うたかたの幸いをこの手に

□守りたくて
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 なんとなく、家が静かだ。
その理由は昌がいないこと、と思ったりしたけれど、昌自身はいつも音もそれほどたてず部屋で本を読んでいることが多い。
だから、彼がいなくなったから静かというのはおかしい。
でも、しんとした空気が流れているようにはやはり感じるのだ。

「ねー、紅蓮。なんでこんなに家ががらんとしてるの? ついでに悲壮感漂うっていうかさ」

 物の怪は答えずに、ちょっとふてくされてる。
そんなに昌が一人で旅行に行ってしまったことで機嫌を悪くしてるんだろうか。
そりゃ、俺だって心配だけど。

「ねーってば!」
「なんで俺が知ってるんだよ。けど……」
 けど?

「家族旅行さえまともに行ってないあいつが旅行なんて不安で不安で……。
電車間に合ったかなとか、バス乗り間違えなかったかなとか、忘れ物はないんだろうかとか、
ぼーっとしてて財布盗まれたりしないだろうかとか、ちゃんと飯食ってるだろーかとか、もう心配で心配で」

 どこぞの過保護な母親か。

「何かあった時に連絡できるようちゃんと電話番号のメモも渡してあるんでしょ? 
俺も心配だなって思ってたけど、紅蓮の心配っぷりをみてたら昌がちょっと不憫だよ」

「別に俺だけじゃないからな」
「ん?」

 よくよく気配を探ってみれば、静かだけどなんかそわそわしてるような……。
本当は俺の方が心配だーって叫びたいくらいなのに。ここまでくると昌の味方になってやらなきゃいくらんでも浮かばれない。

「そろいもそろって神将はみんな心配性だなぁ。
信じてあげなよ。さすがに乗り間違えなんてしないよ。
それに財布をスられるなんてそこまで警戒心ないわけじゃないでしょ?」

「いや、分かってるんだが、その……意外とそういうところが抜けてる気がしてならないんだ」

 その気持ちはよく分かる。
なぜそこで!? というところでマイペースぶりを発揮するのだから。

「まぁ俺もどこか出かけてこようかな。篤史は部活だって言ってたけど、夜には帰ってくるし」
 俺もお泊りに行こうかな。

「いきなり行っていいメイワクだと思うけどなぁ」
「とりあえず、行ってみて、無理だったら諦めるってことでいいじゃん」
「はいはい」
 大きなため息が家じゅうに響いた気がした。


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 待ち合わせの駅で彼女の姿を探す。
この姿で見つけてもらうのは、無理だし、自分から見つけて声をかけないといけない。
ざっと見渡すと、赤いコートを着た少女が待ち合わせしている人物を探すようにキョロキョロとあたりをうかがっていた。

「彰奈」

 自分が話しているはずなのに、自分の声じゃないというのは思ったよりも最悪な気分だ。
急に見知らぬ人から声をかけられた彰奈は小首を傾げて、こちらを向いた。
そして目があった瞬間、彼女は驚きの顔を浮かべた。

「昌、どうしたの? その恰好」

 彼女は俺の顔を見た瞬間すぐわかったらしい。
事情を説明すると、少し同情するようにおじい様はいつもうわてね、と言った。

「でも、どうしてかしら。あまり違和感を感じないの。
昌が大きくなって、髪を下ろしたらこんな感じって気がする」
「いや感じてよ、違和感」

 似合わないより似合ってる方がいいわよ、そう彼女は笑って駅の改札を通った。
他人事だと思って……。どれだけ俺が羞恥の思いでいることか。
小さくため息をついて、じい様が用意した服を見下ろす。
お姉さん、ということで大人っぽいシンプルな取り合わせの服がせめてもの救いだ。
再びため息をつきながら、細身のコートのポケットに手をいれ彼女が通過した改札に切符を通した。

 電車からバスに乗り換え、景色はどんどん山らしくなっていった。
谷を走ったかと思えば、寂れた集落を通り抜け、また山道を登っていた。
乗客も少なくなっていき、俺たちが下りるころには貸切状態になっていた。
着いた先は、真っ赤な紅葉が辺り一面に広がる静かな停留所で、あまりに鮮やかな色に俺と彰奈はしばらく言葉を失って見とれていた。それほど、現実離れした美しい景色だった。

一枚の葉がヒラリと落ちた先には着物の女性がいつの間にか立っていて、俺たちに向けて深くお辞儀をした。
気配を感じさせない人だった。

「あの、電話してもらったと思うんですけど、鏡篤史って人から。今日はどうもお世話になります」

 その女性はゆっくりと微笑み、お待ちしていましたと言った。
荷物を運んでくれようとしたので、それは断りさっそく部屋に案内してもらった。


用意された部屋は想像以上に広くて綺麗で、趣があった。
なんだか俺たちにはもったいないくらいの部屋で落ち着かない気持ちになる。

「温泉はお部屋にも一つ個別についていますし、もちろん大浴場もございます。
そちらは露天風呂もありますので、美しい紅葉をご覧になりながらお楽しみ戴けるとおもいます。
また、十時から十二時は清掃のためご入浴いただけませんが、それ以外の時間でしたらいつでもご利用になれます」
 そう説明をしてどうぞごゆっくりという挨拶をして仲居さんが去った。
 

 とりあえずお茶でも飲もうかと二人で向かい合って座椅子に座った。広い…、広すぎて落ち着かない。

「あの人、変わってるわね」
「うん、気配が薄くってまるで…」
 人じゃないみたい。そう言いかけて口を閉ざした。ちょうど彰奈がお茶を入れ終えたようだ。

「はい、熱いから気を付けてね。なんだか、想像していたよりも広いわ。すごくいいお部屋みたい」
「ありがと、いい部屋すぎて落ち着かないよ。俺たち他の部屋と間違って案内されてたらどうしよう」

 そう言った瞬間、彰奈はじっと俺を睨んだ。お茶を一すすりして、ため息をついた。

「人がいないからいいけど、間違っても”俺”なんて言っちゃだめよ。
他はまぁごまかしがつくけど、“俺”はすごく男の子って感じがするもの」

「あ…、忘れてた。気をつけるよ。でも、名前はどうしよう。
偽名でも使っておく?」

「そうね、でも慣れない偽名を使ってもかえってよくないし、“あきら”の“ら”を取って“アキ”って呼ぶわ。
それならあんまり違和感ないでしょ?」

「う…うん。けどさ、それって今さらなんだけど、彰奈と響きが似てるような…。
まぁここに居る間はとりあえずその名前を使うよ。

後、いろいろじい様から設定を書いたメモをもらってて……、あったあった。
彰奈とは家が近所で、本当の姉妹のように仲良くしてる間柄。
俺…、じゃなくて私の設定は○×大学に通っていて、もうすぐ誕生日がくるらしいから二年生なんだってさ。
券をくれた篤史とは弟の友達という関係。なんか他にもこまごまと設定が書いてあるよ。
暇なんだな、じい様」

「これを書いてるときの楽しそうな顔が目に浮かぶわ」

「荷物もすでにそっくりそのまま用意されたのを渡されてさ、
せっかく自分で詰めてきてたのに服のこともあってこれを持ってこざるをえなかったんだよね、はぁ…」
「まぁまぁ、一息ついたんだからさっそくお風呂に入りましょう、ね?」

 うん、と俺は頷きお茶を飲みほして、また大きくため息をついた。
風呂となると自分の体を嫌でも見ることになる。
でも、部屋に個室の風呂あって、しかも温泉だというのは不幸中の幸いだ。
俺より早く飲み終えた彼女は風呂の支度を始めている。俺もいつまでもこの荷物を開けないままでいるわけにはいかないし。
思い切ってボストンバックのチャックを引いた。

「……え」
 中身は案外(とうのは失礼かもしれないけど)まともだった。
もっとひどいと思っていたから、拍子抜けした。奇抜な何かが出てくるような悪い予感がしていた。
むしろ最初に自分で詰めていた鞄のほうがひどい。そう落ち込むくらい綺麗に詰められていた。

 自分なりに頑張ってつめていた鞄はいつも本を読んでるからその癖で無駄にたくさん入れて重くなっていたし、

服もまともなものを買ってこなかったからとりあえず今あるものを詰めただけだった。
下着も靴下も服も全部ぐちゃっと入れていた。
こんなふうに整理整頓していれるということをなぜか思いつかなかったのだ。

「どうしたの?」
「いや、なんでもない」

 じゃあ、またお風呂上りにね。そう彰奈は言って、部屋を出て行った。


「あつ…、でもこれがいいんだよなぁ」

 浴槽はヒノキが敷き詰められ、温泉独特の匂いとそのヒノキの匂いとが混じって何とも言えない不思議な香りがした。
不思議だけどいい匂い。深く息を吸って、心地いい香りで肺をいっぱいにした。
これが傷に効くというのだから、有難い話だ。確かに体の重さはだいぶ軽減された気がする。

 「気持ちいい」
 やっぱ温泉はいいよなぁと思う。嫌なことも気になって仕方ないことも今だけは忘れられる…。
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