04/01の日記

00:25
読了(ネタバレあり)
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今日はエイプリルフールですね!
人様の素晴らしいエイプリルフールネタに感動しつつ、何もありません。
すみません。
なんだか自分でもびっくりするくらい時間を掛けてやっと夕方に新刊を読み終わりました。
いつものことながら、大変偏った感想でも書いてみたいと思います。
不愉快な表現も多いと思います。
そんなんでも良いと思う方は下へ。
うちのブログは畳む機能なくてごめんなさい。
ネタバレがキライな方はスクロールされないでくださいませ。













火曜に新刊を手に入れて、数ページ読んで、閉じました。
そしてそのままサイトを閉じようと思いました。
割と本気で。
自分が書いて来たものとか、恥かしくて。
春のタイミングで書きたいなと思っていたものが数個あったのですが、全部吹っ飛びました。
なんて、未読の方を脅すような書き方になりますが、かなりのダメージを受けたのは確かです。
というのも、私はこの本のこと、勝手に劉輝たちは登場しないと思っていたのです。
だから、覚悟が足りなかった。
王都組というか、双花と静蘭が無能に書かれることは、原作の後半では何度も何度もあったことで、それでも、原作終了後、自分の中で勝手にねつ造を始めていた未来がガラガラと音を立てて崩れた感じ。
もう、怒りとかやるせなさとかね。
そういうのが半端なくて、私の彩雲国への愛が足りないんだとか、まぁいろいろ。

普段はネタバレとかは好かないので人の感想は読みませんが、今回ばかりは人の言葉に励まされました。
大変失礼な言い方をさせていただければ、「彩雲国の世界観云々を愛してなかったとか自省してみたけど、そもそも世界観よりキャラで持ってた話なんだから、今さらでしょ」と割り切ったのですね。
率直ですみません。
ということで、そこからはすっかりと割り切って読ませていただきました。

まず、悠舜。
多分、しょっぱなで腸が煮えくり返ったのはなんでかというと、それを言ったのが悠舜だったからなんだろうなと思いました。
私は悠舜が好きで嫌いです。
それは、私が愛しているキャラが愛している人だからです。
とんだ厨二的愛憎です。
こんなに愛してるのに愛してるのに、彼の特別が別というのが許せない何か。
それは私が勝手に勘違いしていただけなのです。
悠舜は、悪夢の国試組を許容できた程、ちゃんと心に余地のある人なのだと。
とんでもない勘違いでしたね。
本当に彼は、自分の為だけに生きた。
その生き方の、最後の最後で、劉輝と重なり合った。
それが、悲しくて、悲しくて。
でも、やっぱり最期は、良かったねと思いました。
ずっと疎まれて来た一族。
主君に殺されたり害される一族。
その自分の血を、悠舜はやはり捨てられなくて。
自分の仕えた王に疵を残してでも(救いは示唆していたけれど)、自分の生き様を示して見せた悠舜。
劉輝の治世で、尚書令は、悠舜一人。
最期まで、ずるい人でした。
ずるくて、悲しくて、幸せな人です。
やっぱり、好きで、嫌いで、好きです。
水の人は、雨。

旺季について。
う〜ん。
これも率直に言ってしまうと、なーんだでした。
散々劉輝派のこと言っておいて、結局かなり自分勝手な人だったんだと。
あ、投げやりな意味ではなく、好印象な意味で。
彼の原動力が戩華だけじゃなかったことはちゃんと描かれていて、だからこそのあのラストなのですが。
旺季の戩華への執着ぶりがね、大変人間らしくて。
本編の劉輝との対決すらも、お父様の影があるとは…。
周りがあまりに彼を祭り上げ、美化して、いわゆる総受け状態にすればするほど。
彼の良さを表す為に、王都組がけなされるたびに、逆に心が冷えた私としては、ずっと理解しやすかったです。
すみません。やっぱり私は偏見だらけ。
これもかなり自分勝手な意見なのですが、旺季編を読んでいるとき、悲しくて悔しくて。
というのは、本編を読んでいる時、貴族派がただの悪ではないことも、旺季が魅力的な人物であることもちゃんとわかっていました。
ていうか、きらいじゃないかった。好きだなと思ってました。
それなのに、昨今では勧善懲悪の物語の方が少なくて、魅力的な悪役の人気が出るのも常で、だから、その悪役を引き立てることの引き合いに、こう何度も何度ももう片方を無能を言わなくても良いじゃない。
私たち、そんなに愚かではないよ先生、みたいに思ったりもしました。
のちに、これはその効果を狙ってだけじゃないことはわかったのですが、やっぱり読んでいる時はつらかったです。
だから、この話は何時間掛けたかわかりません。
なかなか読めなかった。
時間が行きつ戻りつして、旺季の戩華を喪失した後、それでも秀麗と山家のおばあさんを一人で救出する為に駆けて行く。
そして、彼がいう「古いやりかた」で、彼らしく終わる。
自分が追ったのは劉輝という王ではないと言いながら、血に沈む自分のやり方をちゃんと古いと。
それしかできないのだとわかっていた人。
彼の死が、一つの時代の終わりだと確かに感じさせてくれる物語でした。
それは、劉輝が、秀麗が、拓いて行く時代へと続く物語。
私は、この旺季編を読んでいる時に何度も考えてしまったのは、ゆきの先生は、後悔しているのだろうかということ。
彩雲国物語の前半部を。
自分の作ったキャラたちに安易にさせたことを。
自分が作った設定を。
生みの親だからこそ、初期キャラをけなし、その辛さを自分に反しているのかと。
それが、ゆきの先生なりの決着のつけ方なのかと。
でも、きっとそうじゃないですね。
この話が、旺季を礼賛するだけの物語だったら、正直読み終えた後、先を読む気にはなれなかったと思います。
投げ出さなくてよかった。

晏樹について。
急に腐要素強くなりますが、なんていうか、紫闇の下でも思ったけど、旺季様好き過ぎてけなげ過ぎてねぇ。
でもあれです。
子狐だった頃とかは大変かわゆいなと思っていたのですが、30歳も半ばになった頃、中身がまんまに子どものままで、自分の中のBL的可能性に何度か問いかけてみたりもしました。
これ、あり?って。
ぶっちゃければ、ないですね(笑)
オヤジジャンルは嫌いじゃないのですが、あの口調がね(笑)
でも、晏樹の旺季に対する気持ちが、悠舜に比べればずっと純粋でしたね。
おにぎりを半分にした時から、対等でいたくて。
いつだって、お気に入りとか言いつつ、必死で旺季にしがみついている晏樹。
こんなスーパー厨二くんの思考のが理解しやすいとか、自分も大概こういうキャラに毒されているなぁと思いつつ、最期まで春を望まなかった彼は、いっそあっぱれと思いました。
彼はとてもわかりやすい悪役で。
だからこそ、愛しやすかった。


劉輝の闇について。
これは、あまり意外には思いませんでした。
二次的な何かで勝手に補完してたのかなんなのかわかりませんが、そういう人だと思っていたので。
劉輝の裏の半分を悠舜が支え、表をあの3人が支え。
その3人にだけは晒したくないと思っていた劉輝を公式(酷い言い方ですね…)で読めるとはとびっくりしたくらい。
ただ、歳を取るごとに穴だらけになって行く劉輝を、本当に、本当に、お前らはわからないのかー!?ともだもだはしました。
旺季編を読んでいる時、私の中は空前の劉×絳の嵐が駆け巡っていたわけですよ。
仄暗い感じの奴。
多分、あれです。
現実逃避。
読んだ先に希望はあるのか、いや、ないと思え…。
そう自分に言い聞かせて読んでいたので、頭がもう勝手に二次創作をしてたのですよ。
実はちゃんと絳攸は劉輝の闇に気付いていましたというやつ。
それが、ちゃんと劉輝編で描かれて、それだけでもう、ね。
ただ、この劉輝編で訳もなく涙が出たのは、静蘭との場面でした。
どこがというのではなく、ただ、あの場に来たのが、他の誰でもなく静蘭だったのが嬉しかった。
私は双花が好きですが、やっぱり静蘭も好きです。
彼が無能に書かれるほど、言葉にできない位悲しかった。
秀麗がちゃんと「私の双玉」というくらい、傍にいたことはわかっていたけれど、でも静蘭ってやっぱり劉輝命の人だったから。
お互いに、子ども時代の歪んだ依存だけでない二人を見れて、良かった。
双花の部分は。
えと、意外と冷静だったというか、変な話、自分の妄想と大差なくて、これは前も読んだんだっけ?
どこまでが妄想だったけ?みたいな。
最終巻で、絶対に生きようとする絳攸と、劉輝よりも先に死を選ぶ楸瑛は描かれていて、私の中で、一つの形ができてました。
北方から絳攸が帰還して、王都組が再会した後、双花二人になった時に「俺たちは同じ場所では死ねない」と言い合って道を分かつ双花。
そして、最上治の治世を築いたからこそ、劉輝が暗殺や戦争で死ぬこともなく、だから楸瑛もそうで、長い長い時間の後に、また道を交える双花っていう妄想があってですね。(ハイハイ)
だから、そういう部分に関しては、なんかまるで二次創作を読むようで、良いのかこれ、だまされてないかと言いう疑心暗鬼(笑)
でも、劉輝への助け方がね、絳攸と楸瑛で違うところにはぐっと来ました。
劉輝を泣かせてあげられる楸瑛。
良いですよね。
ここはじわり。
その前3つの話は、王都組好きにはつらかった。本当に。
本編のラストの後、夢を見たから。
でも、考えてみれば、そんなに簡単にうまくいくわけがなかった。
10年。
その10年があったから、最上治へと道が繋がった。
本当に、そう思えてよかった。

劉輝と秀麗。
読み込みが浅いのでもう一回読みたい。
あの最期。
秀麗の最期が、上手く呑み込めてません。
悪い意味でなく。
ここの解釈いかんで、なんか、心のダムが決壊しそうな感じ。
うううう。
秀麗、生きたかったよね。
うううう。
彩雲国は、劉輝と秀麗の物語だったけれど、この話は、劉輝の物語でしたね。
穿った言い方をさせていただくと、雪乃先生は、今だから、この劉輝と秀麗が描けたのだなと思いました。
先生がこの物語を書き始めた時、少女の秀麗と歳が近かった。
それが、歳を経て、先生自体が、最期の秀麗と同い年になったからこそ描けた何か。
私が雪乃先生と同い年だから思うのかもしれないけど。
小説を書くのに、歳は関係ないところもありますが、この部分については、なんとなく、そう思ったのでした。

紫霄について。
うん。戩華王こと妖公子様は魔性の男!
以上!

えと、他に叫びたいことはいろいろありますよ。
楊修とか!
珀明とか!(涙)
黎深とか!(涙)

でも、とりあえず、こんなふうにうだうだ思いながらも読みました。
もう一回読みます。
また違う気持ちで。

最初に感じた、「もう何も書けないわ」という気分は飛びました。
今、書きたいものが出てきて、良かった。
恥ずかしさはいろいろありますが、やっぱり、私は絳攸が好きです。←

こんなところまでお読みいただいた忍耐強い方、オチはそういうことですみません〜。
抽象的で感覚的な読みづらいものをお読みいただきましてありがとうございました。

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