[20〜29話]

□24話
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ルフィは生まれてこれまで、あんな光景を見たことがなかった。

青い火を纏った黒い蛇がうねっているように見えた。
ついさっきゾロに思いの丈をぶちまけて、そっと抱きしめられ、すぐ耳元で何かを告げられようとした矢先のことだった。
背後でバツン、と何かが切れる音がした。切れた、なんてかわいらしい表現で、耳がキンとくるほどのものすごい音。
しかし振り返るより早くゾロに腕を引っ張られてその広い背中に隠されるように庇われ、そうしてその肩越しに見えた光景がさっきのそれで……次の瞬間には、蛇の頭が目前に迫っていた。
「ゾロ……!!」
まるで、大蛇が大きな口を開けてゾロの胸元に喰らいついたようにルフィには見えた。
すぐにはその現実を受け入れられない。否、受け入れたくない。
ルフィからはゾロの後ろ姿しか見えなかったけれど、それが致命傷であることくらい考えなくてもわかったから……。だからもう一度彼の名を叫ぼうとしたのに、雷に打たれたような衝撃を全身に受けて……そうして視界が真っ赤になったと同時に、ルフィは意識を手放していた。


丸一日眠り続けて目を覚ました入院中のルフィの元へ、現れた数人の男性からなされた今回の事故の説明は以下の通りだった。ちなみに隣には母マキノがハンカチで涙を拭いつつ同席し、ルフィが目配せすればコクリと頷くので、ああ「聞きなさい」と言われているのだなと男達をうつろな目で見回す。
まず、ルフィが蛇だと思ったのは劣化のために断絶したクレーンのワイヤーだったこと。それが計器を直撃して破損し、ワイヤーには相当の電流と電圧が掛かったらしい。次に水溜りへ落ちたことで電気は水中を駆け抜け機器に感電、あちこちで放電し青い火花を飛ばした。高い電圧が帯電したワイヤーは感電と放電を繰り返して蛇のようにうねり、これがルフィの見た“青い火を纏った黒い蛇”の正体だったのだと思う。
不幸にも二人を襲ったのはそのワイヤーの先端で、人間は数百ボルトの電圧に触れると感電する前に吹き飛ばされるのだという、ゾロとルフィを同時に吹き飛ばし、ルフィは背後の壁に激突し気を失ったのだそうだ。
責任者が説明してくれたのは主にルフィの身の上に起きたことだった。それから日勤から夜勤への申し送りがきっちりなされていなかったことによる会社側の過失を認め、損害賠償がどうの慰謝料がどうの示談がどうの、といった小難しい話し。
ゾロのことは一切、彼らは口にしなかった。
「き……」
「ルフィ! まだ起き上がっちゃダメよ!?」
「だって、聞きたい、のは……そんなことじゃ、ねェ、よ……」
思ったよりもはっきりと声が出なくて悔しい気持ちをかみ殺しつつルフィはいくつか咳をした。起き上がろうにも身体が鉛のように重たく、でもわがままを言って母に起こしてもらう。
「ゾロ、は……?」
だって、ゾロはあのとき……。
「ゾロどこ? どこに、いんの……!?」
意識を手放す寸前ルフィは見たのだ。確かに見た。ゾロの胸から噴き出した、大量の鮮血を……。
ルフィは今すぐゾロの無事を確かめなければもう怖くて聞けないような気がした。あのあとゾロがどうなったのかどこにいるのか、ちゃんと生きているのか……。
しかし黙り込んだ会社側の代わりに教えてくれたのはルフィの母で、それはそれは言いにくそうに口を開いたのだった。
「ゾロくんはね、ルフィ。とりあえず手術は成功したの」
「しゅ、じゅつ?」
「そう。私も詳しいことは解らないけど、胸にそうとう酷い怪我を負ったらしくて……出血死寸前だったとか。でもどうにか手術には持ちこたえて集中治療室に入ってたんだけど、昨夜のうちにご両親が迎えに見えてね。ゾロ君、意識が戻らないまま転院したのよ。急だったし、私もルフィのことで頭いっぱいでご挨拶もなにもできなくて……。どこの病院に移ったとかも、全く……」
「知らねェの? ゾロがどこ行ったか、わかんねェってこと!?」
「……ごめんねルフィ。ルフィが目を覚ましてゾロ君を捜すだろうってちょっと考えれば解ることだったのに。あんなに慕ってたんだものね……。でもルフィだってこのまま意識が戻らなかったら危ないってお医者さんに言われててこっちだってもうそれどころじゃ……っ」
「………」
今にも泣き出しそうな母親に、そう言えば目を覚まして一番最初に見たのは母のうれし泣きする顔だったな、とルフィは思い出した。
きっといちばん心配をかけたのだ。父だって間もなくここへ到着する、と母が言っていた。
それからウソップやじいちゃんやマリーンのみんなや、学校の友達などにもルフィの意識が戻ったことを連絡して回ったのだと。
自分は多くの人に心配され、そして今こうやって目を覚ましたことを喜んでもらっている。
それはとっても嬉しいしありがたいことだし、そして「心配かけてごめんなさい」と一人ひとりに謝りたいくらいなのだけれど。
でも、たった今、ルフィの頭の中を占めているのは……。
「……ゾロぉ」
ルフィは小さく小さく大好きな人の名を呟き、両手で目を覆った。

ゾロ……、死なねェよな?
おれ絶対絶対また見つけ出して、ゾロに会いに行くからな──。





うつらうつらしていた。

ここ数日、ろくに寝ていなかった。特に今日は朝から得体の知れない焦燥感にかられ、食事も喉を通らない。
目が覚めたらこの病院にいて、見覚えのある顔がずらり勢ぞろいしていた。そんなことよりもなにか“大事なもの”が頭の中からすこんと抜け落ちてしまった感覚に、眠ってしまったらすべてを失いそうで恐ろしくて熟睡できないのだ。
大事な何か──自分の名前、では絶対にない。
自分の名は何日か前に思い出した。ロロノア・ゾロだ。
それから見覚えがあると思っていた顔は自分の親たちだった。別に見たくもない。
今いちばん見たいのは……。
薄れたり戻ったりする意識の中、浮かびそうで浮かんでこないその顔に、ゾロはただ毎日をイライラして過していた。
「クソ……ッ」
とてもとても、とっても大事な何かなのに。例えばそれは、自分の親だと疑いもしていなかった人物が父も母も全く血の繋がりがなかった事実よりも。
その事実をゾロに教えたのがこの病院を経営している実の両親であり、後継者としてゾロを引き取りたがっている現実よりも。
ましてやその現状に振り回されたくなくて家を出たゾロ的ケジメなんかよりもずっとずっと、遥かに、何よりも誰よりも大切な何か──。
おぼろげに覚えているのは目の眩むような光だ。自分はずっとその“光”に照らされ己の後ろ暗い部分を見直し始めていた……そんな矢先だったような気がする。
おれはなぜここにいる? なぜこんなケガを……? こんなんで剣道ができるのか。いや、剣道はケジメの代わりに捨てたのだった……。
記憶が昏倒する。
「……」
その名を呟こうとした先から、さらさら砂になって指の間からすり抜けていく感覚──。
「名前、」
大事な名前。
大事な大事な……そう、自分には、とても大切な人がいた。
そうしてまたゾロは真っ暗な病室でひとり、何も掴めないままウトウトし始めたのだった。

それからどのくらい経ったのか……。
泣かしてはいけないやつが、そばで泣いているのだと思った。このままではいけない、泣いてほしくない。今までゾロにとってそれはくいなだけだったのに、だけど彼女ではない誰か。大切なやつ。そう名前は……、
「──ルフィ?」
なぜだろうすんなりとその名はゾロの喉から滑り出した。
目をひらき、彼の顔を見た瞬間すべてが鮮やかに蘇ってきたのだ。
「おれんこと……わかんの?」
ベッドサイドに突っ立ったままの“ルフィ”が、ぐっずん、と鼻をすすってこてんと小首を傾げた。あぁその仕草には堪らなく弱かった。
「わかる。ルフィだ。あーっと……、見舞いきてくれたのか? ありがとな」
我ながらなんて気の利かない台詞だ。ずっと暗中模索していた人物が目の前にいるってのに。
「くいなさんが連絡くれたんだ。でも今ゾロは記憶が混乱してるからまだ会わねェ方がいいって……。だけどおれ、ゾロの病院聞いたらじっとしてらんなくて、寝たふりしてこっそり家抜けてきた。前にゾロが『黙って来んな』って言ったの思い出したけど、だってスッゲースッゲー会いたかったし……ぐずっ。会っても『お前誰だ』とか言われんのかなァって電車ん中でだんだん不安になったけど、でもさっきゾロの顔見たらもーおれ涙しか出てこなくって、そんで嬉しくってめちゃくちゃ抱きつきてェって、けど起こしちまったらヤダから我慢しなきゃって。そんで……あ! おれうるせェ!?」
「いやぜんぜん?」
寧ろもっと声を聞きたい。
「そんなんウソだもんよ……。いっくらおれだってわかってんだぞっ!? ぜってーヒジョーシキじゃん、こんな時間に病院しのびこんで重傷のヤツ起こして……!」
「ごめん、けどホントにうるせェとか思ってねェから」
「あ、謝んなっ! も〜またおれ何怒ってんだ!! ……バカだ、マジでバカだ……ごめんなさい」
ぺこんと下げられた黒い頭に、ゾロは笑い出したいのを耐えるのに必死になった。あぁ、確かにこいつはルフィだ、間違いない。
「ルフィ、だな」
「ん? そうだぞ」
「おれがずっと大事に思ってたやつだよな、お前」
「へ!?」
「おれなァ、どうやら家出てからこっちの記憶がぶっ飛んでたらしくてな。正直、お前のことも顔見るまで忘れてた……悪かった」
どうにか上体を起こし、こんどはゾロが頭を下げる。ブンブンとルフィが頭を振った。
確か自分は、彼と一緒に事故に遭ったのだ。
「お前が無事でよかった……。どっこもケガしてねェか?」
「ちょっとタンコブできたくれェだ」
「んな不機嫌な顔すんなって。これでもずっと思い出そうとしてたんだぜ? 目ェ覚めてから何日もそればっか考えてた。誰だかわかんねェけど、おれはいつ間にこんな大事なやつを見つけてやがったんだって、記憶にねェ自分に腹立って」
「な、なんだそれ……変なの」
「だよなァ。でも思い出した。お前だ、ルフィだ。やっと思い出せた……お前がおれの大切なやつだったんだ。うん、間違いねェ」
ゾロはそっと手を伸ばし、ルフィの身体の脇に力なく垂れていた手をぎゅっと握った。ぎゅっとと言うのは気持ち的にであったが、まぁいい。
「……ゾロっ」
「あぁ」
ゾロの手を両手で握り返し、ルフィはまたぐずぐずと泣き始めた。
「おい泣くなよ」
「ムリ!!」
「でもなァ……。悪ィ、この間から泣かしてばっかだな」
立てるだろうか、と一瞬思ったが、ゾロはベッド下にあったスリッパを履き思い切って立ち上がってみた。ふらつくこともなく立て、実は内心ホッとする。これ以上ルフィを泣かせる要因を作りたくはないから。
「ゾロ……?」
困惑気味のルフィの顔が“立って平気なのか”と訝しいそれになったが、平気だからとコクンと頷いて見せゾロは笑みさえ浮かべた。本当は傷口がずきずき、鉄分も血糖値も足りないのだろう心臓がバクバクしていたけれど、気付かない振りとなんでもない素振り。
そうしてそっとゾロは涙で濡れたルフィの頬を、その大きな両手で包み込んだ。
「ルフィ」
「……おれ、真っ先に言わなきゃなんねェことあったのに。ゾロ優しいんだもん……」
「は?」
「ゾロ……ゾロごめん! おれのせいだ、おれんこと庇ったからだ!! ゾロがこんな大怪我すること……なかったのに……っ、おれが言うこと聞かないで現場まで入って行っちまったから、だからゾロがこんな……んっ」
ゾロは咄嗟にルフィの唇を塞いだ。これ以上自分を責めながら泣くルフィに我慢出来なくて、少々強引だがキスした。構わず舌を突っ込んで涙でちょっとしょっぱい口内をあちこち舐めまわして、自分のはきっと色んな薬剤の味がして不快を与えているだろうけど、もういい。気にしない。
ルフィはやっぱりビクッとして身を堅くするも思いのほか弾かれたようにゾロの病院着にすがりついてきて、応えてくれているのか、それとも逃げまいと自分を奮い立たせているのか……ゾロには判別つかなかったけれど。
初めて思う存分ルフィの口腔を蹂躙し満足して、ゾロは静かに唇を離した。
「わり、つけこんでんな……。我慢しなくてよかったんだぞ?」
すっかり思い出してしまったから、自分がどれほどこの少年を大事にしてきたか。けど思い出すのが遅かった……。
「してるわけねェじゃん!! つ、付き合ってんだぞ、おれら。それもちゃんと思い出した、か?」
恐る恐る聞いてくるルフィに「おかげさまで」と笑んで、ちゅ、と頬にキスしたら頼りなくだがにへへと笑ってくれた。まだまだゾロの大好きなおひさまの笑顔にはほど遠く、傷よりも心が痛む。
「ルフィ……なんで忘れてられたんだろうな」
「つぎはねェかんな!!」
「あぁ、絶対だ」
その勝気さも剛毅さも、惚れて止まないから。
「よかった……。ゾロ、よかった……!!」
生きててよかった、とルフィがまたゾロの胸にすがって泣くので、ゾロはいい加減なんとかならないものかと思案に暮れた。やっぱり泣かせたくはないのだ、ルフィは笑顔がいちばんだから。
「おれも言っていいか」
「うえっく、うん、いいぞ?」
「ギリギリセーフみてェだな」
時計を見ればもう23時を回ったところ。うん、やばかった。
「んお? なにが……?」

「誕生日おめでとう、ルフィ」



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