短編

□you are my Gospel
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「好きとかさ、愛情とか恋愛とか、そういうので人生棒に振るわけにはいかなくない」


そう、隣に腰掛ける騎士様に尋ねてみる。彼は私の言葉にちょっとだけ笑った。


「本当、余所者ってみんな恋愛嫌いなのか?こないだアリスもいってたぜ」


胡散臭い笑い声。そう思いながらこの爽やか騎士の旅という残念な迷子に、幾度も連れて行かれる私はなんなんだろう。嫌い、じゃない、多分。

このわけのわからない世界に来てもう何十時間帯も過ぎ去った。どの領土にもわりと殺されそうになりながら回れた。それでも私の薬の溜まり具合は、ひどく遅い。

私よりも早くやってきたアリスだけど、同じ時間帯だったときどのくらいだったか試しに聞いてみたら、もう瓶の半分まであったという。なのに、私の瓶はまだ四分の一にも満たない。


薄くため息を吐きながらポケットから出したその瓶を、そっと木々から垣間見える夜空の月に透かしてみる。幻覚でもいいから増えないかな。

ふと、エースはぽつりとつぶやいた。


「君は、帰りたいんだ」


尋ねているのか、ただの言葉なのか。

うまく判断ができなかったから、どうせ聞いてないだろうと小さく漏らす。


「……帰りたい」


帰りたい、帰りたい。

違う世界なんて興味ない。
そういうファンタジーなのが好きな子を連れて来て。

私は整理しなきゃいけない全部を放り出してきたから、帰りたい、その思いはひどく強い。


アリスが記憶の本質に触れようとする度に気を失うからわかったけど、彼女は記憶を閉じ込められている。何度も聞き出そうとする私に、ナイトメアが怒って教えてくれた。彼女の記憶の隠蔽について。

私とは違う。私には記憶を隠蔽する暇もなかったらしい。だから繰り返し繰り返し、あの子が私を呼ぶ声が聞こえる。


今隣にいるエースの声よりも、あの子の声が。


「……君って、すぐぼうっとするよな」


はは、と小さく笑う声が目の前でした気がした。顔を上げようやく私は隣にいたはずの彼が、木に背中を預けて座り込む私を囲うようにして、腕を伸ばしていることに気が付く。

顔は、思いの外近くて、赤いような、茶色いような、不思議な虹彩が私を捉えていた。


「……そうかな」

「そうだよ」


はっきりとした、断定の言葉。黒っぽい灰色の手袋が伸びてきて、私の頬をそっとなぞった。もう片方の手が、緩やかに私の手から瓶をくすねとる。


「いつも、君は、何を聞いてるんだ?」


言葉の意味がわからなくて、ぽかんと口が半開きになれば、手袋の指先が唇を這う。それは、きっとアリスにやったなら色気のある様だっただろうけど、私からすればくすぐったくて笑いそうになる。

口がふにゃと緩んだのを見て、エースの目がなんだか可笑しそうに細まった。


「……それ、かゆ、いっす、エース」


ぷふ、とか変な笑い声が漏れそうになるのを堪えつついう。


「答えてくれよ、×」


薬瓶が回収されたことに気付いていたけど、笑いを堪えるのに必死であまり気にしていられなかった。ようやく放してくれたときには心からほっとする。口元が緩み切って顔がきもいことになってる、絶対。


「君には、いつも、何が聞こえているんだ?」


問う声。

不思議だ。今はあの子の声が聞こえない。エースの、この騎士様の声だけしか。


聞こえない、なら。


私はゆるゆると力のない笑みを浮かべた。柔らかいわけでも優しいわけでもない、無気力な笑顔。


「大事だった人の、声」



聞こえない。

忘れようとしている言葉を吐いたのに、あの子の声は聞こえない。

それが、あり得ないことだったから、ぶわりと背筋が凍った。聞こえない、なんて、そんなの。



「だった?」


エースが尋ねる。赤い茶色い、不思議な色彩は、私を捉えるように視線を重ねる。伸びて来る指を拒まずにいれば、それは脆いものに触れるように私の頬を撫でた。

その手袋越しのぬくもりに、ぼろりと何か熱いものが頬から零れ落ちる。


たぷん、と、液体が音を立てたような気がした。


「……もう、聞こえない」

「え?」

「聞こえなく、なっちゃった」


涙は頬を次から次へと流れていく。ゆっくりと目蓋を閉じて喪失を想う。


私が、心を許し過ぎたから、あなたの声は聞こえなくなっちゃったの。

目の前の騎士に、心を、許したから。


エースは壊れ物を扱うように私の頬を両手で包み、そっと、閉じた目蓋に口付ける。ぬくい唇の感触に、また涙がこぼれていった。


「俺、君が泣いてるの、初めて見たよ」


低い声は嬉しそうで優しくて、嫌な奴だと思いながら、ちゅ、と甘く触れる唇を拒否できない。唇が触れる度に、ほろほろと涙が流れて、私の心の奥からあの子の姿は消えていく。


「――帰さない」


ぽつりと、言葉が落ちた。
そっと目を開いて彼を見上げれば、額に口付けられる。


祈るような、その仕草。

騎士に相応しい、洗練された。


にこり、と彼は笑って、囁いた。


「帰さないよ」

「――っ」


そのあまりに優しい、あまりにきれいな、笑顔に、胸の中の全部が流れだしていく。それが嫌で、子どものように首を振って拒絶を訴えた。


「……帰る」

「帰さないよ、×」


そう囁いてエースは私の唇にそれを重ねた。熱い舌が口を割って、その感じたことのない感触に肩が跳ねる。

いつのまにか後頭部を支えられていて、口の中に冷たくて苦い何かが流し込まれていった。入り切らなかったそれが、唇の端を伝う。

ろくな抵抗もできないまま、ただ流されていれば、ようやく口を放したエースが笑う。


にこやかに爽やかに、

いつものように、

幸福そうに。


「君の一生は、俺だけのものだよ、×」





you are my Gospel



(私はあの子の福音で、)
(今は俺だけの福音)





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