□26:藍に溶ける
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「あれが、歌うクジラ……?!」


マルコが呻くように言うと、腕の中の女が頷いた。
姿を見たことがある人間はこの世の中でもほんの一握りだという希少なクジラは、世界政府が『保護』という名目で調査も研究も許されない幻の存在。
その歌声が唯一数年に一度聴けるというこの島は天竜人たちにとってのリゾートの一環であり、それ故に巻き込まれてはたまらないということから結ばれた協定、それを繋いでいた存在。

まるで愛を歌うが如く、甘い音色の楽器が如く、時には夢心地にすらさせてくれたその『歌声』は今、酷く人々の胸を締め付けた。


「怒ってる、恨んでる」
「………」
「自分を傷つけ殺す者へも、『涙』を奪った者へも」
「……『歌うクジラ』は、誰かに傷つけられた、と?」
「フッフッフッ、ああ、こりゃぁちとヤベえな」
「マルコさん……」
「戻るよい、フヨウ」


迷うことはできない、今の芙蓉は確実に“引きずられて”いる。
マルコはそう判断すると多少の危険を顧みずにモビーディック号への道を歩み出した。


「待ちなよ、まだ聞きたいことが――」
「クザンさん」
「……なによ、フヨウちゃん」
「津波がくるわ、島の人も観光の人も、逃がすなら今しかないのよ」
「………それが、本当だって証明できる?」
「できないわ」
「あーあー、なんか損だなぁ俺」


ふわり、と青白い顔が微笑めばそれ以上青キジも彼女に詰問できない。
もし芙蓉の言うことが本当ならば、一刻の猶予も無いのだから。

ついで芙蓉の視線がドフラミンゴを捉えた。


「フッフッフッ」
「行かないわ、あなたと」
「そうかい」
「ええ」
「また誘わせてもらうぜ、フフフフフッ、あんたといると退屈しないで済みそうだからなア」


その言葉に彼女はもう答えずに目を閉じた。
弛緩していくその頼りない身体に、マルコはぎくりと背筋が凍る思いだった。


(行くな)


海に消えてしまうのではないか。
このまままるで水のように、己の手をすり抜けてしまいそうな危うい存在感。

手に入れたと思ったそばからこれだ、とマルコは奥歯をかみ締めた。


「マルコ!」
「マルコ隊長!」
「副隊長以上、全員甲板に呼んで来い」


モビーディック号にすでに船員たちの殆どが戻っていた。
居ない船員も、街中で情報を確認する為に出ているという。
誰一人として腑抜けていたわけではないという事実にどこか満足しつつ、マルコは腕の中の彼女を抱いたまま呼びつけた者たちが揃うのを待った。

そしてほどなくすべて揃ったのを視線でぐるりと確認し、マルコは口を開いた。


「歌うクジラが死んだ」
「!」
「言い伝え通りならカリプソーの怒りでこの島は津波に沈むよい」
「本当に、歌うクジラは死んだのかい?」
「見た」
「!!」


淡々と、それこそまるで世間話をするかのような単調さでマルコがきっぱりと言えば、隊長たちは眉を顰めその重大さをかみ締める。

腕の中でぐったりとした芙蓉の様子も気にかかるのだろう、ちらちらと視線を感じているのをマルコは知っていて無視していた。
そんな彼に痺れを切らしたのか、イゾウが口火を切る。


「フヨウはどうしたんだよ」
「………」
「おい、マルコ」
「オヤジに預けてくる――それが一番、安全だよい」
「おい!」


返答らしい返答をせずに背を向けたマルコに、イゾウが苛立った様子を隠すこともできず舌打ちすれば他の隊長たちも困ったように視線で去っていく男を追う。
だがマルコには説明しようがなかった。
カリプソーのことを説明することも、それが芙蓉とどう関係していくかも、マルコでも漠然としすぎてよくわからないのだ。


ただ、彼女が海の藍に溶けてしまわないように願うしかないのだ。
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