※Χ5終了後〜Χ6前の話。オリキャラ有
「‥‥見たか」
「見た」
アルが視線を横にやると、ビルも頷く。 そして、二人は揃って大声を上げた。
「たいへんだああ!!」
ほかにも動態視力の良い隊員はざわつき始め、「おい」「なあ」と肩を突いたり立ち上がったりしている。その瞬間の窓を見ていなかった隊員の一人が「自殺? 自殺か?」と口走り、隣にいた先輩格の隊員に一発こづかれた。 「飛び降りたのか?」「落ちたのかもしれない」
そのころにはもうアルとビルは展望室を飛び出していた。高速昇降機が昇ってくるのも遅い。扉が開くか開かないかのうちに飛び乗って、迷わず[ 1 ]のパネルを押した。
――青い機体が落ちてくるのを、見た。
◆ ◇ ◆
遅い。昇降機はまだ1階につかない。 アルとビルは階数表示のパネルを睨みつけた。 自分らとてA級ライセンスを持つハンターだ、壁蹴りでもして滑り降りたほうが速かったか。思ったが、あれで窓から飛び出していたとしても、到底間に合わなかっただろう。 また、建物内では転送装置[テレポータ]は使えない。やはり昇降機しかない。せいぜいイライラと床を足で叩いて、早く降りるよう祈るしかなかった。
3〜4階程度の高さなら自分たちでも飛び上がったり飛び降りたりは可能だ。 しかし、70階の屋上から飛び降りたとなると話は別である。 都心部のビル群に比べ、ハンターベース本部は、それほど高層の施設というわけではない。それでも屋上の高さは500メートル近い。 いくら青き英雄といえど無事には済まないだろう。
飛行ユニットを装着していた様子も無かった。壁蹴りをしていたわけでもない。あれは明らかに「落ちて」いた。
◆ ◇ ◆
ベースの屋上。
ほかの場所を選びたかったのだが、思いつくあてもなく、結局この場所へ来てしまった。
四方を囲む柵をためらいなく乗り越えて、際[きわ]に立つ。 屋上の床のへりに足をかけ、下を見下ろす。ずっとずっと遠く、はるか下のほうに中庭がある。人間だったら、およそ肉眼では下まで見下ろせないだろう。レプリの目で見ても、地上の車や家は、まるでチリのように極小だった。
高い。高さに首すじが少しゾクリとした。 思いつめたようにくちびるを引き結ぶ。 そして。
屋上の端を、強く蹴って前方へ飛び出した。
エックスの身体は地上はるか500メートルの空に投げ出され、‥‥落下していった。
◆ ◇ ◆
一瞬身体がフワッと浮かぶような錯覚があって、 次の瞬間には、地上に勢いよく引きつけられるようにして落ち始める。 加速する。風を切る。回転する。めまぐるしい勢いで雑多な色が通り過ぎていく。 空気は鋭い刃となって全身にぶち当たる。 ごうごうと耳をつんざく風音に、イヤセンサを遮断する。 無音。 聴覚と触覚に流していたエネルギーをすべてビジュアル処理にまわし、解像度をMAXまで上げる。 とたん、世界はクッキリとした緻密さをもっておれを迎えた。 落下速度がスローになる。否、処理速度が上がったから、スローになった気がするだけだ。
目測で、地上衝突まであと400メートル。
◆ ◇ ◆
初めてあれが「落ちる」のを見たとき、おれは戦慄した。
それは、まるで薄片だった。 きれいとか、うつくしいなんていう次元ではなかった。 丸みと鋭さを強調した装甲の為せる業なのか、あれは実体よりもよほど細身に見えた。 そして、その実体が思いのほか厚みがあって力づよいことも、おれはすでに知っていた。
金の翼が逆巻いて、そう、あれは六枚の翼をもち炎の剣をたずさえたセラフィムだった。
セラフィム。
そんな表現、どこから入手したというのか。 そんなロマンチストを友人に持った覚えはないし、そんな詩的なことを囁いてくれるような恋人はいなかった。そもそも、ただの一度も恋人がいたことなんてなかった。そんな暇はなかった。 なら入力したのは製作者かもしれないが、おれはそれさえも知らなかった。 おれのジンセイなんなんだ。
みるみる地面がせまってくる。あと300メートル、200メートル‥‥150メートル、‥‥100メートル。
危険を察知した機体が自動的に、内部への衝撃を阻止するための構成式を展開させる。 この、身体の内側がぐっと押し拡げられるような、一瞬の感覚がたまらない。
しかしいつまでも浸っているわけにはいかない、さもないと地面に激突する。 一瞬ぼうっとしかけた意識を立て直し、アスファルトの地面に向かって通常弾を放つ。 反動で少し身体が浮き上がり、建物の側に飛ばされる。 すかさず壁に足をつき、そのまま滑り降りて着地した。
◆ ◇ ◆
何の形跡もない。
やっと1階についた昇降機から二人、転げるように飛び出して中庭まで走ってきた。 あたりには何の異変もない。 普段からひと気のない中庭は、いつにも増して静かだった。
「おい、あれ‥‥違うか?」
「あ」
指さすほうをアルが見ると、なにやらスタスタと去っていく青い後姿。
「隊長――!」
「ああ、アル、ビル」
エックス隊長は、何事もなかった様子でこちらをふりかえって首を傾げた。
「どうしたんだい、そんなに急いで」
「隊長、先刻[さっき]、あの」
飛び降りませんでしたか、とはなかなか言いづらい。アルが言いよどんでいると、ビルが単刀直入につっこんだ。
「先刻、屋上から落っこちませんでしたか?」
「ああ、落ちた落ちた」
エックス隊長も、まるで天気の話でもするように気安く答える。 ひやひやした自分の心配はなんだったのか。しかし、このアイサツみたいな会話は何だろう。
「いや、でも、何かあったんですか。お怪我は」
そうだエックス隊長が屋上から落ちるなんて、なにか屋上で事件でも発生したのかもしれない。 そう気づくと、上階の様子も調べずに下へ駆けつけてしまった自分たちが、ひどく間抜けに思えた。
「ああ、うん、大丈夫。もうしないよ」
しない。しないということは、やはり意図的に落ちたのか。 エックス隊長はしかし、そんな翳りはみじんも感じさせない穏やかな笑みでこちらを見た。
あの高度から落ちて傷ひとつない、この人は。
「落ちたの、本当に隊長なんですよね。どうやって‥‥?」
「ああ、ほらそこの壁から。壁蹴りで」
隊長の指差すほうを見たが、あいにく本部の壁は壁蹴りの跡だらけで、どれがそうなのかはわからなかった。
◆ ◇ ◆
そうか、近ごろは滞空狙撃系の任務をする機会もなかったから。 彼らを驚かせてしまったらしい。
ふと本部の建物を見やれば、あちこちの窓にちらほら人影が見え、アイカメラをズームに切り替えてよくよく見れば、どうもそのうちの半分近くは、どうやら自分を指さして何事か話しているようだった。 アルとビルの後ろ、本部の正面玄関にも17部隊員やらヤジウマやらが少しずつ集まり出していて、あ、あれはライフセーバーじゃないか。
これはまずい。思ったより大ごとになってしまった。 今のうちに、問責に対する上手い弁明を考えておくべきかもしれない。
エックスは軽はずみな行動に走った自分を恥じた。 始める前はただもうそのことだけで頭がいっぱいで、そのくせ終わってしまえば何も残らない。 自分の身を案じる人々のことと、そこへたどりつくまでの間に自分の足許に累積したありとあらゆる思い出したくないもののことを考えて、エックスは複雑な気分で溜息をついた。
久しぶりに飛んでみれば、なにか見えるかと思ったのに。
――彼があの夢を見るまで、あと五日。
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