短編

□浸食
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 2.



いい加減、好奇の視線に晒されるのも慣れた。男共からすれば新しい玩具でも手に入ったと喜んでいたのかもしれない。だけど、あっさりヤらせてあげたのはあの日だけだったって理解するのも早かった。馬鹿は馬鹿でもそういうことには聡いらしい。

煙草をゆっくりと吸い込んで、ぱらりと本のページを捲った。三ヶ月くらい前から読んでるのに、なかなか読みおわらない。古典文学だからって『自省録』に手を伸ばしたのは失敗だったかもしれない。しかも古典文学じゃないし。

あたしの愛すべき屋上の踊り場には、もうあたししかいない。最近あの桃髪は現れない。クラスの男共の話を盗み聞きすれば、他校と抗争しているらしい。どうでもいい。

今はここがあたしだけの場所だってことに安堵して、ゆっくりと読書を楽しむだけでいいんだ。

さっき買った缶コーヒーの蓋を開けて、喉を潤す。そうしながらも目は本を追って、ふと落ちてきた影に反射的に顔を上げていた。


「……すごい顔」


思わずつぶやいてしまうほど、神威の顔は痛そうだった。眼だけが爛々と輝いて、口元は血が着いているのに楽しげに歪んでいた。喧嘩は楽しめたのだろう。


「びびらないんだ?」


面白がるような声音に飽きて、視線を本へと移す。缶コーヒーに手を伸ばそうとして、がっとそれを強く踏まれた。予想だにしてなかったことに顔を歪め、視線をやれば、青い二つの瞳が見返していた。


「答えなヨ」

「……痛いんだけど」

「俺が聞いたことに、だよ」


ぐり、とあたしの手の上で神威の靴が曲がる。痛い。苛々しながら視線を落として返す。


「あんたなんか、怖くない」


嘘だ。本当は怖い。その青い眼差しが怖い。怖いし、苛立つ。

す、と足が離れて、その手をもう片方の手でそっと擦る。赤く熱を持って、ささくれだっていた。早く手を洗おう。こんな怖い奴からは逃げて。

だけど、そう簡単にはいかなかった。


本を閉じた次の瞬間、いきなり神威の顔が目の前にあった。呆気にとられて反応できないあたしを嘲笑って、彼は喉に噛み付いた。甘さの欠片もない、血が滲むような、それ。ぞくりと背が凍っても、声らしいものすら声帯を震わせなかった。


「……っ、ぁ」


ようやく息ができたときには、視界が歪んで見えた。訳が分からないままただ青い眼を見上げれば、口の端に新しい赤を映えさせて、神威は嗤った。


「素直にいいなよ、俺が怖いって」


咳き込みながらどうにか押し返す。予想外に素直に戻った相手を睨んで、立ち上がる。喉が熱い。


「しつっこい。あんたなんかに素直になる理由なんてないし、馬鹿げてる。うざったいんだよ」


本を拾い上げて、動く気がないらしい神威の顔面に缶コーヒーをぶちまけ、あたしはさっさと階段を駆け降りた。馬鹿馬鹿しくって、苛々した。

踏まれた手をそっと擦る。熱がもう片方の手に伝わって、それが震えてることを教えていた。

そう、震えてる。

ぎゅっと痛いぐらいに手を握り締めて、逃げ込んだトイレで立ち止まる。瞼を閉じて必死に息を整えた。

怖い、んだよ。


口が、滑りそうで。





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(2012/7/25)

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