ、名前も呼んでくれないのね。



 この煩いのは私の音ね。酷い人。こんなの聞かれたらどうしようもないじゃない。そうやって腕に力を入れるだけで。

 ずるい人。



 広い空。

 昼の星が見えさえすれば、朝と夜が違ってもあなたと同じ空が見られるのに。



 これからは、それさえもかなわないのね。 












スカイロックゲート









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