過去の拍手置き場

□プールに行こう!
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 夏休みも半ば。
 すっかり遅起きが習慣になりつつあるなか、俺は自分でも眠いながら、さらに眠そうな昌を起こした。
 まだうとうととしている彼を強引に朝食の席に着かせ、いつもより早い朝を迎えた。
「なんなの……いったい、まだ八時なのに」
 想像通りかなり不機嫌な昌はあくびを噛み殺す。箸を握る手ももどかしいほど不器用で、まだ完全には起きていないようだ。
 船を漕ぐように揺れて、危なっかしい。

 だけど俺だって、なにもない日に早起きなんかしたりしない。ただ、なんせ今日は「予定」があったのだ。
 それを昌がすっかり意識していないのは、残念な気がしたけれど、寝ぼけているせいだということにしておこう。
「篤史と約束してただろ? 今日泊まりにくるんだよ」
 俺がそう言うと、昌は聞いているのかいないのか、ぼんやりしたまま卵焼きを頬張る。普段なら、そんな様子は微笑ましくも思えるが、人の話くらいはちゃんと聞いてほしい。
「んー、そっかぁ……」
 一呼吸置いて昌は適当な相槌を打つ。まったく……。
 あまり時間がないのに悠長なものだ。まだ顔も洗ってないし、着替えてもないのにと少し不安になる。

「で、篤史がもう少ししたら来るはずだから、準備しないといけないわけ。わかる?」
「ふうん」
 箸を持ったまま寝ている。器用にも寝ながら受け答えする彼。どうせ昌の手伝いはあてにしてなかったし、自分の身支度だけはしてもらおう。
 最低限、篤史が泊まる部屋はもうある程度神将たちと準備してあった。あとはちょっと散らかった自分の部屋だ。あのまま立ち寄られては少し具合が悪いだろう。

「篤史が来たらとりあえず、荷物を置いてもらってプールに行くから。
昌もその準備しておいて」
「……」

「紅蓮、昌にもう一回言っといて。たぶん、寝てるし」
 隣に居た紅蓮はいつものように彼は返事代わりに尻尾を一振りした。

 寝こけたのかカクンとしている昌をよそに、俺は朝食の食器を片付けて自室へと向かうことにした。

***********

 眠い……、すごく眠い。よくわからないけど、浩人に起こされた。
 こんな眠い時間にたたき起こすなんて、彼に恨みを買うようなことをしてしまったのではないかと思うほどだ。
 しばらく起こされても起きた感覚がなく、気がついたら食卓にいる自分に気がついた。
 寝ながら食べたのか朝食は半分くらい減っている。とりあえず、食べてしまわなくては、そう思い口に運んでいく。
「起きたか?」
 眠くていたことに気づかなかったが、もっくんがこの場にいたらしい。彼は足元から声をかけた。
「一応」
 ふてくされるように答え、最後の一口を食べ終えた。

 何があったんだと彼に問いただそうとすると、聞くまでもなく浩人の伝言だと彼は伝える。
 篤史が泊まりにくるなんて、そういえばそんな約束をしていたかもしれない。
 あまり思い出せないけど、なんとなくそんなことがあったような、なかったような……。
 でも、忘れていただなんて言うのは恥ずかしいし、呆れられてしまうだろう。

 俺はもっくんにもちろん覚えていたと、実は話を合わせつつのくせに答えた。
「とりあえず、身支度だな。これから出かけるんだし」
 のんびり家いてもすることない。確かに出かけることに異論はない。
 家にはそれほど友人と楽しめるものがないような気がする。浩人ならゲームのひとつや二つ持っているだろうが、少なくとも俺にはないのだ。
 それに夏休みだ。せっかくだから出かけたほうがいいのもわかる。
 
 もっくんの言葉にうんうん頷いて、着替えるためにもひとまず居間を後にした。

 もっくに促されるように自分の部屋に着た俺は、タンスを開ける。
 どんな服にしようか、近頃兄が買ってきてくれるので迷う程度には服があるようになっていた。

「うーん、これなんかどう?」
 取り出したのは、膝までの生成り色のズボンとダークグレーのTシャツで、それだと冒険が足りない! と言われそうだったので、控えめにアクセサリー類も足してみる。
 暑いし、帽子も合わせて置いて見たのだが、いまいち物の怪の反応は薄い。
 何か言おうとして言わない様子に、俺は痺れを切らし口を開きかけた。

「プールに行くと言っていたが……」
 もっくんではない、でもやはり子供っぽい声がそう言った。
 入り口を見れば、顕現した玄武がこっちを見ている。

「プール? そうなんだ?」
 初耳だ。というより、浩人の話を全く聞いてなかった自分が悪いのだろうが、知らなかった。
 けれども、プールに行くからといってどうして二人はそんなにも言いあぐねるような態度をとるのか。

「別に行くときくらい何を着て言っても我はよいと思うのだが、浩人と篤史はすでに着替えてからプール向かうのが常だったと記憶している。
だから、二人と行くのなら合わせたほうが都合がいいと」
「けど、問題は」
 玄武の後に紅蓮が困ったように言いかける。

「なにさ?」

「いや、水着を買ってなかったな、と思って……」
 やっと、もっくんはそう言って、ため息をついた。
 兄さんたちがいろいろ買ってくれていたし、その中に水着があってもいい気がする。
 ないわけがないだろうと思って、一通り探してみるものの、ナイロンっぽいしゃりっとした感触のものは"これ"しか見当たらなかった。

「わー……懐かしい……」
 見つかったとはいえ、まったく嬉しくないものがあるだけだった。
 浩人たちがもっているようにものと違って、ズボン代わりにはいていけるような代物ではないことは確か。
 それは小学生のころのスクール水着でさすがに背も伸びたし着れないし、そもそも絶対に着たくない。

「中学になってからは買ってないのか? 授業もあっただろう?
少なくも今年は使ったのではないか?」
 玄武が至極当然の疑問をぶつけるが、俺は言葉に詰まった。
 買ってない……。授業も出てない……。
 小学校の途中から、天孤の血やら前世の記憶やらでまともな学校生活が送れなくなっていた俺は、水泳の授業にまで出席する余裕がなかった。水の中は酷く体力を消耗するし、呪詛を受けた状態のようなあの身体では無理があった。
 そしてそれはそのまま中学になっても続き、最近やっとその呪縛から開放されたのだが、周囲の目は依然として変わらない。いきなり元気になるだなんて、そう簡単には信じてもらえないのだ。未だに気遣わしげな態度で、また無理をすると前のように戻ってしまうのではないかと思われている。そしてそのまま暗黙の了解でプールでは見学を続けていたわけで……。
 それに、俺自身も本当は出席したくなかったのだ。普通の教科なら自室で勉強してなんとかなるものが多いけれど、水泳に関しては同じようにはいかない。確かに泳げないというわけではないと思う。前世では、たぶん、きっと泳げていたような気がする。だけど、クロールや平泳ぎのような名前の泳ぎかたはやったことがなかったし、どうしても及び腰になるのだ。いきなり授業にでたって今更ついていけない。そう思って、避けてきた。

 俺は言葉を濁して、首を横に振った。今年はなんとか誤魔化してきたけど、来年も同じ手が通用するわけじゃない。
 このままじゃ、ちょっとやばいかも……と思って顔を青くした。

「今年も結局見学を通したもんな、おまえ。別に泳げないわけじゃないんだろう?
いや、そもそも水が怖いんだったら困るが」
 物の怪がじっとこっちを見て言った。
「うん、別にそういうわけじゃないと思う。ただ、あんまり泳ぎ方が分からなくて、自信ない……」
 尻すぼみになりながら、そう答え、思わずため息をついた。
 というか、そもそも水着さえなくて問題以前感が否めない。

「じゃあ尚更、今日泳げるように練習したいところだな。
昌だって、このままじゃ困るだろう? 二人に付き合ってもらえ」
「それはそうだけど……」
 その今日の水着がないって話なのだ。うーん、と唸っていると玄武がさらりと切り出すように口を開いた。
「仕方ないだろう。新しいのは今度買うとして、今日はこれを着るしかない」

「はぁ?!」
 思わず声が裏返って、玄武を見た。彼は別段おかしなことは言っていないという澄ました顔であくまでも本気なようだ。
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