※パラレル注意。





◆Electric Blue










「ほら、くちあけろ」
ゼロは、表情ひとつ動かさずに開かれたエックスの口の中に記憶媒体のスティックを突っ込んだ。エックスは喉の奥でかすかにうめいて、口内の媒体を吟味し、その内容をゼロに提示してみせた。
ずらりと並んだ未処理資料のリストを見て、ゼロは逃げ出したい気分に駆られた。が、〆切りが明日の正午とあっては、チェバルで「巡回」を決め込むわけにもいかなかった。
 
エックスの身体からパネルを展開させて、キーに指を走らせる。
ゼロはローテーブルにエックスを座らせて、自分はその正面に腰を据えて書類作成に取りかかった。
エックスは媒体を口に含んだまま、器用に舌を動かしてしゃべる。
「こんなに溜め込まないで、早いうちからやっておけばいいのに」と呆れと同情の入り混じった調子で諭すのはいつものことで、ゼロが「まあ、そのつもりだったんだがな」と答えるのも毎度の恒例行事だった。
「だいたい、君はいっつも」
「わかったから、咥えたまましゃべるな。データがズレる」
話すあいだも、ゼロは絶え間無くキータッチを続け、書類をどんどん捌いていった。
 
エックスの小さな口に、幅がある新型の記憶媒体が押し込まれている姿は、あまり見目よいものではない。
以前、解決方法がないかとエックスに尋ねてみたことがあった。
だが、エックスはいつもどおりのむすっとした表情で、「尻の穴をちょっと改造すればポートになる」という眩暈のしそうなセリフを、顔色ひとつ変えずに言ってのけた。ゼロは尻の穴に媒体を差し込まれたエックスの姿を想像し、次いで非道い疲労感に襲われ、「却下だ」と呻いた。
「なに笑ってるんだい」
「なんでもない。思い出し笑いさ」
言いながら、媒体を口から外してやった。
今ならわかる。こいつは時折、面白くなさそうな顔で飛びきりの冗談を言う。苦しみながら嬉しそうな顔をしたり、笑いながら泣いたりする。そういう、凝った性格づけがなされているらしい。
「思い出し笑いする人って、助平なんだって」
「言ってろ」
ゼロは怒ってみせようとして叶わず、語尾に笑いが混じってしまった。
自分まで感情のバリエーションが増えている。こいつが来てから、いろいろと面白いことが増えた。
 
狭い自室でふたり向かい合って、まじめに書類作成に励む。
「あ、そこ、リストの31行目、頭が 0.2pt ズレてる。修正かけるかい」
「頼む」
「できたよ」
「次は、一昨年の三月のデータあったよな。あれを」
そうやって三時間ばかり経過した頃だろうか。
「じゃあ、この列をシグマで頼む」
「オッケー、F列と下段58行目を自動合、‥‥あ、あふううぅぅぅ〜‥‥」
何かヘンな音がしたと思ったら、
「‥‥プツッ」
何かが切れたような音。
そのまま全身が脱力し、エックスは床の上にぐんにゃりとくずおれた。
ブラックアウト。
「!!!」
ゼロは焦ってスツールから飛び上がった。



  ◆ ◇ ◆



俺は焦ってスツールから飛び上がった。
「ちょっと待てよ、おい、エックス!!」
床で力無くのびているエックスの肩を掴み、がくがく揺さぶってみる。が、反応はない。頬を挟んで顔を持ちあげて見れば、眼球[アイ]センサーも真っ暗だった。完全にシャットダウンしてしまったらしい。何も見えていない虚ろなガラス玉に、どこかほうけたような俺の顔が映っていた。顎を持ちあげていた手を離すと、エックスの首は頭の重みで不自然な方向にぐにゃんと曲がった。

やられた。今日のデータがみんなおじゃんだ。バックアップできているはずがない。そんなひまなどあろうはずもない。それほど今のシャットダウンは一瞬の出来事だった。機密に類する書類はネットワーク上にバックアップはできないうえ、妙な情けを出して外付けの記憶媒体をはずしたまま作業していたのが災いした。三時間分の、俺の努力が。ぐんにゃりしたあいつの前で嘆いてみても、もはや後のまつりだった。
とにかく、再起動させないことには話が始まらない。脱力しきったエックスを抱え上げて、どうにかソファの上へ仰向けに転がしてから、俺はエックスのスイッチを入れた。

とたんに、カチッと何かのはまるような音がして、エックスの開きっぱなしだった瞳がすうっと閉じた。
「ぅ‥‥ぅうん‥‥っ」
かすかなうめき声とともに、エックスは再起動を開始した。続いて、すこし苦しげな呼吸音が聞こえだす。俺は傍らのスツールに腰をおろすと、エックスが目覚めるのを待つことにした。

そのまましばらくは呼吸するだけの状態が続いた。浅い呼吸に、ときおり硬質な作動音が小さく混じった。
俺は、力無く横たわるエックスの寝顔を見つめた。このまま、何事もなかったように起きてくれるといいが。手もちぶさたに任せて、その白すぎる頬を指の腹でしゅっとこすってやった。なめらかだった。指先にパウダーがついてきそうなほどだった。やわらかい。もう一度さわろうとすると、エックスが何か言いたげにうっすらと唇をひらいたので、俺はハッとして手をひっこめた。が、あいつの口から出たのは
ピポ。
という無機質な機械音[アラート]だった。俺は息をついた。まあ、さしあたり順調に起動しつつあるらしい。

三分後、エックスの伏せられていた睫毛がゆっくりと持ちあげられ、頬にも紅みがさして生気がもどってきた。ただ、眼球センサーだけはまだ暗いままだった。
<Mycroft スキャンディスク です>
エックスはけだるげに瞬きをくりかえしながら、ソファに横たわったまま機械的な音声でしゃべっていた。
<Rainbows が 正常に終了されませんでした>
<ハードディスクドライブ に エラーがある可能性があります>
<ドライブC の エラーチェック を 開始します>
抑揚のない声で、
<終了まで残り 推定 92 パーセント>
92パーセント!
これは終わるまでそうとう時間がかかりそうだ。俺は溜息をついた。とりあえず強制終了用のシステムは正しく稼動しているようなので、そうそう大ごとになるようなこともないだろう。
あいつのことはしばらく放っておくことにして、俺は部屋をあとにした。



  ◆ ◇ ◆



≫Pattern A

部屋にもどると、エックスはまだソファの上に横たわっていた。眼球[アイ]センサーには光が戻っているので、スキャンディスクはとどこおりなく終了したことがわかった。

買ってきたスカッシュを飲みながら、意識が戻るのを待つことにした。
栓抜きで、瓶の口から王冠を外す。このレトロな飲み方が、俺は嫌いではなかった。パシュッという音とともに、部屋に広がる清々[すがすが]しい香り。それは、この閉じられた世界に差し込むかすかな青い光だ。

ひんやりした液体を口内で転がして舌ざわりを楽しんでいると、あいつの小さな溜息が聞こえた。起動に成功したらしい。ふり返ると、エックスはソファの上からのろのろと身を起こすところだった。
「あ、あれ‥‥」
いつものエックスの声だ。
白くほっそりとした指先で、目もとを擦っている。そういうとき、あいつは一瞬ほんとうの人間のように見えた。
「おれは、たしか、‥‥」
けんめいに記憶を呼びさまそうとしているらしく、音声のはしばしに雑音が混じった。
「‥‥たしか、きみの書類を手伝おうとして、‥‥それから」
「それから?」
「それから、‥‥憶えていない」
「データは。本年度前半期に於ける緊急事態の発生傾向とその対策」
エックスは曖昧な表情のまま、ソファのそばに歩み寄った俺を不安そうに見上げていた。
「わか、らない。‥‥気がついたら、ソファに寝ていて」
「だろうな」
無理もない。
俺はスカッシュをわきに置いてスツールに腰かけると、エックスの胸もとのパネルを展開させた。
「どうして急にダウンしたんだ」
「わからない。とりたてて、どこにも異常はなかったんだけど。‥‥ごめん、おれのせいで」
あいつは哀しげに目を伏せた。
「謝ることはないさ。おまえのせいじゃない」
そう、もし謝るべき奴がいるとしたら、それは旧型の端末機をいつまでも無理に使い続けているこの俺だ。
「とりあえず、もう一度文書編集ソフトを開いてくれ」
「わかった」
「なんとか復元できないか。残骸だけなら、まだどこかに残っているだろう」
「やってみる」
「一部だけでもいい」
「了解」
「俺の三時間分の努力」
俺がふざけて付け加えると、あいつは苦笑して言った。
「‥‥努力するよ」










【Electric】(形)電気の、電気仕掛けの;深い感動を与える、胸をときめかせる、興奮させる
【Electric Blue】(複)鋼青色

 
 
≫Pattern B





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