短編集

□連載小説
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あぁ、君は恐かったんだね。

大丈夫、今度こそ僕は君を護り抜くよ。



―――…



白いレースのカーテンが静かに揺れる。
穏やかな自然の風の音と、それとは反対に人工的な音で主の生存を告げる機器。
無機質な白い箱の中に、菊は傷付いた身体を横たえていた。



「菊…」



イヴァンは菊の頬をサラリと撫でた。
白磁のようだった肌は今や青白く、温かだった彼女の熱はなりを潜めている。
顔以外に露出している場所は無く、出ていたとしても純白の包帯で覆われていた。
二週間もの間、彼女は目覚めない。
イヴァンはギリリと唇を噛み締める。
それと同時に力の限り自分の手を握り締めた。



憎くて、仕方がなかった。
絶望して、仕方がなかった。
なんて愚かな、世界。



現にイヴァンの大切な白雪姫はこうして傷付いてしまっている。
それと同時に、自分はこうしてただ彼女の目覚めを待つしかない。
歯痒くて仕方がない。



「ごめんよ、菊…」



俯き背中を丸めるイヴァンの口から苦しげに発せられる言葉に本来なら返す者はいない筈だ。
しかし、そんな静かな空間の中でイヴァンの言葉に返す声が響いた。



「大丈夫。イヴァンは何も悪くないよ」



悪いのは、この世界だから。



耳にはっきりと聞こえて来た声にイヴァンは俯いたまま思わず目を見開いた。
恐る恐る顔を上げ、声がした方へと視線を向ける。
するとそこにはしっかりと目を開け、イヴァンを見つめながら柔く微笑む菊がいた。



「…きく?」



菊が目を覚ましたことは嬉しいと感じる。
でも、とイヴァンは思った。
何かが、違うのだ。
微笑みも、声も菊に間違いはない。
しかし…。



「…敬語」



思わず口にした言葉にイヴァンは合点がいった。
そう、口調だ。
今、イヴァンの目の前で微笑んでいる菊は敬語ではなかった。



「君は、…誰?」



鮮やかな紫の瞳を細めながらイヴァンは相手に問う。
そうすると目線の先にいる少女は楽しげにクスクスと笑った。
そう、本当に楽しそうに。



「さっすが、菊の白騎士だね。僕と菊の区別がつくんだ」



まぁ、区別がつくようにこんな口調なんだけどね。



子供のように楽しげに笑う菊の顔を、イヴァンは初めて目にした。
だから、余計にその表情に違和感を拭えない。
彼女は、菊はそんな顔をしなかった。
楽しげと言う表情でも、それはどこか儚げで自分が傍にいなくてはと思った程だ。
だから、この目の前にいる少女は菊ではない。



「もう一度、聞くよ。君は、誰?」



先程よりも口調を強めながらイヴァンは相手に問うた。



「菊は何処?」



その瞳はただ目の前にいる少女の本体−イヴァンが忠誠を誓ったただ一人の少女−の安否だけを知りたがっている。
そんなイヴァンを見て相手はニタリと口元を歪めた。



「大丈夫。菊は今眠ってる」



この中で。



そう言いながらその少女は包帯で真っ白になった手で自らの頭をトントンと軽く叩いた。



「菊は今弱ってる。だから僕が生まれてこうしてイヴァンの目の前にいる。僕は菊を護る為にいるんだ。もちろん、君がいらないって理由でここにいる訳じゃないんだ。僕がいなきゃ菊は精神も身体も保つことが出来なかったんだよ。菊には、君が必要なんだよ。イヴァン」



だから君は、菊の傍にいて欲しい。



いつの間にか、あの歪んだ笑顔は無く、ただ真剣な漆黒の瞳がイヴァンを見つめる。
そんな対の宝石を、イヴァンは見つめ返しながらニコリと微笑んだ。
それは、ただ一人の少女にしか見せない柔らかな笑みだった。



「そんなの、言われなくても僕は菊を護るよ。菊は僕にとってただ一人の大切な女性(ひと)だもの。それに…」



僕は彼奴等に制裁を加えなきゃいけないんだから。



その途端、首元に掛かるマフラーを指で弄りながらイヴァンの笑みは狂気を孕んだモノへと変化した。
その様子を少女は面白そうに瞳を輝かせながら見つめている。



「その“お仕置き”に、僕を入れてくれないかな?」



おもむろに少女が口にした言葉にイヴァンの紫の瞳が細められた。
彼女に復讐したい何かがあるのだろうか。



「どうして?」



静かに、紫水晶の双眸が見下ろす中で少女はそれをジッと見返す。
そこには強い光があった。



「“騎士”は“白雪姫”を害してはならない。それは当然のことだ。本来なら、僕は生まれるべきではなかった。必要がなかったんだ。だけど、僕はこうして存在している。何故?それは菊が絶望したからだ。この愚かな世界に。だから僕は復讐をする。菊を傷付けた“騎士”に、裏切った世界に」



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