うたかたの幸いをこの手に
□守りたくて
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「甘んじてるんじゃないかしら…」
そう彼女が言った時、棘のような何かがぐさりと刺さったような気がした。
だけどそれは刺さったのではなくて、抜けたのかもしれない。
いつもみんなから優しくされすぎるから、誰かにそんなふうに責められたかったのかもしれない。
そんな言葉を口にしながらも優しい目をしていたから、彼女をまた愛しく思った。
「もう、平気みたい」
俺は身体を起こし、真ん中に置かれた座卓の側に座った。
また水分を補うように水を飲んで、机に突っ伏して氷を玩ぶ。
本当に? そう覗き込む彰奈に微笑み返した。
「平気だよ。いつもそうやって言い聞かせていたら、ある程度平気になれるってことに気づいたんだ」
少し暗い顔をして、彰奈はそうと言う。
でも打ち消すように笑って、くしゃりと俺の長い髪を撫でまわした。
「元気出して、なんて言わないけど。そろそろ夕食の時間だからせめていっぱい食べなきゃね」
彼女はほんとに…俺なんかよりずっと強い人だ。
俺が前に進めてないから、待っていてくれているみたいだって最近気が付いた。
思えば、あの時声をかけてきたのも彼女だった。
情けないな、そう思ってしまうけど、そう思わせないように心を砕いていてくれてるんだろうな。
「そうだね、お腹減ったよ」
笑いかえして、そう言った。ちょうどタイミングよく食事の用意ができたと戸の奥から聞こえた。
ここに案内してくれた人とは別の人だったけれど、また違和感を感じた。
しっとりした笑みを浮かべテキパキとこなしていくその女性を気になってじっと見入ってしまう。
料理自体は豪華そのものだった。
山菜の小鉢、新鮮そうな刺身、煮物、小なべ…たくさんの料理が机に埋め尽くされていく。
最後に小なべの火をつけて去っていく彼女の足音が消えたころ、俺たちは食事に手をつけ始めた。
普通においしい。篤史に感謝しなくちゃな、と思った。
「…影がなかったわね」
半分を食べ終えたころにふと彼女はそう言った。
「うん……、ここは人と妖が行き交う場所だから、そういう人が働くのかもしれない」
いろいろと謎の多い旅館だった。見た目の幻想的で異世界のような様子は、文字通り異世界だ。
そこかしこに邪を払う呪具が置かれ、そして部屋ごとに結界が張られていた。
それは一人の手によってではなく幾度も積み重ねられた強固な護りだった。
その幾度目かを紡いだのは篤史のようだ。微かに彼の気配を感じる。
「悪いものに利用されてはいけないものね」
彼女たちもこの旅館の装置でしかないのかもしれない。
不思議なほどドライな感じがして、ここは普通の旅館のように愛想を振りまくようなことはしない。
「「ごちそうさま」」
俺も彰奈もすべてを食べきることはできなかったが、いつもの二倍は食べたような気がするくらいだ。
腹八分目なんてとうに超えて、十二分目まできている。
「おれ…いや”私”、動けない。おなかいっぱい過ぎて苦しい」
「私も……でも、だからこそ腹ごなしにちょっと散歩しない?」
「本気?!」
「ええ、もちろん」
浴衣の上に羽織を着て、靴は履いてきていた普通の靴を履いた。
この恰好じゃあ寒いだろう、そう構えていたけれど、寒さは全く感じなかった。
この付近一帯が結界に覆われていて、中にあるものをすべてから守ってくれているようだった。
苦しいと言いながら歩いて、その間に隣にいる彼女のことを考えた。
いてほしい、そう心細くなるたびにいつも寄り添ってくれた。
どうしてそんなに優しくしてくれるんだろ……。なにもできない俺の側に…どうしていてくれるんだろう。
ふと手元に視線を落とすと、どちらが差し出すということもなく手は自然に繋がれていて、
細い彼女の指が自分の指に絡まれていた。こうすることがいつの間にか、見るまで気づきもしないくらい、
それはあたりまえのことになっていた。
「お姫!」
「ホントだ!」
「おーい!」
彰奈に向かって走り寄るのはかつて彼女が名づけた馴染みの雑鬼だった。また会ったわね、そう彼女はしゃがんで彼らと目線を合わせた。また…?
「お風呂で会ったの」
さらりと言うけれど、それって裸だったんじゃ……。
「どうしたの? 少し顔が赤いけど」
「な、なんでもない。それより結界が張ってあるのに、よく入ってこれるな…」
「弱すぎるとすり抜けられるんだぜ」
「俺たち、凄い!」
「誰も褒めてない!」
何時まで経っても弱小妖怪らしい。
「で、お姫。こいつは一緒に来てるやつか?」
「友達なのか?」
「姉なのか?」
その問いに彰奈は心底おかしそうに笑う。
「残念でした。私には姉はいないわ。それに友達…ってわけでもないわよ。
ふふ、この子たちにまで見間違ってもらえるなんて本当にうまく化けたものよね」
「好きでこんな恰好してるわけじゃないんだけど。なんていうか複雑だよ」
俺は大きくため息をついて、うんざりした顔をした。
「むむっ、おまえどこかで見たことがあるような」
「確かに、見たことあるような」
「あるようなー」
散々人のこと潰しておいて忘れるなんて、ひどい奴らだ。
一つ鬼が俺のことをじっと見て、さすがになにか思い当たるものがあったらしい。
「じゃあ、とりあえず……せーのっ!」
もちろん身構えたので避けられるはずだった。
けど、咄嗟に動こうとした体は、怪我の痛みが急に走り思うようにならなかった。
「なんだ、怪我人は昌浩か」
「お姫はどこも怪我してないみたいで安心してたんだけど」
「ここに来るやつはみんな訳があってくるからな」
つぶす気満々だった雑鬼たちは寸前のところで俺を避け、ぽとっと地面に着地した。
「……っ」
不意打ちの痛みに声が出ず、心の中で悪態をついた。
「大丈夫?」
支えるようにして彰奈は腕をつかみ、じっと覗き込んだ。情けない声で大丈夫だと答えた。
「せっかくちゃんとそこそこの陰陽師になったって言うのに情けないなぁ」
「いっつもお姫のこと泣かせるし」
「ダメダメ陰陽師〜」
「わ、私、泣いてなんかなかったわ!」
慌てたように彰奈は雑鬼たちに切り返す。
「この機会に思い知ればいいんだ」
「昌浩がいつもいつも彰奈を一人にするからいけないんだ」
確かに、仕事を優先していたことは多々あった。
指名手配されたりで、都から離れたこともあったし、彼女自身女房として仕えて仕事をしていたりしていた。
いつも大丈夫よ、と笑っていてくれたものの、寂しい思いをさせてしまったことには変わりない。
「その……ごめん」
「えっ、い、いいの……。私は、いま昌の側に居られて…すごく嬉しいから」
恥ずかしそうにそう告げる彼女をついついそのまま抱きしめてしまって、それを見た雑鬼が不満の声をあげる。
「お姫が嬉しいのはわかるけど、わざわざ見せびらかすなよなー」
「暑苦しい」
「ふじゅんー」
そう言われると、急に恥ずかしくなる。こんなことをするのは勝手に身体か動いていたせいだ。
自分から意識すると本当は何もできはしないのだ。だから、余計に死ぬほど恥ずかしくなったりする。
平然……平然、そう意識するけれど、言葉がつまる。
「…その……あの、
なんていうかさ、ここに来るには訳があってくるって言ってたけど、お前らはなんでここに来たんだ?」
「ん? 俺たちか?」
「俺たちは―」
「ただ追われて中に入っちゃっただけだぜ」
弱いんだから追い立てられて当たり前か。
そうため息をついた瞬間、外からの衝撃を感じた。
ぐらりと体が傾くくらいの振動に彰奈が倒れてしまわないように支え、辺りを見渡す。
「あいつらが俺たちのことを追ってきたんだぞ」
「んなこと暢気に言ってる場合じゃないだろ!」
これほどまでに強固に張られた結界なのに、衝撃には耐えきれていない。
破って中に入ってくるようなことはないとは思う。
しかし、じっと耐えているにしてもその損害は大きい。元凶が潰せるのなら潰さないと。
「どんな奴なんだ?」
「昌浩、なんとかしてくれるのか?」
「こんなんじゃ安心して寝られないだろう」
さすがにこんな乱暴なことをする妖の側でうかうかとは寝ていられない。彰奈が心配そうに見つめるので、微笑みかける。
「行くの……?」
「うん、心配かけてごめん……でもちゃんと帰ってくるから」
泣き出しそうな顔で、それでも優しい顔で行ってきてと言ってくれる。
抱き寄せるように彼女の髪を撫で、その場を離れた。