03/04の日記

19:24
春を待つ
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ああ、桃の節句もスルーしちゃいました。
節分も過ぎて、暦の上では春と言っても、まだまだ遠い春。

先日は東京にしては結構な積雪で驚きました。
初春に降る雪を見ると、いつも清原深養父の「冬ながら空より花の散りくるは空のあなたは春にやあるらむ」の歌が浮かんで来るわけですが、あれってそういえば古今集では冬の歌に分類されてるから、やっぱり春に思い出すのもおかしいのかなぁと最近になって思いました。
もちろん、いつがおかしいおかしくないで考えるのもどうかなとは思うのですけどね。
好きなもの、良いなぁと思うものはいつだってくちずさめば良いし、そういうふうに口にされる言葉は、幸せだなぁと思います。

「春の歌」と言えば、メンデルスゾーンの『無言歌集』の一番有名なんじゃないかなって曲ですが、旋律はキレイだなとは思うけど、私は「言葉のない歌」という言葉、表現にこそゾクゾクとくすぐられるだけで、肝心の音楽にはあまり反応できないダメダメさ。

音楽を聴くという習慣がさっぱりありません。
我が家には音楽プレイヤーがパソコンとPS3しかないかも。
持ち運べるものと言ったら携帯?
でも、未だにバーコード受信すら上手くできない私は、着うた?とかいうのも良くわからなくて、聴けません(^^;)
文明の利器にさっぱり弱い。
こんなこというから、年齢不詳に言われるのか!
いや、まぁ、同年代に比べてほんと、さっぱりいろんなことに疎いのは確か…。

だから、歌は、どこかで小耳に挟んだものが良いなぁって思うとネットで検索して、歌詞をダウンロードしてあとは自分で適当に口ずさんで終了って感じ。
CDは滅多に買わないなぁ。
ここ1年くらい、カラオケに行く機会がおたく関係で増えた(それまでは年に1回行けば良い方)ので、ぶっつけ本番でカラオケで歌ってみるのでいつもマイク通すとこんなんなんだなぁとかしみじみしてます。

音楽に敏感な人は素敵だなぁって思います。
こう、音って、感覚の世界だから、それが優れてるんですよね。
憧れる。
私は音や旋律より、言葉が好きなんだなと、こういう時は実感します。

あ、だからと言って言葉にそこまで拘っているかというとそうでもなく。
もちろん、書くからにはこれでも一生懸命言葉を選んだりはします。
でも、なんで書くかと言ったら、私は、伝えたいものがあるから書くので、人に伝わらない言葉は書きたくないなと思うのです。
特別な言葉なんてないんだなって。
特別は、あくまで読む人の中にあるので、何も飾らない言葉の群の中で、特別を見つけて貰えるような、そんな話が書けたら良いなとは思っています。

あれ、なんか語りになってるw
そんなつもりはなかったのが、つい一人ぼんやりとスタバで打ってたらこんなことに。


よし、いつもの調子に戻して。

一個前の記事の珀明と絳攸のお話しに、「攻め絳攸!」とコメントいただけたのですがw
ていうか珀くん自体が懐に抱かれる猫になりたい=あなたに抱かれたいwなわけで、確かにこれは絳攸珀明でしたねと自分でもちゃんと認識しましたwww

それでも珀明絳攸と言い張るのは、私が単にカワイコちゃん受より年下攻が好きだからなだけの気もして来ましたわ。
ううう。
いや、嘆くまでもない。
この二人がただ仲良くしててくれれば…!←そればっかり

そいえば前ににょた絳攸で雛祭りというか上巳を書いた時に、にょたは無限の可能性だ!とか思ったんですが。
その中で、珀明くんとにょた絳攸の妄想も当然ありますw

もう、ありがちすぎて古今東西使い古されたネタなんですけどね。
絳攸が落ちてきて、受け止め損ねて下敷きになって、「ほっ、ほんとに女性だったー!!」となるという。
はい。
珀明は、かの「李絳攸」が女人だと信じてなかったのですw
私の書く原作設定にょたは一応一つの世界で繋がってるつもりで、で、女人の官吏登用は認められてる。
絳攸は最初男の格好して育ったから今でもかなり中性的で、キレイな人だなとか珀明くんは思いつつも、自分より背の高い、仕事バリバリの吏部侍郎が女なんてそんなの噂に過ぎないとか頑なに信じてたのですよ。
珀明くんは、信じたくないものは信じない便利な思考回路をしてると思うw

で、女人としても絳攸を意識し始めたら、実は相方の藍将軍とかいう男がいたり、養い親が大変だったり、まあ、前途多難ってヤツです。

にょたは好き嫌いがあると思いますが、私は大好きです。
にょたというよりきっと絳攸だからですね。
自分でもわかりやすぎるけど、日々それを糧に生きているので仕方ないです。

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