うたかたの幸いをこの手に

□梢の秋の宴
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「どうしたい……か。改めて問われると困るのぉ」
 取り残された部屋で、晴次は呟いた。
「ふむ、天空、おまえはどうしたい?」
「主の思うままに」
 一人しかいないはずの部屋に別の声がした。
「はぁー、主体性がなくて困ったものじゃ」
老人が頭を抱えるが、大して困ったように見えないのが彼の常だ。
「どうしたいかなど、問われなくても決まっているくせに白々しい」
「身も蓋も無い言い方は、爺でも傷つくわい。もっといたわってほしいのぅ、こうみえてもわしは繊細なのじゃ……。しかし、したいことがそのままできるとは限らぬだろう」
 彼は正座を崩し、あぐらをかいた。それも何となく居心地が悪かったのか、文机の前に座り、引き出しをあさった。数枚の写真を取り出し、そこに写る二人の赤子を指で撫でるようになぞる。
「二人がおまえたちと共にいられると良い……。そう思ってきたし、これからもそうあってほしい。すくなくとも、この子らが生まれてからずっとそう思ってきた。
今になって思えばわしは、今までずいぶん長いこと生きてきたとしみじみと感じるんじゃ。…もうやり残したことも、気掛かりなこともないと思っていた。これは嘘ではない。本当に、そうだった」
 そう言って、目を細めた。愛おしそうに、笑みを浮かべる。

「確かに、若菜には会えなんだが、いつも心に暖かい血の通ったぬくもりがあった。実に幸せじゃった。幸せ以外のなにものでもなかったよ」
 取り出したもう一枚の写真。狩衣を着たすまし顔の孫の姿。少しの沈黙の後、彼は言う。
「……前世の記憶は、しがらみでしかないのかもしれぬ。この子にとっては特に」
「重いな」
「ああ、一人では持ち切れぬよ」
 晴次は寂しそうに笑う。ふと窓の外を見て、また写真を見た。


「それに、千年間も朋に淋しい思いをさせてしまった。待たずともよい、好きにせよと言っても聞かぬ。そんな強情なやつばかりだろう?」
「……」

「そして今また、別れが迫っている」
 その一言が場を重くした。冷たい宣告が、突き刺さる。
「人は、長くは生きられない。それはよく知っている」
 姿のない声が抑揚なく言った。
「ああ、だから……生きているうちに、答えがほしかった。それを急かすのは酷だじゃがな」
 しわだらけの手が写真をしまい、彼は深いため息をつく。
「あの子は、……昌はきっと同じように時を刻むだろうと思うて、期待してしまう己がいる。ただでさえ、重いものを背負っているのに、老人のわがままを押し付ける気にはならんよ。本当ならこのじい様こそがわがままを聞いてあげられれば良かったのに」

 人の域を越えた存在は人としての天命を失った。彼の孫はもう……引き返せないところにいて、これからの世界と向き合わなばならないのだから。
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