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□26:藍に溶ける
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へたり込んでしまった芙蓉と、呆然と赤く染まっていく海を見た男が二人。
動き出したのは、誰が早かったのか。
(彼女は俺たちが知るよりも早くその『異変』に気が付いた)
青キジはその理由が、この異変に関係していると直感的に判断して手を伸ばした。
(フヨウだけが聞いた悲鳴、それはつまり“カリプソー”の力だ)
それを青キジに知られるわけにはいかないし、今の彼女は『それ』に感覚を支配されているに違いないとマルコも抱きしめようと手を伸ばした。
ただ、芙蓉だけがぼうっとどちらの男の気配にも気づいていながら海を見ていた。
「フフフッ、」
「!」
そしてそこに割り込もうと、一つの影が落ちる。
それに対してさらに男たちが警戒色を深める中、やはり彼女は動かない。
「おもしろそうなことしてンじゃねえかァ」
「ドフラミンゴ………ッ」
「アラララ、厄介なときに厄介なヤツがきたもんだねえ」
足音もさせずにスタスタと歩みよるドフラミンゴは芙蓉の近くまで歩み寄り、彼女と同じように海を見据えた。
「いぃ〜コト教えてやるよ、青キジぃ」
「………」
「天竜人の坊ちゃんは、『歌うクジラ』の『涙』が欲しいって騒いでたらしいぜぇ」
「!」
「うたうくじらの、なみだ?」
「知らねぇのか、フヨウ?」
座り込んだ彼女がゆるりと顔だけ上げてドフラミンゴを見上げ、そして緩慢な動作で首を左右に振った。
芙蓉が自分の方に視線を動かし、反応したことで男は満足したのか――彼女の様子がおかしかったことはありありと見て取れた――覗き込むようにしてニヤリと笑う。
「『歌うクジラ』はカリプソーのために歌う、そして歌うそのときには真珠の涙を流すって伝説があるのさ」
「誰も、……見たことはないがねい」
「だが『歌うクジラ』が存在している以上、涙もあるのかもしれない」
「フヨウ、一旦船に戻るよい――おかしすぎる」
「そいつぁ同感だが、フヨウ、なぁ、俺と来いよ……天竜人にも触れさせずに守ってやるぜ?フフフフフッ」
「アラララ、お前らほんと勝手気ままだネエいやだねこれだから海賊は――」
パキン、と青キジの声にかぶるように聞こえた小さな音に、マルコが芙蓉を抱きかかえ軽く地を蹴った。
ドフラミンゴは笑みを深め、青キジに向かい合ったままだ――ポケットに手を突っ込んだ状態で。
そして彼女が見た青キジは、その手を氷に変えていた。
「あの人も、能力者なのね」
「フヨウ」
「もう大丈夫、マルコさん――でも、」
「うん?」
「『歌うクジラ』の『涙』は真珠じゃないわ」
「……なんだって?」
「この島は沈む」
マルコの腕の中で、彼の目を見据えて。
芙蓉はまるで夢遊病者のように勝手に口が動くのを感じて、戸惑う視線だけを彼に向ける。
その視線に気が付いたのか、マルコが彼女の口を塞ごうにも目の前には敵が二人とくれば、彼もまた自由には動けなかった。
(参ったねい、七武海と大将相手じゃぁちょいと分が悪いよい)
「フフフッ、フフッ、なぁフヨウ、何を知ってる?」
「なにもしらない、でもきこえる」
「やっぱり『普通』じゃーないってことね」
「『歌うクジラ』は死んでしまう」
蜂蜜色の瞳が、揺れる。
赤く染まった海が、揺れた。
細く頼りない腕が、それこそ頼りない動きでゆるゆるとあがり、海を指差す。
その先を見ろと言わんばかりの彼女の動きに、男たちもまたゆっくりと視線を動かした。
そこに映るのは、赤。
揺らめいている海面は、波ではない。
不自然なそれは海中から何かがせり上がって来る予兆。
そして現れたのは、巨大な――それこそ一つの小島かと思えるほどの存在が波の下すれすれに姿を垣間見せ、そして真っ赤な目がこちらを見た気がした。
音がした、と誰もが思ったに違いない。
それは誰もが待ち望んだ『歌うクジラ』の歌声に間違いなかった。
ただ、誰も聞いたことが無い歌声だった、それだけで。