戦極姫〜武田家〜
□第弐戦
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武藤義景が信玄に喚ばれあの日から数日。
『今から将だ』と言っても将になれるわけでない。
将になるにはまず馬術。それから兵法、剣術、槍術の順でそれぞれを身につけなければならない。まぁ今回の彼は馬術や兵法もそれなりに心得ていたようで、あの信玄ですら驚かせたぐらいだ。
―閑話休題―
「…ムク……んくっ……」
紅い甲冑を身に纏った武田信玄が杯に注がれた透明な液を飲む。周りの将はそれを見守っている。もちろん義景もだ。
「…んっ……ふぅ…」
「…………」
飲みきった杯を盆に戻す信玄。傍らに控えていた義景はそれを片付ける。新参者として、それとも信玄の心意気からなのか…ともかく、それは彼の役目なのだ。
「「「……………」」」
そんな彼のことが気に入らない将は何人もいるが、不満は漏らさない。しかし顔にはでるらしいそれ。原因の彼は知らぬふり。
「この量はやはり慣れませんね…」
小さな唇をそれまた小さな指先で覆い隠す信玄。
先程行われていたのは『三献の儀』と呼ばれる武田の戦前に行われるもので、打ち鮑、勝ち栗、昆布を順に口にしてそれを肴に杯空ける。これを三度繰り返す。
それぞれに意味があり、肴は『打つ』『勝つ』『喜ぶ』
三杯は『天』『地』『人』を意味する。
これは縁起を担ぐための儀礼で精神的な意味合いがある。
「それでは御館様。総攻撃の準備に取り掛かります! 此度の戦、必ず我が力で圧勝してみせますっ!」
儀式を終え、幸村が信玄のもとに跪く。
「……幸村」
「はっ」
「ひとつ申しつけておきますが、功を焦らないように。そなたは若い…殲滅ばかりが勝利の意味とは決して解さぬことです」
"若い"という言葉に義景は信玄を一瞥する。彼女は幸村以上に若い。そして、それに何を思ったのか眉を寄せていた。
「はっ…。しかし戦場にあっては生を忘れて励むものとそう御館様に…」
そこで信玄は義景を見る。
(試して…いるのか…)
軍配で覆った口元がほのかに緩んでいる。
義景は内心でため息をつき、口を開いた。
「勝ち過ぎもまた禍根を残すものにて候。まずは六分。欲を申さば七分の勝利を以て良しとすべし」
その言霊に信玄はより笑みを深くし、同伴していた勘助も静かに頷く。だがしかし、幸村に彼が口を挟んだ理由を知らず、義景を睨んだ。
「貴様っ!」
掴み掛かろうとした幸村に義景は一歩下がる。行き場を失った彼女の手のひらは空気を掴む。それがまた幸村を苛つかせる。
「幸村」
「っ……」
信玄の軍配が仲裁することでその場はなんとかおさまった。
「幸村。この戦では万事勘助の命に従う事。勘助の言葉は私の言葉と思いなさい。遺命はなりません」
キっと幸村を睨むように目を細める信玄。それに焦る幸村は戸惑うように口を開いた。
「で…ですが…っ」
「しかと申し渡しましたよ」
「はっ…はいっ…」
「されば真田殿、参ろうか」
「…っ、宜しくお願いします」
結局、彼女は不満を顔に出したまま勘助の後を追い、部屋から退出していった。
「…………」
義景もすでにこの場にいる意味をなくしたのか、静かに立ち去ろうと戸に手をかける。しかしそこに主の待ったが入った。
「私の言、しっかりと学んだようですね」
「……えぇ。しかと」
「ふふっ…そうですか」
軍配片手に口元を釣り上げる信玄。いったい何が愉しいのか彼には判らない。
「………失礼します」
信玄に対し義景は眉一つ微塵も動かさず部屋を出て行った。
「つまらない男……」
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