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□彼の理性
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からん、と高い鈴の音がする。いい加減この喫茶店みたいな雰囲気も何とかしなければと思っているうちに、受付けに保険証が提示される。
「……今日は、何をしたんですか」
塩坂の言葉に、学生服のままの平井が苦笑する。
「帰りに転んで……捻っちゃったみたいで」
またですか、とため息をついてから立ち上がって受付を出る。肩を貸すとやや遠慮気味に、平井が首に腕をまわしてきた。おずおずとした仕草に、少しだけ機嫌が悪くなる。
(……何なんですか)
この子はどうしてこう、無防備なんだ。
平井を診察用の椅子に座らせて怪我の具合を確かめる。左の足首に圧をかけると、平井の顔が微かに歪んだ。
「痛いですか?」
「す、少し……」
「……ここは?」
「い……っ」
寄せられた眉にすみませんと言ってから立ち上がって、ビニール袋に氷と水を入れる。もともとが小規模な施設である上に今診療所内では夏風邪が流行っていて、今日は医師である塩坂以外に出勤している者はいない。
「これ、持って。肩貸してください」
施設内に唯一あるベッドに平井を座り直させて、患部を冷やすように指示を出す。薄手のタオルも一枚手渡して、胸ポケットに入れておいた保険証を返す。
「このくらいの怪我なら治療費は要りませんよ。それより家、誰か居ますか?」
「今日は誰も……」
「それなら後で僕が送っていきますから」
テープがきれていたので、別室に取りに行くと言って部屋を出た。いつもすみませんという平井の言葉に、仕事ですからと返す。少し、素っ気なかったかなと反省した。
(……彼は、だって患者だし)
子供だし。学生だし。好きな子くらい、いるのだろうし。
ふっと小さく息をついた瞬間、隣室から何かが落ちるような派手な音がした。
「……え……?」
嫌な予感がして、出しかけていたテープを放り出して隣室へと走る。隣の診察室では平井が床に倒れ込んで、周りには消毒用の綿とその容器が散乱していた。立ち上がろうとしてバランスを崩したらしい。
「……、ちょっと」
大丈夫ですか、と平井の頬を軽く叩く。微かな呻き声と共に、平井の瞼が薄く開かれる。
「……塩坂先生……?」
意識があることに幾分ほっとして、捻った足に負担が掛からないように平井を抱き起こす。
「大丈夫ですか? どこか痛むところは?」
「……」
「どこか痛いんですか?」
「すみません……」
「うん?」
「迷惑、掛けてばっかりで」
言って、平井が下を向いた。俯いた平井の頭をぽんと叩いて、塩坂が口を開く。
「怪我人が何言ってるんです。こんなもの、片付ければ済む話ですから。君が無事でよかったですよ」
くしゃ、と頭を掻き混ぜると、照れたように小さく平井がはいと言った。
「ん……でも顔色が良くないですね。テーピングだけしてしまいますから、そうしたら今日はもう家で休んでいた方がいいでしょう」
肌の感触だとかそういったものをできるだけ意識しないように手当てをして、恐縮する平井を車に乗せて家まで送った。滅多に急患の来ない病院は、戻ってもやはり人影が無かった。