チャリ

□元気を出して
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「え…何しに来たの…?」

「ん?どっかいかねーか?」


オレはそうして彼女に人差し指を向けた。








元気を出して








「うーん…こっちもいいけど、これも捨てがたいんだよなぁ」

「ねぇ、私別に行くって言ってないんだけど」


そうブスくれながらクッションに顔を埋めてごちる名無しさんちゃんに、オレは「おう、でもオレはおめさんとでかけたいんだ」と、自分でも分かってるわがままを通す。


「意味わかんない」


いつもの彼女なら、機嫌が良ければ「なにそれー」とケラケラ笑っただろう。ちょっと気持ちが乘ってない日だったら、面倒臭そうに「はあ?」といったかもしれない。

でも今日の彼女はそのどっちでもない。小さい小さい声は口元のクッションに余計に吸い込まれて、もうほとんど聞こえない。

オレはまた彼女のタンスから適当に服を引っ張りだして、彼女に向けて色を合わせる。
うん、こっちの短い方が可愛いな。


「なぁ、何かタイツ?レギンス?そんなの持ってない?」

「……あるけど?」

「茶色とかあるか?」

「……そこの二つあるちっちゃい引き出しの右の方」

「オレが見てもいいのかい?」

「……ころす」

「じゃあこれとこれとこれ。あとはそれに合うので」


オレはそう言って、今選んだ服達を丸まりながらクッションを抱えている名無しさんちゃんが座っているベッドに並べた。


「…この合わせ、好きじゃない。ライン出るし…」

「ん?そうか?おめさん細いんだからこういうのも似合うと思うけどなぁ」


じゃあ出て待ってるな?といってオレは彼女の部屋から出て扉を閉める。
ちょっと変態臭いが、耳を澄ますと布ずれの音が聞こえたのでどうやら着替えはしてくれたらしい。

二階にある彼女の部屋の前にある、一階に続く階段の柵に寄りかかって彼女の準備を待っていると、下から彼女の母親に声をかけられた。


「隼人君、お茶とお菓子あるけど降りてきたら?」

「あ、すみません。ありがとうございます。でも大丈夫です。」


オレがそう言うと、「あら、そう?めずらしい」とクスクス笑いながらおばさんは消えていった。

うん、いつものオレだったら素直に階段を降りて行ってごちそうになっていたと思う。
今は同じ家の中でも、壁があっても名無しさんの近くから離れたくなかった。





春休みに入って実家に帰って来た。四月からの新生活の為に寮から引き揚げてきたものの中から、またいるものといらないものを選別しては片付けてを繰り返していたが、毎日休まずに動かしていた体は、家の中だけでは体力を持て余したようで…。



どうしても寝つけない夜だった、
何が、とかはっきりした理由はなく、ただただ眠くならず、目は冴えるばかりで。
気が付けばオレは家をこっそりぬけだして、愛車に跨っていた。

春休みとは言え夜はまだ寒くて、しっかりと準備を整えて、さあ出るぞ。とペダルに足をかけた時、すぐ隣の家から一つの人影が飛び出してきた。

名無しさんちゃんだった。




彼女とは中学まで一緒だった、いわゆる幼馴染で、オレがハコガクに進むまではよく家族ぐるみでお互いお世話になっていた。

高校生になっても長期休みで実家に帰ってくることがあれば顔を合わしていたし、彼女がレースを観に来たことも、彼女の部活の大会を観に行ったこともあった。

名無しさんちゃんはクラスの女子の中でも活発で明るくて、それでいてちょっと勝気な、強気な女の子だった。
本当にしっかり者で、オレと一緒で三つ離れた弟がいるせいか面倒見も良くて。女子のリーダーとかそう言うのじゃなかったけど、男女関係なく友達も多かった。
オレの記憶の中の名無しさんちゃんはいっつも友達と笑っていた。




そんな名無しさんちゃんが、昨日の夜、家の玄関を飛び出してきた。
両方の目を真っ赤に腫らして。

驚いたオレはサーヴェロを直ぐに家の塀に立てかけて、今にも目を丸くしたままどこかに逃げていってしまいそうな名無しさんちゃんの腕を捕まえた。

オレが理由を聞いてもかぶりを振るだけでこっちを見ようともしない。
話もしてくれなくて、オレはどうすればいいか分からなかったけど、手だけは離さなかった。

それでもどうしていいかわからなくてオレが必死に頭を巡らせていると、不意に名無しさんちゃんは腕を振り払った。
痛くない程度でも力は込めていたつもりだったが、考えるのに集中しすぎておろそかになっていたらしい。

オレの腕を振り切った名無しさんちゃんが玄関に戻っていく瞬間。
アニメとか、マンガとか、ドラマとか。そういう表現であると思う。ヒロインの去り際にきらりと涙が光るアレ。


オレはそれを間近で見た。










「もしもし?人に着替えまでさせておいて寝てるんじゃないでしょうね?」


昨日の出来事に思考を巡らせていると目の前には、オレの選んだ服を来た名無しさんちゃんが立っていた。

うん、やっぱり似合ってる。


「ん?いやあ、起きてる起きてる。」

「あっそ…」

「化粧までしてくれて行く気満々じゃないか」

「うっさい!…外出らんないでしょ!!」


…まぁ、確かに、目の腫れまだ残ってたもんな。
ぷんぷんと漫画みたいに怒りながら階段を降りていく彼女の後ろをオレはついていく。


「あら、名無しさんでかけるの?いってらっしゃい」

「…いってきます」

「隼人君も、何かこの子機嫌悪くて。ごめんね」

「いえ、大丈夫ですよ」


おばさんに挨拶をして玄関から出ると突然名無しさんちゃんはオレを叩いて歩き出した。


「ちょ、おめさんいきなりなにするんだ」

「うるさい。で、どこ行くの?」

「うーん、そうだなぁ電車乗ってちょっと出よう。」

「何?行き先決まってないわけ?」

「いやいや買いたいものもあるさ」

「?変なの…」





先に歩いて行く彼女の背中を見ながらオレはわざと少し後ろを歩く。
電車に乗って、降りて、街に出ても特別会話をするわけでもなくただただ歩く。
彼女に目的がなければオレにもない。
買いたいものなんてないし、必要な物もない。


それでも最初は何も言わずに歩いているだけだった名無しさんちゃんも、しばらくすると、何か興味がある物が目に入ったのかちょっとだけショーウィンドーに目をやったり、看板を見上げたり。
さっきまでよりはほんのちょっとかもしれないが表情も変わっていた。


そのころを見計らってオレは誘ってお茶にした。
天気も良いし、あったかかったのでテラス席のあるお店を選ぶ。

学生のほとんどが休みの期間だけあってなかなかお店は混んでいたけど、席にはすんなり通された。
向かいで座って、スマホを弄る名無しさんちゃんを、オレはお冷を呑みながら眺める。


注文を取りに来たウェイターに、適当に軽食と名無しさんちゃんがアイスティーを頼んだのでオレも同じもの注文する。その間もスマホから目を離さず指を動かしている名無しさんちゃんに何しているのか尋ねれば、


「消してる」


のただ一言。


瞬間喉元まで出かかった「何を?」という言葉をオレは飲み込む。

画面を見て、指を動かして、ちょっと外を見て、何か考えて、またスマホを見る。
その繰り返しをしながら、名無しさんちゃんは何かを「消して」いた。



しばらくしてウェイターが注文していた物を運んできたが、明らかにオレではなくて名無しさんちゃんを見ながら並べていく。彼女は作業に夢中なのか、その何かに夢中なのか、もしかしたらどっちもかでウェイターには気づかない。

名無しさんちゃんはメニューが並んでもいまだにそのスマホの中のものに夢中だった。





彼女は気づいていない。
オレが今日連れ出して。
細身の彼女に似合う服を選んで、一緒に街を歩いた今日の内、どれだけの人間が彼女に目を止めていたか。

彼女は気づいていなかった。
彼女の意識の中には昨日からずっと薄れることのない存在があって、彼女はそれのせいで周りに目を向けられていない。


彼女の涙を見るのは初めてだった。
人前で弱い部分を見せることのない、その理由を親に話すこともしない、強がりの彼女の涙を見たのは昨日が初めてだった。




「君をそんなに悲しませるのは誰だ」って聞いてしまいたい。
でも、ただの幼馴染の、家が隣ってだけの、中学まで一緒だっただけの…泣き顔も見たことがなかったオレに、そんな資格はないのかもしれない…。

オレがそんなことを考えながら、テーブルに並べられていたものの中からサンドウィッチをとって口に運ぶ。


「ほら、おめさんも食っていいぜ」


オレがそう言って皿を名無しさんちゃんの前に進めても、彼女の視線はスマホから離れない。


名無しさんちゃんの眉間の皺は深まっていくばかりで、こっちをみてくれもしない。
どんどん名無しさんちゃんの表情は暗くなるばかりで…それでも彼女の頭はスマホの中にとらわれたままだ。





…終わったんだろ?
だから昨日名無しさんちゃんは。
そんな風に悲しませるような奴のことは早く終わりにして、また振出から始めればいいんだ。

次の春には大学生だ。
また行く先も県も違うけど、チャンスなんていくらでもあるじゃないか。


街中の通行人も、さっきのウェイターも…。



…オレだって。




「なぁ…そいつだけが男じゃないんだぞ」





新しい明日なんていくらでもくるんだ。
だからそんなに苦しまないで。
元気を出して。




早く、あの笑顔を見せて。








オレは彼女のスマホの画面の上に手を重ねた。










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