お話3

□ありがとうの日
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ありがとうと言えばいいのだ、と朝、廊下で一緒になった近藤はいつもの眩しい笑顔で、土方にそう言う。真選組内での新しいキャンペーンだとかなんとか、今日は「ありがとうの日」なのだと。
近藤の考えそうなことだ。相変わらずこの男の頭のなかは平和で、土方は安堵した。土方の頭のなかは今日のシフトやら予定やら喧嘩やら、近藤のそれとは反比例しているらしい。それで結構だけれども。

それでも、近藤に「ありがとう」と言ってもらうのは、土方にとってはすごくすごく大きなことだった。副長をしっかりまっとうしてくれてありがとうだとか、自分を支えてくれてありがとうだとか、それだけで生きる意義がぐんと大きくなる。

「はい、次はトシの番。ちゃんと相手を褒めて、しっかり目を見て言うんだぞ」

彼の教育は、いまだに土方の心を形作っている。自分は必要とされていると、生きているということを、実感できるのだ。

「えっと」
「ゴリラは褒め言葉じゃねぇからな」
「わかってるよ、…じゃあ」
「じゃあってなに!?俺トシのことあんなに褒めちぎったのにィ!」
「えと、この前一緒に飲みにいってくれたのと、非番くれたのと、…い、つも隣にいさせてくれて、…ありがと」

自分を生かしてくれて、と言うのはキャンペーンには少し大げさすぎる気がして、言えなかった。けれど、近藤はものすごく嬉しそうな顔をして、むこうに見えた沖田に向かって走っていった。
また、寿命が伸びた、と思った。

「副長、お茶いれてきました」
「ん、これ近藤さんとこ」

いつもなら土方が怒鳴るまで外でラケットを振り回しているはずの山崎が、やけに真面目な顔つきで副長室を訪れた。さては、ありがとうをもらいにきたのだろう。全く、わかりやすい男だ。
少しいじわるをして、近藤のところへ書類を持っていけとすぐに追い出してやろうとすると、正座の体勢からなかなか動かずに視線をさまよわせている。土方はなんだか嬉しくなった。この監察も、土方にとって、近藤と同じ存在意義がある。

「あっあのですね副長、」
「はやく持ってけ、お前とおしゃべりしてる暇はねぇの」
「おっ俺は副長直属ですからたとえ局長に危機が迫っても副長を護りたいと思ってます俺に生きる意味っていうかっそういうあっあのそういうアレを与えてくれてありがとうございます失礼しました!」

時間がないと言ったからか一言ですごく早口に言った、しかしその山崎の言葉に土方は目を丸くした。大げさだと思ったことを、山崎はいとも簡単に言ってのけた。
つまり、自分にとっての近藤のような、そんな存在になっているというわけか。ますます寿命が伸びた気がする土方だ。今日一日で、生きる理由がどんどん増えていく。

慌ただしく出ていこうとする山崎に、「ザキ」と声をかけた。このままないがしろにしてはいけない気がした。

「あ、あの」
「ふふふくちょ…!」

もじもじとしながらも正座をしだした土方に山崎が過剰に反応する。俺相手に正座なんざしなくていいですと声をあげた山崎の目を見ながら、土方は恥ずかしさからわずかに頬を染めて言った。

「…その、いっつも蹴ったり殴ったりしてるけど、ちゃんと言うこと聞いてくれて、あっありがと」
「ふくちょおおお…」

泣きそうな情けない顔をして鼻から血をぼたぼたと落とす山崎にため息をついた。しかし、畳に赤い染みがついても、今日はあまり気にならなかった。

「副長!いつも映画一緒に行ってくれてありがとうございますぅぅぅ!」

飛び込んできたのは原田だ。こちらは目的がはっきりしていてよろしい。
目をきらきらさせて土方の言葉を待っている部下、土方よりも身体は大きいくせに、小さく正座をして。思わず笑ってしまった。

「こちらこそつきあってくれてありがとな」
「ふぉぉありがたきお言葉…!」
「大げさ言うな」
「あの早速なんですが明日のー」
「…おいコラァ」

ガンッ!と山崎と原田の頭がぶつかった。頭をおさえながら、不機嫌そうな、しかしかなり恐ろしい声に二人がふりかえると、そこには般若のような顔をした沖田が立っていて、全力で逃げ出したのだった。

「あーあ、総悟のせいで逃げちまった」
「チッ、あとで絞め殺してやらァ」
「おっそろしー」

足を崩して煙草に火をつける土方を見て、沖田が口を尖らせる。

「俺には正座じゃねぇんですかィ」
「お前相手にって…なんか、恥ずかしいし」
「先輩は俺ですぜィ?」
「はぁ?今ごろそんな話だしてくんのか」
「とにかく、先輩相手にふさわしい態度をとりなせェ」

土方は困ったふうに笑って、隣にあぐらをかいている沖田にもたれかかった。信頼できるこの弟のような沖田が土方の心を占める割合は、かなり大きい。

「近藤さんから聞きやした、アンタの隣には近藤さんがいるんですってねェ」
「逆、近藤さんの隣に俺がいんの」
「俺ァべつにどっちでもいいですけど。でも、俺の存在を忘れてもらっちゃ困るってんでィ」
「お前は近藤さんの隣だろ、俺と反対側」
「俺だってアンタの隣がいいや」

軽く言ってのけるが、見上げると案外真剣な表情をしていて、くすぐったい嬉しさに包まれた。
いつもは突っかかってくるくせに、時々こうやって、仲良しになるのだ。土方のことに関しては過保護で、―銀髪の男が絡むと、特に。必死に土方の心配をしている沖田が、すごくいとおしいと思う。

「総悟ありがと」
「なんの褒め言葉もありやせんね、ありがとうごぜぇやす」
「褒めだしたらキリがないからな」
「嘘つけィ、まぁいいや、じゃあ俺はお客さんがいるので」

沖田が出ていくと、縁側から山崎の声が聞こえた。

「副長!梅!副長うめ!」
「俺は梅じゃねぇ」
「咲いてるんですよ!」

今から書類整理に入ろうと思ったのに、と土方がしぶしぶ縁側に座ると、庭に生えている梅、小さく花を咲かせていた。
どうやら今日はいいことづくしの日らしい。ありがとうをもらって、寿命が伸びて、梅も咲いて。酒でもでてきたら言うことなしなのだけれど。

「どれか切って副長室に飾っておきましょうか」
「そんな気のきいたことしなくていいザキのくせに」

でもありがとう、と。今度はするりと
口からでてきた言葉に土方は自分でも驚いた。やはり何度も使うと慣れてくるのか、なんともありがたいことだ。
人に礼をいうと自分も嬉しくなるのかもしれない、と珍しくまともなことも頭に浮かんできて、くすくすと笑うのだ。このままでは攘夷派の皆様にもありがとうを言ってしまいそうである。

「副長あのすいませんその煙草あずかっておきますね」
「は?」

吸っていた火のついた煙草を土方の口からおそるおそるとって、山崎は両手をあげて走っていった。まるでなにかから逃げているような全力疾走ぶりで、さてはまた沖田かとため息をついた。が、

「うわっ!」
「気のきいたことしなくていいのにジミーのくせに」

土方の左右からにょきっとでてきた腕に捕まったと思ったら、よく知る匂いが土方を包んだ。ついでによく知る声もすごく近いところで響いている。銀時だ。

おもしろいキャンペーンをしてるって沖田君から聞いて、と土方の髪に顔を寄せながらながらそう言う銀時越しに後ろを見ると、沖田が口をぱくぱくとして「ごゆっくり」と言っている。珍しい行動に目を見開くと、紳士のように大きくわざとらしいお辞儀をして、障子をぴしゃりと閉めて出ていった。
彼なりのありがとうということか、またお礼をしないと、と優しさにひたっていると、後ろから抱き締める銀時の腕に力が入った。

「なんでジミー君が煙草とっていったと思う?」
「俺の健康のため」
「わかってねぇなァ」
「総悟がお前を呼んだ理由は?」
「さあ?」
「わかってねぇな」

自分の健康のためだと土方は思う。あるいは、自分が長生きするためだと。

ありがとうを言いにきたのかもらいにきたのか、それともいつものようにただ会いに来たのかはわからないが、銀時のおかげでずいぶん生きるということに執着がわいてきた。

「土方、銀さんにありがとうは?」
「それが人にものをたのむ態度か」

少し焦らしてやろうとしただけなのだ。なのに。

「生きてくれてありがとうな、土方」

ダイレクトに頭の芯に、心の真ん中に響くように、耳元で囁かれた低い声は、土方の目を赤くさせるのに十分だった。


生 き て く れ て あ り が と う


腹の上で組まれた銀時の手がぼんやりと歪んで、鼻の奥がつんとして、土方は慌てて目線を上げる。何度もまばたきをしてその場をしのぐ土方を見て銀時が喉の奥で笑った。

「そんなんなら毎日言ってやればよかったな」

目尻に触れる銀時の唇にどうしようもなくなって、土方は大きく息を吐いた。
近藤とはちがう。ちがうけれど、この男がいないと、自分は生きていけないところまでになっているみたいだ。誰よりもまっすぐ、直接的に、生きろと言ってくるのは銀時だ。その支えがないと、「生」に立っている土方の弱い足元は簡単に崩れてしまう。

「ハイ、お返ししようね土方くん」
「…あ、りがと…」

愛してくれてありがとう、と言いたいけれど、何だかわんわん泣いてしまいそうで、言えなかった。掠れきった土方の声は、それでも静かな副長室に響いて、うん、と銀時が返事をした。

「大丈夫?こっち向かなくていい?」
「…うん」
「あーやっぱ俺が大丈夫じゃないからこっち向いて」
「梅見えない」
「銀さんで十分でしょ」

うん、という言葉は銀時の口の中に吸い込まれていった。

「この変なキャンペーンも、たぶん副長さんのためなんだろうなァ」

本当にそうだと声には出さないけれど小さく頷いて、土方は銀時の肩に顔をぐりぐりと押しつける。みんなからもらったありがとうは、この先百年くらい生きたってお返しできないくらい大きなものだと、大好きな匂いを胸いっぱいに吸い込んで、土方はそう思った。






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三月九日はさんきゅーということでありがとうの日だというのをどこかでお聞きしまして、ありがとうのお話でございます(*^^*) みなさまいつも本当にありがとうございます。

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