うたかたの幸いをこの手に

□梢の秋の宴
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 見上げるようにして物の怪が言う。
「辛いなら、部屋に戻れ。今のお前は見ていて俺も辛いんだ」

「人型をとらなければまだマシなんじゃないのか、昌よ」

 じい様がにんまりと横槍をいれた。そんなはずは……ないはず。俺は人だから、人の姿でいるほうが楽に違いないのだ。

「な、何を、突然……。少し、立ちくらみが……するだけ。それに、これは、妖狐の姿をとった……せい、なんですから」

「ほっほっほっ、その言葉、果たして信ずるに値するかの?」

半眼になって睨んでもじい様は全く動じない。雰囲気にそぐわず、一人飄々としていた。
 息がきれて、うまく声にならないことに苛立つ。それを八つ当たりしたかった。だけど、思いとどまり、唇を噛んだ。
 神将達やじい様だけで話し合うこともあるだろう。今はここにいないほうがいい。そうして促されるままに部屋を出た。


 ぐったりとベッドに寝そべり、少し眩暈のおさまったころ、物の怪に向かって呟く。

「ねぇ、もっくん。例えばさ、ここで俺が妖狐になっちゃったりしたらどうなるんだろう? 結界とか、そういうの」
「大丈夫なんじゃね? なんせお前は孫「孫言うなぁあ!!!」」
「はぁぅ……ぅう」
……今、怒鳴ったせいでクラッときた。枕に頭を埋めているとポンポンと撫でるような、軽く叩くような柔らかい感触。
「心配すんなよ……。お前は妖である以前にこの家の者なんだから。家族なのにいちゃいけないってーのは道理が通らないぜ」
ぶっきらぼうだけど、彼らしい。俺は小さく微笑んで白くてフワフワした頭を撫でた。
「……うん、そうだといいね」
「なにが"そうだといいね"なんだよ。そうだからそうなんだ」
「ぅん」

 貴船で眠ってしまったあと、気がついたらここにいて……、気がついたらあの赤い目がじっと俺を見ていた。相変わらず、夕焼けのような真っ赤な綺麗な目で手を伸ばしたくなったんだ。けど、触れてしまえば遠くへ行ってしまう気がした。気がしただけ。きっと紅蓮はどこへも行かない。それが彼にとっての優しさのカタチなんだって、ずいぶん前から知っていた。いつでもどんなときでも見えるように……、そんな優しさがとても愛おしかった。
 俺はスルリと姿を変えた。瞬く間もないほどあっという間に。あまりにも自然に姿を変えた俺を、物の怪が目をぱちぱちさせて見ていた。そして、物の怪のくせに器用に笑った。
「ほぉら! なんともなかった」
「えへへ……ホントだ」
 ゆっくりと呼吸を繰り返すと、すごく楽になった。薄目開けて、彼を見る。

「ねぇ、もっくん……。変わっていくことが怖いよ。俺ね、ずっと変わらない幸せがここにあると思ってたんだ。できるだけ、その幸せが長く続けばいいなって……、思ってた。だけど……」
 いろんなものが目まぐるしく変わってく。置いていかれているような気がしたけれど、自分自身も変わっていくことを忘れていたんだ。変わっていく幸せ。同じ幸せはもうこない。似ていても違う幸せだ。いつだって顕れては消える泡沫の幸いに手を伸ばす。前に進めているような気がしない繰り返し。
「もう、同じ幸せは二度とこなくて、なんだか変わらない幸せが欲しいって思ってた自分が馬鹿らしくなっちゃった」
「馬鹿らしくなんか……」
「そう言ってくれると、なんだかこそばゆいな……。ただ、わかっていても、変わることが怖くて、今の幸せにしがみつく。みっともないくらいに。……そんな俺は、弱いよ」

 物の怪の赤い目が揺れている。彼に心配をかけたくはなかったけど、聞いてもらえただけで、ほっとした。今まで言えなかった言葉を受け止めてくれる相手がいる。それが嬉しい。心配してもらうことが嬉しいなんて変かもしれないけど、不安げに揺れた目が俺にとっての真実だった。
「もっくんが気にすることじゃないってば。俺がもっとしっかりしなきゃ、いけないだけなんだよ」
 柔らかな白い毛をなぞるように撫でた。気持ちいい。
 もっくんが何かを言いかけて、口ごもるのを見ながら重くなるまぶたをしっかり開けておこうとしていた。
 横になって楽になったぶん、その隙を狙うように睡魔がやってきたのだ。心地好いまどろみが人ではないこの身体にも訪れて、支配してゆく。
「あきら…?」
 もふもふした体を引き寄せるように頬にあてる。
 もっくん、ごめんね……。枕は……、久しぶりの……。
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