A yearly lie
□摘まれた花の夢
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夕暮れ、鈴虫の幽かな鳴き声が鼓膜を震わせた。もうそんな季節になったのかと当たり前のように思いながら、晩酌の用意を済ませる。
ふと思い立って縁側に足を向ければ、橙色に染め上げられた世界が私を出迎えた。
振り返って食卓から酒瓶とお猪口を持ち上げ、縁側にそれらしく並べて見る。つまみもあれば美味かろうと台所に戻って準備をしていると、卓上の電話が音を立てていた。
相手の予想はついているから出ることも煩わしいが、そうするわけにもいかず、つまみを小皿によそいながら電話に出る。
電話先は案の定お決まりの相手だった。
『俺でィ』
「今日は何もいりません」
『ん、わかった』
ぷつりと素っ気なく断ち切れる。慣れてはいても漏れる苦笑はなんだろうか。自身が女性に回帰したことからくる反動だろうか、この女々しさは。
帰ってくるのはいつ頃だろう、そう思いながらつまみを啄ばみ酒を呷る。
そういえば、この酒もかよとのお見合いのときに出ていた酒だったと思い出す。
そのあとこの酒を飲みながら口付けられて、初めて彼の心がどこに向いていたのかを理解した。そして驚愕し歓喜し、逃げた。
思えば彼は相当焦らされていたのだった。何回逃げたのだろう、もはや回数ではないのだろうか。
それから掌を返すように真実を告げられて。私ならキレていた。あの状況ではキレるキレないなど関係ないのだけれど。
「優しい姉弟だ」
小さく笑う。私の馬鹿さを受け入れて、それでもなお愛してくれるというのだから。罪悪感はなくならないし、恐らくずっと付き纏う。
だけれど私は確かに幸せだった。もうミツバには会えないけれど。ミツバと土方君が大切に育んでいく家庭は見れないけれど。
ガチャリと扉が開く音がして、耳慣れた足音が廊下を歩いてくる。それになんとなしに耳をすませていれば、障子を引いてこの家に住むもう一人が現れた。
首を持ち上げてにこやかに笑う。
「今帰りやした……ってなにこんなとこで一人で酒瓶あけてるんでィ」
「お帰りなさい。待てなかったのでお先に晩酌中です。ご飯は?」
「まだに決まってらァ。ちぇー」
ぶつぶついう背中から隊服を受け取り、ハンガーに掛ける。こんなことを私がやるとは誰が予想していただろう。相手もふとそう思ったのか彼はにやにやと笑う。
「てめーがんなことするなんて似合わねーと思ってやした」
「今でも私はそう思ってます。晩酌はしていますが、ご飯もありますよ。さっさと手を洗ってきなさい」
「話は最後まで聞いてくれやせんかね?」
「ご飯中でいいでしょう、どうせたいした話じゃないし」
終えていない食事の準備に再び取り掛かりながら、さらっという。ぴきりと彼の青筋が立ったことは予想がついたが、正直どうでもいい。
「……斎藤?」
「残念ながらこの家に斎藤姓を名乗る人はいませんよ。ほら早くいく」
まだガキ扱いしてやがるだのなんだのぼそぼそ呟くのをわずかに笑いながら受け流し、食事を完成させてしまう。これならまあ文句はないだろう。
戻ってきた彼の前に食卓を用意すれば、ほっとしたように目を緩ませた。
「なにをほっとした顔をしてるんです」
「いや、別にィ」
「ガキみたいなこといわないでもらえますかね?」
はい、とお猪口を差し出せば沖田君は嬉しそうに小さく笑った。些細な表情の変化は、前よりもずっとわかりやすい。
じわりと胸が幸せを感じて震えた。嬉しかった。こんなに小さなことすらも、嬉しくて仕方がなかった。
「……嬉しそうですねィ」
「ええ、嬉しいし幸せです」
にへらと緩み切った笑みで答えれば彼は少し目を見開いてそっぽを向く。照れてるのだか笑いを噛み殺しているのだかはわからないが、やっぱりガキのような面は早々治らないようだ。
そんなガキと結婚したやつがいう台詞ではないけれど。
「それで、話の続きは?」
お猪口を片手にちまちまと食事をする。
私の命運をわかつあの一戦以来、私はもう真選組には戻ってはいない。時折遊びに来る近藤さんと土方君と山崎君、それから三番隊の面々と飲み交わすだけで、戻ることはしなかった。
それを誰も咎めないし、そして強いて呼ぶこともしない。
心地いい関係だった。女性であることを理解して、小袖姿になって、彼らと共に飲む酒は、あのときとは違って穏やかだった。
だからもちろんこの旦那と飲む酒もまた、基本的には穏やかで、私は緩く目を細める。
「飯を作ったりなんだり、似合わねえとは思ってたんですがねィ。そのことでさんざからかってやろうと思ってたんですが……」
「ほぉ……次からは晩酌なしですね」
「黙って最後まで聞きなせェ」
お互いちろりと笑みを浮かべて見合う。お猪口を傾けて彼はそっといった。
「やっぱりあんたは女でさァ。あんたの大好きな姉上とおんなじくれーにさ」
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