うたかたの幸いをこの手に

□梢の秋の宴
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「行ったか……」
老人が安堵するようにそう呟いた。彼なりに青い顔をする孫のことを案じていたのだ。部屋のあちこちで同じように息をつく音が聞こえた。
 神将が部屋にいるとそれだけで騒々しい様子になる。しかも子供の姿をしている太陰や玄武を除き、みな長身だ。安堵のため息さえも重なると大きく聞こえる。
「で、お前たちはどうしたい?」
 昌が昌浩だとわかった時点で、十二神将としては彼の孫を主として認める気持ちはあった。そうしたいという衝動にも駆られたはずだ。昌浩が大好きだったから。その想いは今でも変わらないし、共にいることを望んでいた。
 しかし、祖父である晴次が存命な今、主とするには早過ぎるような気がしたのも確かだ。
 それに、ずっと浩人のことを昌浩だと思っていた手前、決まりが悪い。
 どう接していいのかわからない。昌はいままで通り、つまり何も知らないふりをしてくれと言う。とはいえ、知ってしまった後と前とでは、なにもかもが違ってしまうわけで……。そんな器用に振る舞えるわけないのだ。

「これからもお前が主だ、晴次」
 そう口を開いたのは青龍だった。剣呑な面持ちだが、苦々しさを含んだ声で言う。
 昌が望むのだからと、言い聞かせるように。

「じゃが、わしがもう下りたいっと言ったらどうなるかの……」
 晴次のその一言に部屋全体が凍りついた。言った本人もさすがに空気の重さに頭をかいて、ほとほと困ったなぁという表情を浮かべた。
「いや……、わしもそろそろ歳じゃから隠居したいという気持ちを汲んでくれてもよい気がするのじゃが」
「そんなの絶対にイヤ!」
 太陰が身を乗り出して言う。
「だって、だって……そんなの絶対嫌よ。だって、晴次が主を辞るなんて、そんなの誰も望まないわ。どうして主とかそういう話になるの?そんなの関係ないじゃない」
 彼女はよくわからないといったふうに、目を伏せて首をふる。 駄々をこねるように嫌だと繰り返す彼女に玄武が問い詰める。
「太陰、もっと筋道をたてて……」
「……わからないの。言いたいことがうまく言えないの」
「太陰…」
 勢いを失った駿馬のように、語尾は精彩を欠いた。それは隣にいる玄武にも伝い、二人はいっそう小さくみえた。
「昌は主にはなりたがらない気がする……。今のままでいいって。だけど、今のままってそんなもの、ずっと続くわけないじゃない」
うまく言葉が出てこない代わりに涙がポタポタと落ちていった。
「はぁ……おなごに泣かれるのはかなわんのぉ。ただ、昌にちぃーとばかし、お前たちを託して見ようかとおもうた出来心なんじゃがな」
「だって私、昌のこと……まだよく知らない。勝手に昌浩を重ねて……、きっと傷つけてしまう。でも、なかったことにすることも、昌浩を思い出してしまうことも、できなくて」
 なだめるろうに手を肩にそえ、晴次はため息をついた。
「わかった、わかった。少し急ぎすぎたのう」
 大袈裟なしおらしさに神将は白々しさを感じながら苦笑する。
「確かに急かしすぎだ。だいたいそんなに早く交代なんて昌のことをもっと考えた方がいい」
「いや、考えておるぞ。これでも」
「……」
「背を押してやろうとしているだけなのにのう」
「昌に同情する」
 玄武は昌を思い、気の毒に思った。

「ただ」
晴次はいつも目を見て話す。
それを、外したから。
たったそれだけのことで空気は緊張を含むものになる。

「人と人でないものとの時の早さは同じではない…とだけ、…な」

 その言葉は刻みこまれるように。神将は息を押し殺し、あるものは呆然と前を見つめ、またあるものは堪えるように目を閉じた。
 そんな様子に晴次は苦笑いする。
「いちいちそんな顔をするな。お前たち一旦鏡でも見てきてはどうじゃ? ふぉっふぉっふぉ。いずれにせよ、いつまでもここにいてもしかたあるまいて」
「ああ…そうだな」
 勾陳が誰も何も言わないのを見かねて言った。小さな声だった。
「あの子はいま、どうしてるかの?」
「部屋だろう。謄陀が昌に付き添っていた」
「そおか…。ちょっと見ていってやってくれんか?」
「……」
 彼女は何かを言いかけてつぐんだ。ためらいが言葉ではなくても伝わる。
「玄武、様子だけでもちょっと覗いてくれ」
「ああ」
 あくあでも諭すように、老人の声はお願いした。



 隠形し、彼は部屋を後にした。そして数分後、戻って来るなり言う。
「諸事情で謄陀はこちらに来ることができぬ。それに……いや、なんでもない。我々が昌の部屋に行こう」
 みな口々に諸事情? と首を傾げた。玄武はなにか言いたげに口を開きかけたが、黙って出口を指差す。老人だけが笑みを浮かべ、彼らを見ていた。
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