≫Pattern B
部屋に戻ると、あいつはすでに起きあがってソファのはしに腰かけていた。 眼球[アイ]センサーにも光が戻っている。大丈夫か、と訊ねた俺に返ってきた答えは、「だめじゃないか」という俺を責める言葉だった。 「なにがだめなんだ」 「だめじゃないか、端末を立ち上げたまま置きざりにしちゃ」 俺は噴き出しそうになった。目がさめたときにそばにいなかった、と、こいつはすねているらしかった。 「かわいいこと言ってくれるじゃないか」 両手に持っていた青い瓶をテーブルにおくと、エックスの隣に身体をすべりこませた。 「そうじゃない。もし起動した状態のまま、誰かにパスを覗かれたり、盗まれたりしたらどうするんだ?」 いわく、機密情報が漏洩するかもしれない。いわく、キャッシュを勝手に使われるかもしれない。いわく、通信記録を読まれて悪用されるかもしれない。不用意な端末放置の危険性について真面目くさった顔のまましゃべり続けているエックスに向かって、俺は言ってやった。 「で、さっきのデータは?」 「‥‥‥‥‥」 シーン。 一撃必殺。あいつは一発でしゅんとなった。 ‥‥しゅんとしたいのはこっちだ。データがふっ飛んでいるのは覚悟していたが、こうしてあらためて再認識させられると、疲労感だけが否応なしにまさった。ゼロはぐったりと天井を仰いだ。 ややあって、エックスがおもむろに口を開いた。 「ごめん」 キレイな緑の瞳が伏せられ、鋭いまなざしに影がおちた。 こういうとき、エックスは一瞬ほんとうに「生きて」いるように見えた。 「憶えてないのか、なんにも」 エックスは頷いた。 「ごめん。なんだか、急にふっと気が遠くなって、‥‥気がついたら、ソファに寝かされていた。きみもいなかった」 ゼロは、エックスがうつむきかげんで唇をかみ、ひざにのせた両手を握りしめるのを、ある種の不思議な感慨をもってながめた。 「シャットダウンの原因は不明か」 「ごめん。‥‥ほんとに」 「あやまるなよ」 ゼロはエックスの背に腕をまわすと、慰めるようにとんとんと叩いた。 ふたりして落ち込んでいても始まらない。 「レモンスカッシュ飲もうぜ。いま買ってきたんだ。それからまた始めたって遅くはないさ」 ゼロは立ち上がって青い瓶を取りあげると、栓抜きを使って二本の瓶の蓋を外した。 パシュッという音とともに、部屋に広がるレモンの香り。要は冷却さえされればよいわけで、香りは何でもよいのだが、ふたりで飲むときはいつだってレモンで、スカッシュで、青い瓶だった。ゼロはいつもどおり喇叭呑み、エックス用にはいつもどおり細い金属のストローをさして手渡した。 「ほら」 「‥‥ありがとう」 よく冷えた紺碧の瓶を受け取って、エックスの顔にやっとうっすらとした笑みが戻った。 ゼロはそのことに安堵した。 それにしても、今からやり直すとなると、いったいいつまでかかるのか。 (今夜は寝かせないぜ、エックス) 自分で思いついたくだらない冗談に肩をすくめる。 エックスが、飲みかけの瓶を降ろしてこちらを見た。 「どうしたの」 「なんでもない」 ゼロは明後日の方角を仰いで、口にした瓶を飲みほした。
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